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2016年12月

2016年12月30日 (金)

古典に見る[権力と高度]

[このコンテンツが属するカテゴリー([言語])]の インデックス] へのリンク

1. はじめに

先日アップロードした、下記コンテンツ

なぜ、晴から雨へと移りゆく時に、「天気は上り坂に」と、言わないのだろうか?

の中の、

[3. なぜ、大きい権力を持つ人の事を、「低位低官」と言わないのだろうか?]

の章において、私は、[高度]という概念と、[権力のサイズ]という概念とが、[ある仕組み]によって複合された結果、「高位高官」という表現が生まれたのであろう、という内容の、自身の想像を述べた。その概略を述べると以下のようになる。

----------
古代の日本に、[詩的な魂を持っているある人B]が存在していた。以降、この人のことを、[詩的な人B]と略記することとする。

[詩的な人B]の心中に、下記のような、概念と概念を結びつけるリンクが、形成された。

 リンク[概念・[高度の変化]-概念・[権力の変化]]
  (概念・[高度の変化] と 概念・[権力の変化] とを結ぶリンク)

 リンク[概念・[高度]-概念・[権力]]
  (概念・[高度] と 概念・[権力] とを結ぶリンク)

(後者は、前者から派生的に形成されたものである。)

Fig1_1
Fig 1.1

[詩的な人B]は、このリンクをもとにして、概念・[高度]と、概念・[権力]とを複合することにより、下記のような表現を創作した。

 「XXXXが持つ権力は、最高の高みに達している。」

しかし、この表現は、あまりにも長ったらしくて、使用するには不便である。そこで、[詩的な人B]は、上記の省略形として、

 「XXXXは高位高官」

という表現を創作した。

その後、この表現が多くの人々に受容・理解・使用され、今日に至った。

----------

以上が、私が想像した事の概略である。

いったいなぜ、この表現(「XXXXは高位高官」)が、「多くの人々に受容・理解・使用され」ていったのであろうか? それは、多くの人々の心中にもまた、

 リンク[概念・[高度の変化]-概念・[権力の変化]]
 リンク[概念・[高度]-概念・[権力]]

が存在していたからであろうと、私は想像する。

多くの人々は、[詩的な人B]の口から発せられた「XXXXは高位高官」という表現を聞き、自らの心中の上記2個のリンクを活用し、その表現の意味しているところを理解すると共に、その表現がとても適切なものである(理解しやすい、誤解を招きにくい、カッコイイ表現だ、等々)と感じたので、自らもその表現を使用するようになっていったのであろう。

「昇進」、「昇格」、「降格」という表現も、上記と同様に、リンク[概念・[高度の変化]-概念・[権力の変化]] が活用された結果、生み出され、多くの人々に受容・理解・使用され、今日に至ったのであろう。

(「昇」、「降」ともに、高度の変化を意味する語である。)

このように、「高位高官」、「昇進」、「昇格」、「降格」といったような、[権力・高度・複合語]ともいうべき表現が生まれ、広く使用されるに至ったその根底には、多くの人々の心中での、上記の2個のリンクが存在があったと、私は考える。

では、上記の2個のリンクが、多くの人々の心中に形成されたのは、日本の過去のいつごろの事であったのだろうか?

これが、私の前に提出された次の問題である。

この問題の解答を見出すために、私は様々な日本の古典を調べてみた。

ようは、[権力・高度・複合語]が使用されているような古典があるかどうか、調べればよいのである。そのような古典がもしもあるのならば、その古典が著作された時代に生きていた多くの人々の心中に、

 リンク[概念・[高度の変化]-概念・[権力の変化]]
 リンク[概念・[高度]-概念・[権力]]

が存在していたであろうと、考えられるのだ。

以下にその調査の結果を記す。

-----------------

2. 古典の中に見る2つのリンク

2.1 徒然草の中に、[権力・高度・複合語]が使用されている箇所あり

『徒然草』[第三八段] 中に、下記のような記述がある。

 「位高く、やんごとなきをしも、すぐれたる人とやはいふべき。愚かにつたなき人も、家に生れ、時にあへば高き位にのぼり、おごりを極むるもあり。」
 「ひとへに高き官・位をのぞむも、次に愚かなり。」

(『新編 日本古典文学全集 44 方丈記 徒然草 正法眼蔵随聞記 歎異抄』 校注・訳 神田秀夫、永積安明、安良岡康作 小学館 より引用。)

上記中には、「位高く」、「高き位」、「高き官・位」という語が用いられており、これらはいずれも、上記で言うところの[権力・高度・複合語]であると、考えられる。

『徒然草』の著者・吉田兼好は、13世紀から14世紀を生きた人である。

この時代に既に、多くの人々によって、[高度・権力・複合語]が用いられていた、従って、多くの人々の心中に、リンク[概念・[高度の変化]-概念・[権力の変化]]、リンク[概念・[高度]-概念・[権力]] が存在していたであろうと、私は考える。

2.2 続日本紀の中に、[権力・高度・複合語]が使用されている箇所あり

『続日本紀』[文武天皇元年]中に、下記のような記述がある。

 「それゆえ、このような事情を承り悟って、かいがいしくお仕えする人は、その勤めぶりに従って、それぞれお讃めになり、位階をお上げくださるという天皇の大命を、皆聞くようにと仰せになる。」

(『続日本紀(上) 全現代語訳』 宇治谷 孟 講談社学術文庫 1030 講談社 15P より引用。)

上記中の「位階をお上げくださる」の部分は、原文では下記のような記述になっている。

 「品々讃賜上賜治将賜物」
 「品々讃め賜ひ上げ賜ひ治め賜はむ物そと」
 「注 上も治も、位階を昇叙する意。」

(『新日本古典文学大系 12 続日本紀(一)』 校注 青木和夫、稲岡耕二、笹山晴生、白藤禮幸 岩波書店 より引用。)

このように、原文中においても、「上」の字が用いられている。よって、ここにおいても、[高度・権力・複合語]が用いられていることが分かる。

(「上」も、高度の変化を意味する語である。)

『続日本紀』が編纂されたのは、8世紀末である。

この時代に既に、多くの人々によって、[高度・権力・複合語]が用いられていた、従って、多くの人々の心中に、リンク[概念・[高度の変化]-概念・[権力の変化]]、リンク[概念・[高度]-概念・[権力]] が存在していたであろうと、私は考える。

2.3 ヒミコの宮殿

[高度・権力・複合語]の使用とは異なる角度から調べてみたら、興味深い事柄が浮上してきた。

『魏志倭人伝』の中に、とても気になる箇所があった。女王・ヒミコが住んでいる場所に関して記述している箇所だ。

 「王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。宮室・楼観・城柵、厳かに設け、常に人あり、兵を持して守衛す。」

(『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』 石原道博(編訳) 岩波文庫 青 401-1 岩波書店 49P より引用。)

ヒミコが日々、生活している場所の標高が、人々の生活している場所の標高よりも、大きかったのか、小さかったのか、それとも、ほぼ等しかったのか、そこまでは、魏志倭人伝から読み取ることはできない。しかし、「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」とあるのだ。

おそらく、ヤマタイコクの一般の人々の多くは、以下のように考えていたのではないか。

 ヒミコ様は、日々、土を踏むことのない生活をしておられる。

すなわち、

 ヒミコ様のおみ足の底面が位置している標高は、我々の足の底面が位置している標高よりも、常に大きい。

 我々は竪穴式住居の中で、土に足を触れながら日々、生活しているのだが、ヒミコ様は、あの、厳かに設けられた宮室内の、高床の上で生活しておられる、土を踏む事無く。

 おそらく、ヒミコ様のおみ足が位置している標高は、我々の眼球が位置している標高よりも、常に大きいのだろう。

ヤマタイコクの一般の人々の、この心中のイメージを描いてみるならば、下記のようになるだろう。

Fig2_3_1_2
Fig 2.3.1

上記を平たく言い換えると、下記のようになる。

 「ヒミコ様は 自分より 高い所 におられる」

Fig2_3_2
Fig 2.3.2

ここで、私は一つの仮説を提示したい。その仮説とは、

 ヤマタイコクの多くの人々の心中に、リンク[概念・[高度]-概念・[権力]] が存在していた。

というものである。

Fig2_3_3
Fig 2.3.3

そのように考えてみると、ヒミコが、「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」させた理由が、よく理解できるのである。

すなわち、

ヤマタイクコの多くの人々の心中において、

 「ヒミコ様は 自分より 高い所 におられる」(上記)

 リンク[概念・[高度]-概念・[権力]]

とが複合されると、いったいどうなるか?

Fig2_3_4
Fig 2.3.4

リンク[概念・[高度]-概念・[権力]] を経由することにより、

 「ヒミコ様は 自分より 高い所 におられる」

から、

 「ヒミコ様は 自分より 大きな 権力 を 持っている」

との念が、派生するであろう。

Fig2_3_5
Fig 2.3.5

ヤマタイコクの多くの人々の心中にあった[リンク[概念・[高度]-概念・[権力]]]を活用し、「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」た結果、ヒミコは、下記に述べるような観念を、人々の心中、植え付ける事に成功したのであろう(と、私は想像する。)

 我々シモジモ(注)の人間が持っている権力のサイズと、ヒミコ様が持っているそれとの間には、差がある。
 ヒミコ様のそれの方が、我々のそれよりも大きい。
 ゆえに、ヒコミ様は、我々とは別格の存在なのである。

注 「シモジモ(下々)」もまた、[高度・権力・複合語]であろう。

2.4 オオクニヌシの神殿

上記のような考え方を、『古事記』の中のある箇所に適用してみよう。それは、オオクヌヌシの国譲り、として知られている箇所である。

以下、[『古事記(上)全訳注』次田真幸 講談社学術文庫 207 講談社](以降、[文献1]と略記)147P ~ 170P を参考にしながら、記述した。

国譲り・ストーリーの概略を述べると、以下のようになる。

タマガハラ(高天原)・勢力が送りだしたタケミカヅチ率いる侵略軍が、出雲にやってきて、この地を統治していたオオクニヌシに対して、出雲の地をタマガハラ側に差し出せ、と、強要した。

それに対して、オオクニヌシは、以下のような、条件つきの降伏案を提示した。

 地上高くそびえる神殿をタカマガハラ・勢力が建設し、それを、私の隠退後の居場所(別荘と解釈すべきか?)として提供してくれるならば、出雲のクニを譲ってもよい。

この箇所は、[文献1](167P)においては、以下のように現代語訳されている。

 「ただわたしの住む所は、天つ神の御子が皇位をお継ぎになるりっぱな宮殿のように、地底の盤石に宮柱を太く立て、大空に千木を高々とそびえさせた神殿をお造り下さるならば、私は遠い遠い幽界に隠退しておりましょう。」

上記からは、以下の2つの事柄を読み取ることができよう。

(1)[天つ神の御子が皇位を継承する場所]は、地上高くそびえたち、千木が高々と揚げられている建物の中にある。

(2)その建物と同レベルの、地上高くそびえたち、千木が高々と揚げられている建物を自分の居場所として、タカマガハラ側が建設・提供してくれるならば、自分(オオクニヌシ)としても、おさまりがつく、と、オオクニヌシは考えた。

「皇位をお継ぎになる天つ神の御子」が、高天原側の誰の事を言っているのか、分からない。しかし、地上よりも極めて高い場所において、当時の社会中において最大レベルと思われるような(皇位にまつわる)権力を、継承者は手に入れるのである、と、古事記作者がしている、という事は、確実に読み取れる。

オオクニヌシがその宮殿と同レベルの、地上よりも極めて高い建物の上で、余生を過ごしたい、というのは、後世の人々に対して、目に見えるような形での記念碑的な建造物を残しておきたい、という願望の表れであろう。

その「記念碑的な建造物」は、後世の人々に、以下のような事を示すのである。

 かつて、この地に、オオクニヌシという、大きな権力を持つ者が、存在していたのだゾ。この建物の高さこそが、その権力の大きさを象徴しているのだゾ。

 しかも、その建造物を建てたのは、オオクニヌシの敵対者であった、タママガハラなのである。タカマガハラに、この、高い高い建造物を、オオクニヌシの為に、建てさせたのである、それほどにまで、オオクニヌシの権力は絶大であったのだ!

 よって、オオクニヌシの隠遁を、無残な敗北などとは、決して考えるでないゾ、これは、名誉ある隠退、なのである。

オオクニヌシの時代(と、古事記作者が想定している時代、弥生時代~古墳時代か?)においても、上記に述べたヤマタイコクの状況と同様に、多くの人々の心中に、リンク[概念・[高度]-概念・[権力]] が存在していた、と仮定すると、この、オオクニヌシ・神殿建設ストーリーも、ヒミコの宮殿と同様に、とても理解しやすい話となる。

以下、話の本筋とは関係ない余談となるが:

古事記のこの箇所の記述によれば、オオクニヌシのこの要求を、タカマガハラ側は承諾したようである、「出雲国の多芸志の小浜に天の御舎を造りて」とあるから。

ところが、はるか後世になってから、タカマガハラ側勢力の末裔に対して、オオクニヌシは、なぜか再び、神殿建造を要求するのである。(古事記の[垂仁天皇 ホムチワケノミコ]の節において)。

私は、このストーリー展開に、整合性の無さを感じる。もしかしたら、古事記作者は、[垂仁天皇 ホムチワケノミコ]の箇所において、ストーリー設定をミスったのではないだろうか。

-----------------

3. 古事記作者によって、フル活用された、リンク[概念・[高度]-概念・[権力]]

古事記の中には、リンク[概念・[高度]-概念・[権力]] をなんとかしてうまく活用して、[ある事]を主張するための基礎工事を行っておきたい、との意図が感じられる箇所が、いろいろとある。

[ある事]とは、

 大王家に属する人々は、それ以外の人々とは、別格の存在なのである。

という内容の事である。

(「天皇」という称号が使用されるようになるまでは、「大王」の称号が用いられていたようだ。)

以下、[文献1] 36P ~ 170P を参考にして、記述した。記述中の引用部分(「」をつけた箇所)はいずれも、[文献1] より引用したものである。)

3.1 [天の浮橋]と[オノゴロ島]

古事記の記述によれば、日本列島の生みの親は、イザナキとイザナミである、ということになっている。

イザナキとイザナミによる日本列島生産のストーリーは、以下のようになっている。

(1)天と地が分かれた時に、[高天原(タカマガハラ)]という場所に、諸々の神が発生した。それらの神々の中に、イザナキという神と、イザナミという神がいた。

Fig3_1_1
Fig 3.1.1

(2)神々からの要請を受けて、イザナキとイザナミは、日本の国土造成作業を開始した。イザナキとイザナミは、[アメノウキハシ(天の浮橋)]の上に立ち、[アメノヌボコ(天の沼矛)]を「指し下ろして」「画」いた。(海面から海中に矛を差し込み、海水をかき回す、というようなイメージを想いうかべればよいのだろう。)「天の沼矛」を引き上げる際に、その先端からしたたり落ちる海水が、重なり積もって島ができた。これを、[オノゴロ島]という。

イザナキとイザナミの行った作業は、[天の沼矛]を「指し下ろして」「画」く、である。この作業を、[天の浮橋]の上に立ちながら行ったのである。よって、下図のように、[天の浮橋]は、[オノゴロ島]よりも高い位置にあると、古事記の中では想定されているのであろう。

Fig3_1_2
Fig 3.1.2

(3)イザナキとイザナミは、オノゴロ島に、「天降り(あまもり)」、その島の上で、淡路島、四国、九州等の日本列島を生んでいった。

Fig3_1_3
Fig 3.1.3

Fig3_1_4
Fig 3.1.4

以上が、古事記に記されている日本列島造成ストーリーの概略である。

以下に記述されている事は、あくまでも、私という一個人の単なる想像を述べたものに過ぎない。私は、古事記が制作されたその時と、その現場に立ち会ったのではない。

古事記においては、大王家のルーツは、アマテラスである、ということになっている。アマテラスは、イザナキの子である、とされている。よって、イザナキもまた、大王家のルーツであると、言える。

(古事記においては、アマテラスの親は、イザナキだけである、ということになっている。イザナキが自らの左の目を洗った時に、生まれた、ということになっている。)

そこで、古事記作者は考えた、

 大王家に属する人々は、それ以外の人々とは、別格の存在である

と、いう事に、なんとかして持っていきたい。

その為には、まずは、

 大王家のルーツは、それ以外の人々のルーツとは、別格の存在である

と、設定することが必要だろうネ。

その為には、

 イザナキは、別格の存在である

というように、設定しておいたら、いいじゃないか。

というわけで、古事記作者たちは、イザナキを別格の存在に位置づけるべく、使えそうな手をいろいろと考えた。

そのような中に浮上してきたのが、[リンク[概念・[高度]-概念・[権力]]] であった。

上記にも述べたように、当時の多くの人々の心中に、このリンクは存在していた。

 高い所にいる存在(人、カミ)は、強い権力を持つ別格の存在なんだよ。

これは使えるぞ、ということで、古事記作者は、以下のようなコンセプトを考案した。

 [オノゴロ島]は、日本列島を生み出すための拠点になった地、いわば、[原日本列島]とも言うべき場所である。イザナキとイザナミは、[オノゴロ島]へ移住してきて、日本列島を産んだ。

 イザナキとイザナミは、日本人にとっては崇拝すべき存在である。日本人の始祖的な存在なのだから。

 イザナキとイザナミは、[オノゴロ島]よりも標高が高い場所([高天原]、[天の浮橋])から、[オノゴロ島]へ移住してきた。

 イザナキとイザナミは、移住する前は、高い高い所におられたのである。よって、強い権力を持っている、別格の存在である。
 (ここで、リンク[概念・[高度]-概念・[権力]] が用いられた)

このようにして、古事記作者たちは、

 大王家のルーツ(イザナキ)は、それ以外の人々のルーツとは、別格の存在である

というようなイメージを、古事記読者の心中に、巧みに醸成したのである。

3.2 アマテラスとスサノオ

ところが、古事記作者は、このままのストーリー展開だと、大問題がある事に気が付いた。

大王家のルーツ・アマテラスには、弟がいたのである(ということに、古事記ではなっている。)。弟の名は、スサノオ。スサノオもまた、イザナキの子である。

イザナキの大きい権力は、その子、アマテラスによって継承されている。しかし、スサノオも、それと同等の権力を継承する権利があるのではないか。

(スサノオが、アマテラスの兄ではなく、弟とされているのが、これまた興味深い。弟なので、継承できる権力の大きさは、姉・アマテラスよりもわずかに小さい、ということになるのかもしれない。兄弟姉妹の間において、相続の平等性が保障されている現代とは異なる、[相続の常識]が、当時すでに存在していたのかもしれない。)

となると、アマテラスより大王家の人々が代々継承してきている権力と同レベル・サイズの権力が、スサノオの末裔によって継承されていても、おかしくはない、ということになる。

となると、[大王家の人々は、別格の存在である]、という構図が崩壊してしまうではないか。

そこで、古事記作者たちは、あるストーリーを考案した。[スサノオの追放]である。

アマテラスが統治するタカマガハラに行ったスサノオは、そこで様々のトラブルを起こし、ついには、タカマガハラから追放されてしまう。(そのストーリー中のクライマックが、天岩戸のシーン)。

追放された彼が至った場所は、地上にあった。

 「かれ避追はえて、出雲国の肥の河上、名は鳥髪といふ地に降りましき。」

かくして、スサノオの居る場所の標高は、タカマガハラから出雲へと、急降下、急激に減少したのである。

このようにして、古事記作者は人々の心中に存在する、[リンク[概念・[高度]-概念・[権力]]]を大いに活用し、スサノオの権力が急激に減少した、というイメージを、醸成したのである。(標高の急激な減少 ---> 権力サイズの急激な減少)

これを更に、別角度から見るならば、

追放される前にスサノオのいた場所は、「タカマガハラ」という極めて抽象的な、漠然としたエリアであり、広域的なイメージを伴っている。ところが、追放された後に至った場所は、「出雲国の肥の河上、名は鳥髪といふ地」というように、極めて具体的、限定的なエリアである。

タカマガハラからの追放後に、スサノオの手中に残された権力は、[鳥髪]という極めて限定的なエリア内だけに及ぶような、極小レベルのものとなってしまった、というようなイメージを、古事記作者は古事記読者の心中に植え付けたかったのかもしれない。

このように、高から低への居場所の変化、広から狭への居場所の領域の縮小、この2方向からの叙述を使えば、スサノオの持つ権力サイズが、急激に縮小したことを、読者の心中に強く印象づけすることができるのではないだろうか。

このようにして、古事記作者は、古事記読者の心中に、下記のようなイメージを埋め込んだのである。

 スサノオの末裔たちがこれから継承していくであろう権力のサイズと、アマテラスの末裔たちが継承していくであろう権力のサイズとの間に、大きな差ができた。前者の方が、後者よりも小である。

 [スサノオの末裔たちが継承していく権力のサイズ] << [アマテラスの末裔たちが継承していく権力のサイズ]

(「<<」は、不等号)。

Fig3_2_1
Fig 3.2.1

3.3 オオクニヌシ

その後、出雲の地は、スサノオの子孫であるオオクニヌシによって統治される状態となる。

上記に述べたように、タカマガハラから地上への追放により、スサノオの権力は、アマテラスのそれよりも、小さいレベルになってしまっている。よって、スサノオの権力を継承したオオクニヌシの権力も、アマテラスのそれよりも、小さいレベルとなる。

Fig3_3_1
Fig 3.3.1

古事記作者によってこのような前準備が整えられた後に、アマテラスの宣言が登場する。いわく、

 「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、我が御子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国なり」

現代語風に表現するならば、

 「[豊葦原の千秋長五百秋の水穂国](以降、[豊葦原]と略記)は、我が子・[アメノオシホミミ](天忍穂耳命)が統治すべき国である!」

 低い地上にある地域([豊葦原])に住む人とカミの権力は、タマガハラの高みに君臨する、我・アマテラスのそれよりも、極めて小レベルである。

 よって、我・アマテラスの子孫は、それらの地域を統治する正当性を有している

と、言いたいのであろう。

ということで、アマテラスはアメノオシホミミを、「天降し」た。

アメノオシホミミは、[天の浮橋]までやってきた。そして、これから行く先の地域([豊葦原])の状況を観察した。

[天の浮橋]の上に立ち、[豊葦原]の状況を観察する、というこのシーンのイメージはまさに、これから攻めこもうとしているエリアを、その上空から俯瞰しながら観察する、というイメージであろう。

アメノオシホミミが率いる侵略軍は、[豊葦原]よりも標高が高い地点(それは、地上ではなく、空中のある地点なのかもしれない)から、[豊葦原]に攻め入ろうとしているのである。

侵略しようとしている側は、標高の高い場所に位置し、侵略されようとしている側は、標高の低い場所に位置している。

ところが、アメノオシホミミの目に飛び込んできた[豊葦原]の状況は、まことにすさまじいものであった。

 「いたくさやぎてありなり」

([文献1]では、この箇所を、「ひどく騒がしい様子だ」と現代語訳している。)

そこで、アメノオシホミミは引き返して、その状況をアマテラスに報告した。

Fig3_3_2
Fig 3.3.2

ということで、今度は、アメノホヒが、[豊葦原]に送り込まれた。ところが、タカマガハラ側の期待に反し、アメノホヒは、オオクニニシの側についてしまった。

(アメノホヒが、[豊葦原]内の一地域である出雲に至り、その地においてオオクニヌシと会見、というストーリー、[豊葦原]全土を支配していたオオクニヌシとアメノホヒが、[豊葦原]内のどこかで会見、というストーリー、双方共にありかも。)

Fig3_3_3
Fig 3.3.3

次に、アメノワカヒコが、[豊葦原]に送り込まれた。ところが、アメノワカヒコもオオクニニシの側についてしまった。

Fig3_3_4
図 3.3.4

そこで、タカマガハラ側は、アメノワカヒコのもとへ、[鳴女]という名前の雉を使者として送り、

 オマエはいったいナニをしておるのか!(己の使命([豊葦原]侵略の先鋒)を、思い出せ)

という趣旨の事を伝えさせた。

アメノワカヒコはその雉に向けて矢を放った。その矢は、「雉の胸より通りて、逆に射上げらえて」、タカマガハラに達した。

タカマガハラ側に所属する、タカギが、「その矢を取りてその矢の穴より衝き返し下したまへば」、その矢はアメノワカヒコの胸にあたり、アメノワカヒコは死んだ。

Fig3_3_5
図 3.3.5

この段階において初めて、[タカマガハラ側・優勢-出雲側・劣勢]を暗示するような記述が登場した。

矢が往復する様を順に追ってみると、以下のようになっている。

段階1:[低]から[高]へ

アメノワカヒコにより、出雲の地から上空に向かって、射上げられた矢が、タカマガハラに至る。

段階2:[高]から[低]へ

タカギにより、タカマガハラから、下界に向かって、衝き返し下された矢が、出雲の地に至り、その矢によって、アメノワカヒコは死に至る。

ここにおいても、古事記作者は、人々の心中に存在する、[リンク[概念・[高度]-概念・[権力]]]を大いに活用し、古事記読者の心中に、下記のようなイメージを醸成したのである。

 出雲側(アメノワカヒコが与している)(低い場所にある)の権力のサイズ << タカマガハラ側(高い場所にある)の権力のサイズ

このようにして、古事記読者の心中における、[スサノオの末裔たちが継承していく権力のサイズ] と [アマテラスの末裔たちが継承していく権力のサイズ]との差のイメージは、更に増大したのである。

 [スサノオの末裔たちが継承していく権力のサイズ] <<<<< [アマテラスの末裔たちが継承していく権力のサイズ]

(「<<<<<」は、不等号である)

古事記作者による、このような綿密なお膳立てにより、古事記読者の心中において、[オオクニヌシ側・必敗ムード]が色濃く醸成された後に、満を持しての、タケミカヅチ率いる侵略軍の出動、となる。

その後の展開は、上記、「2.4 オオクニヌシの神殿」に述べた通りである。

かくして、アマテラスの子孫による[豊葦原]支配の正当性が確立され、古事記作者は、

 大王家に属する人々(アマテラスの子孫)は、それ以外の人々とは、別格の存在なのである。

という観念を、古事記読者の心中に植え付けることに成功したのである。

(アマテラスの子孫が[豊葦原]の実支配に乗り出すのは、それから更に先の事になるが。)

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2016年12月22日 (木)

なぜ、晴から雨へと移りゆく時に、「天気は上り坂に」と、言わないのだろうか?

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2017年1月19日 加筆・修正

1. 高低と他の概念との結びつき

「高位高官」という言葉があるようだ。大きい権力を持つ官職にある人のことを、このように表現するらしい。

「高」の字が含まれているので、この言葉は、以下の2つの概念が複合されることにより、できていると思われる。

 概念・高度 (高い・低い)
  これは、3次元空間上での位置に関する概念である。

 概念・権力のサイズ (大きい権力・小さい権力)
  これは、人間が持っている権力の大小に関する概念である。

このように、概念・高度が、他の概念と複合されることにより、できていると思われる言葉は、他にもある。例えば、

 「天気は下り坂に」

この表現は、下記の3つの概念が複合されることにより、できていると思われる。

 概念・坂を行く方向(上り坂を行く・下り坂を行く)
 概念・高度の変化(低から高へ・高から低へ)
 概念・天候の変化

このような例は下記にも述べるように、様々にある。

 昇進 降格
 上司 部下
 献上 下賜
 仰ぎ見る存在
 他を見下す
 上目使い
 上から目線
 声高らかに 声を低めて
 落ち込む 舞い上がる
 上昇気流に乗っている
 落ち目
 没落
 都落ち
 上洛 上京
 下剋上
 高尚 低俗
 堕落
 高等遊民

ここで、ある疑問が生じる。

疑問1 いったいなぜ、大きい権力を持つ官職にある人のことを、

 「低位低官」

と、言わないのだろうか?

疑問2 いったいなぜ、晴から曇り、雨へと移り行く天候の変化のことを、

 「天気は上り坂に」

と、言わないのだろうか?

「高位高官」という表現を産み出すもととなった、概念・高度 と、概念・権力のサイズ との間に、直接の関係を見出すことはできない。なぜならば、前者は、3次元空間上での位置に関する概念なのであり、かたや後者は、人間が持っている権力の大小に関する概念なのであるから。

[3次元空間上での位置] と [人間の権力] との間には、縁もゆかりもないであろう。

このような、無関係と思われる2個の概念が、何らかの[仕組み]によって複合され、その結果、「高位高官」という表現が生み出されたのである。その仕組みからは、なぜか、権力が大である人のことを「低位低官」と表現する、というような事態は生じてはこなかったのである。

いったいなぜ、その[仕組み]は、「低位低官(=権力が大である人)」という表現を生じさせなかったのであろうか?

「天気は下り坂に」においても同様である。

概念・坂を行く方向、概念・高度の変化、概念・天候の変化 の3個の概念が、何らかの[仕組み]によって複合され、その結果、「天気は下り坂に」という表現が生み出されたのである。その[仕組み]からは、なぜか、[晴から曇り、雨への天候の変化]のことを「天気は上り坂に」と表現する、というような事態は生じてはこなかったのである。

いったいなぜ、その[仕組み]は、「天気は上り坂に(=晴から曇り、雨へ)」という表現を生じさせなかったのであろうか?

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2. 「天気は下り坂に」という表現を産み出した仕組み

概念・坂を行く方向、概念・高度の変化、概念・天候の変化 の3個の概念から、「天気は下り坂に」という表現を生み出した、その仕組みについて、私は以下のように想像する。

以下に記述されている事は、あくまでも、私という一個人の単なる想像を述べたものに過ぎない。私は、表現・「天気は下り坂に」が生み出されたその瞬間、その現場に立ち会ったのではない。

---------

2.1 概念間リンク

現在、我々が見聞きする様々な、[(気のきいた)表現]は、過去のある瞬間に、ある人が創造したと考えられる。

「高位高官」という[表現]も、「天気は下り坂に」という[表現]も、過去のある瞬間に、ある人が創りだしたものなのであろう。

しかし、[表現]は、創りだされるだけでは、ダメである。

その[表現]を見聞きした多くの人が、「これは、うまい言い回しだな」と感じ、「これは、使えるぞ」と思い、自らもその[表現]を使うようになる、それを見聞きした他の人もまた、その[表現]を使うようになる、このような、[表現]の受容・伝搬があってこそ、その[表現]は、世に残ることとなり、現代においても多くの人によって使用されることとなる。

このように、[表現]においては、下記の2つの段階が考えられる。

 A 創りだされる段階
 B 受容・伝搬される段階

上記のようにして世に残ることとなったような[表現]が創りだされるその瞬間において、その表現を生み出した人の心(脳)内には、ある[仕組み]が存在していると思われる。

なおかつ、その[仕組み]と同形の[仕組み]が、多くの人の心(脳)内にも、存在しているからこそ、その表現は多くの人によって、受容・伝搬されると思われる。

その[仕組み]とは、2個の概念どうしを結びつけるような、なにものかである。

その実体がいったい何であるのか、私には分からない。(大脳内のニューロンの結合なのか、あるいは、もっと別の何ものなのか、さっぱり分からない。)

その実体は分からないのだけど、とりあえず、2個の概念どうしを結びつけるようななにものか、それを、[概念間リンク]と呼んでみることにしよう。

これ以降、概念Aと概念Bとを結びつけるような[概念間リンク]を、下記のように表記することとする。

 [リンク[概念A-概念B]]

日本の過去の歴史上のどこかの時点に、[詩的な魂を持つある人A]が存在していた。以降、この人のことを、[詩的な人A]と略記することにする。

ある日ある瞬間、[詩的な人A]は、自らの心中に、下記のような[概念間リンク]が存在することに気が付いた。
Fig2_tuika_01_4

Fig 2.1.1

このリンクは、下記に述べるように、2階層構造のリンクになっている。

 概念・坂を行く方向 と 概念・天候の変化 との間に、リンクが形成されており
  なおかつ、
 それぞれの概念を構成している要素([上り坂を行く]、[晴 --> 曇り --> 雨]、等)どうしの間にも、リンクが形成されている

以降、この[概念間リンク]を、[リンク[概念・坂を行く方向-概念・天候の変化]]と呼ぶことにしよう。

その次の瞬間、[詩的な人A]は、下記のような、[表現の変換]を思いついた。

 変換前:今後の天候の変化は、[晴 --> 曇り --> 雨]となるであろう

       ===[表現の変換]===>

 変換後:今後の天候の変化は、[下り坂を行くがごときもの]となるであろう

下図に示すように、この[表現の変換]は、、[リンク[概念・坂を行く方向-概念・天候の変化]]を用いて行われているのである。
Fig2_tuika_02_2

Fig 2.1.2

[リンク[概念・坂を行く方向-概念・天候の変化]]が、[詩的な人A]の心中に存在したがゆえに、[詩的な人A]はこのような[表現の変換]を思いつけたのである。

以上が、[表現が創りだされる段階]に関しての説明である。

次に考えるのは、[(その表現が)受容・伝搬される段階]について、である。

[詩的な人A]の口、あるいは、筆・ペンから発せられた表現:

 「今後の天候の変化は、[下り坂を行くがごときもの]となるであろう」

を見聞きした、[別の人B]は、その表現が意味しているところのものを正しく理解し、「これは、うまい言い回しだな」と感じ、「これは、使えるぞ」と思った。

いったいなぜ、[別の人B]は、その表現が意味しているところのものを正しく([詩的な人A]が意図したごとくに)理解できたのか?

その人Bもまた、自らの心中に、下記のような[概念間リンク]が存在することに気が付いたからである。
Fig2_tuika_01_5

Fig 2.1.3

Fig 2.1.1に示されている[概念間リンク]と、Fig 2.1.3に示されている[概念間リンク]は、全く同形である。

[別の人B]は、上記の[概念間リンク]を、Fig 2.1.2に示されたのとは逆方向の経路をたどることにより(下記 Fig 2.1.4 で示したように)、下記のような、[表現の変換]を、(心中において)行えたのである。その結果、[別の人B]は、その表現が意味しているところのものを正しく([詩的な人A]が意図したごとくに)理解できたのである。

 変換前:今後の天候の変化は、[下り坂を行くがごときもの]となるであろう

       ===[表現の変換]===>

 変換後:今後の天候の変化は、[晴 --> 曇り --> 雨]となるであろう
Fig2_tuika_03_3

Fig 2.1.4

この表現:「今後の天候の変化は、[下り坂を行くがごときもの]となるであろう」

が、多くの人々によって受容・伝搬されるうちに、

より簡潔な表現:「天候は下り坂に」

へと変形し、定着して、現在、多くの人々によって使用されるに至ったであろう。

では、いったいどのようにして、[リンク[概念・坂を行く方向-概念・天候の変化]]が、[詩的な人A]と[別の人B]の心中に存在するようになったのであろうか?

私は以下のような、3段階の過程により、これが存在するようになったと想像する。

 段階1:[リンク[概念・坂を行く方向-概念・高度の変化]]の発生
 段階2:[リンク[概念・高度の変化-概念・天候の変化]]の発生
 段階3:上記2個の[概念間リンク]の統合

2.2 [リンク[概念・坂を行く方向-概念・高度の変化]]の発生

我々が坂道上の移動を行う時、

 [上り坂]を行く時には、我々の眼球がある位置の標高は、小さい値から、大きい値へと、変化していく、すなわち、我々の眼球の位置は、[低]から[高]へと、高度が変化していく。

 [下り坂]を行く時には、我々の眼球がある位置の標高は、大きい値から、小さい値へと、変化していく、すなわち、我々の眼球の位置は、[高]から[低]へと、高度が変化していく。

[詩的な人A]は、この、[坂道上の移動]と[高度の変化]との関係に着目した。その結果、[詩的な人A]の心中に、下記のような、概念・坂を行く方向 と、概念・高度の変化 とを結びつけるリンク、すなわち、[リンク[概念・坂を行く方向-概念・高度の変化]]が発生した。

このリンクは、下記に述べるように、2階層構造のリンクになっている。

 概念・坂を行く方向 と、概念・高度の変化 との間に、リンクが形成されており
  なおかつ、
 それぞれの概念を構成している要素どうしの間にも、下記のようにリンクが形成されている

 [上り坂を行く] (概念・坂を行く方向 を構成する要素)
  と
 [低 --> 高] (概念・高度の変化 を構成する要素)
  との間に

 [下り坂を行く] (概念・坂を行く方向 を構成する要素)
  と
 [高 --> 低] (概念・高度の変化 を構成する要素)
  との間に
Fig 2.2.1Fig2_1_4

2.3 [リンク[概念・高度の変化-概念・天候の変化]]の発生

[詩的な人A]の心中に、下記のような、概念・高度の変化 と、概念・天候の変化 とを結びつけるリンクが発生した。

このリンクが、どのようにして発生したのか、という事については、後述の2.5節において、述べる。

このリンクは、下記に述べるように、二階層構造のリンクになっている。

 概念・高度の変化 と、概念・天候の変化 との間に、リンクが形成されており
 それぞれの概念を構成している要素どうしの間にも、下記のようにリンクが形成されている

 [低 --> 高] (概念・高度の変化 を構成する要素)
  と
 [雨 --> 曇り --> 晴] (概念・天候の変化 を構成する要素)
  との間に

 [高 --> 低] (概念・高度の変化 を構成する要素)
  と
 [晴 --> 曇り --> 雨] (概念・天候の変化 を構成する要素)
  との間に

Fig2_2_2
Fig 2.3.1

2.4 上記2個の[概念間リンク]の統合

[詩的な人A]の心中において、上記の2個のリンクが、下記 Fig 2.4.1 で見るような形で合成された。その結果、

 [リンク[概念・坂を行く方向-概念・天候の変化]]

が発生した。

このリンクは、以下に述べるような意味で、二重構造のリンクになっている。

 概念・坂を行く方向 と、概念・天候の変化 との間に、リンクが形成されており
 それぞれの概念を構成している要素どうしの間にも、下記のようにリンクが形成されている

 [上り坂を行く] (概念・坂を行く方向を構成する要素)
  と
 [雨 --> 曇り --> 晴] (概念・天候の変化を構成する要素)
  との間に

 [下り坂を行く] (概念・坂を行く方向を構成する要素)
  と
 [晴 --> 曇り --> 雨] (概念・天候の変化を構成する要素)
  との間に

Fig2_3_2
Fig 2.4.1

2.5 [リンク[概念・高度の変化-概念・天候の変化]]は、どのようにして発生したか

我々の祖先は日々、様々な植物の状態変化を見続けながら生きていたであろう。中でも、食物源となるような植物の状態変化に対しては、大きな関心を持っていたであろう。

植物の体のうち、最大の標高に位置する場所を、[植物・最高部]と呼ぶことにしよう。そして、[植物・最高部]の標高と地表との標高との差を、[植物・最高部・高さ]と呼ぶことにしよう。

(多くの植物においては、花や実の部分が、[植物・最高部]になると、思われる。)

[植物・最高部・高さ]は、時間の経過と共に、以下のように変化していく。

段階1:種の段階では、[植物・最高部・高さ]は、マイナス値となる。(植物全体が、まだ地下にあるのだから)。

段階2:芽吹きの後、[植物・最高部・高さ]は、時間が経過するにつれて、増大していく。

段階3:開花、結実の段階で、[植物・最高部・高さ]は、最大値に達する。

段階4:その後、[植物・最高部・高さ]は、減少へと転じ、

段階5:ついには、[植物・最高部・高さ]は、ゼロとなる(植物は枯れて、地上に伏してしまう)。

段階2から段階3にかけての変化(すなわち、植物の成長段階での変化)を見続けていくのと、段階4から段階5にかけての変化(すなわち、植物の衰退段階での変化)を見続けていくのとでは、どちらの方が快いだろうか?

上記の問いが我々の祖先に対して出された時、多くの人々が、

 「前者、すなわち、植物の成長段階での変化を見続けていく方が、より快い。」

と、答えたであろうと、私は想像する。

食料源となるような植物が成長していく過程に対しては、当時の誰もが無関心ではおれなかったに違いない。また、自らの子供が成長していく様が、それに重ね合わせられることにより、その思いは更に強まっていったであろう。

(人間においても、その成長の段階において、[人間・最高部・高さ]は、増大していく。
  [人間・最高部・高さ] = [人間・最高部]の標高 - 地表の標高
  [人間・最高部]の標高 とは 人間の体のうち、最大の標高に位置する場所
 )

このような、我々の祖先の心情は、[詩的な人A]の心中にも継承されていた。

その結果、[詩的な人A]の心中に、概念・成長と衰退 が発生し、その要素として、下記の2つの要素が形成された。

 成長 [最高部・高さ の変化:小-->大]
 衰退 [最高部・高さ の変化:大-->小]

Fig2_4_2
Fig 2.5.1

 「最高部・高さ が、小 から 大 へと変化する」

は、下記の表現に言い換えることができる。

 「最高部の位置が、低 から 高 へとなるように、変化する」

よって、上記のFig 2.5.1を、下記のように書き換えることができる。

下図中の、[快]マークつきの矢印は、[詩的な人A]における、快・不快の念を表している。矢印の根元にある要素(すなわち、[衰退])を見続けているよりも、矢印の先にある要素(すなわち、[成長])を見続けている方が、より快い、という感情である。

Fig2_5_2
Fig 2.5.2

次に、[詩的な人A]の心中において、概念・天候の変化 が、発生した。その概念を構成する要素中には、下記の要素が含まれていた。

 天候の変化・[雨-->曇り-->晴]
 天候の変化・[晴-->曇り-->雨]

[詩的な人A]にとっては、天候の変化・[晴-->曇り-->雨]よりも、天候の変化・[晴-->曇り-->雨]の方が、より快いと感じられた。

よって、[快]マークつきの矢印の向きは、下図のようになる。

Fig2_6_2
Fig 2.5.3

ある日、[詩的な人A]の心中において、以下のような現象が次々と発生した。

(1)[詩的な人A]の心中において、詩的インスピレーションの湧出と共に、概念・成長と衰退 と、概念・天候の変化 とが共に想起された。

(2)[詩的な人A]は、概念・成長と衰退 と、概念・天候の変化 との間に、構造的な類似があることに気づいた。これについては、後に詳細を述べる。

(3)そこで、[詩的な人A]は、この2つの概念の間に、

 [リンク[概念・成長と衰退-概念・天候の変化]]

を生成した。

このリンクは、概念と概念を結びつけ、なおかつ、概念を構成する要素と要素を結びつけるような、二階層のリンクである。

 概念・成長と衰退   概念・天候の変化
  [低 --> 高]   と  [雨 --> 曇り --> 晴]   がリンクづけされ
  [高 --> 低]   と  [晴 --> 曇り --> 雨]   がリンクづけされ
Fig2_7_2

Fig 2.5.4

[詩的な人A]が気づいた、概念・成長と衰退 と、概念・天候の変化 との構造的な類似、それは、下記の2点である。

(A) [快]マークつきの矢印の存在

 概念・成長と衰退 と 概念・天候の変化 がともに、[快]マークつきの矢印を内包しており、その矢印は同じ方向を向いている。

(B) 時間の経過と共に増大・減少していく快

 概念を構成している要素の時間経過のパターンが同一形である。

 概念・成長と衰退 を構成する
  要素[成長] においては
   時間の経過と共に、成長を見続けている[詩的な人A]の快感が 増大 していく。
   (種から芽生え、青葉、そして、花へと、成長が進んでいくにつれて)。
  要素[衰退] においては
   時間の経過と共に、衰退を見続けている[詩的な人A]の快感が 減少 していく。
   (結実から、しおれ、やがて地に伏しと、衰退が進んでいくにつれて)。

 概念・天候の変化 を構成する
  要素[雨 --> 曇り --> 晴] においては
   時間の経過と共に、[詩的な人A]の快感が 増大 していく。
   (雨から曇り、晴へと天候が変わっていくにつれて)。
  要素[晴 --> 曇り --> 雨] においては
   時間の経過と共に、[詩的な人A]の快感が 減少 していく。
   (晴から曇り、雨へと天候が変わっていくにつれて)。

下図において、時間経過と共に快感が増加・減少していく様を、模式的に曲線で表した。

Fig2_8_2
Fig 2.5.5

そして更に、[詩的な人A]の心中において、概念・高度の変化 が想起され、これと、概念・成長と衰退 との間に

 [リンク[概念・高度の変化-概念・成長と衰退]]

が形成された。

Fig2_9_2
Fig 2.5.6

そして更に、[詩的な人A]の心中において、

 [リンク[概念・高度の変化-概念・成長と衰退]]
  と
 [リンク[概念・成長と衰退-概念・天候の変化]]
  が合成されることにより、

 [リンク[概念・高度の変化-概念・天候の変化]]

が形成された。

Fig2_10_2
Fig 2.5.7

==================================

3. なぜ、大きい権力を持つ人の事を、「低位低官」と言わないのだろうか?

前章で展開した考察を、今度は「高位高官」に対して展開してみよう。

私は、以下のように想像する。

以下に記述されている事は、あくまでも、私という一個人の単なる想像を述べたものに過ぎない。その時代の日本に行き、そこで生きていた人々にインタビューしたりして調査してきたのではない。

古代日本の社会において、社会を構成している人々の間に、[保有する権力の格差]というものが生じて以降、長期間に渡って、日本人の心中には、下記のような、[概念・権力]と、それから派生した、[概念・権力の変化] が存在した。

下図中の、[快]マークつきの矢印は、その期間に生きていた多くの日本人における、快・不快の念を表している。矢印の根元にある要素(すなわち、保有する権力が[大 --> 小]に変化する)を見続けているよりも、矢印の先にある要素(すなわち、保有する権力が[小 --> 大]に変化する)を見続けている方が、より快い、という感情である。

多くの人にとっては、[大 --> 小] よりも、[小 --> 大] へと、自らの権力が変化する方が、好ましかったであろう。

Fig3_1_2
Fig3.1

(現代日本のような法治国家とは異なる社会においては、自らが持つ権力の大小と、自らや家族の生命や財産の維持との間には、密接・切実な関係があったと思われる。多くの人々が、自らの権力の増減に対して、無関心ではおれなかったであろう。)

当時の日本に、[詩的な魂を持っているある人B]が存在していた。以降、この人のことを、[詩的な人B]と略記することとする。

[詩的な人B]の心中にも、前章で述べた、[快]マークつきの矢印を内包する概念・成長と衰退が存在していた。
Fig3_2_2

Fig 3.2

ある日、[詩的な人B]の心中において、以下のような現象が次々と発生した。

(1)[詩的な人B]の心中において、詩的インスピレーションの湧出と共に、概念・成長と衰退 と、概念・権力の変化 とが共に想起された。

(2)[詩的な人B]は、概念・成長と衰退 と、概念・権力の変化 との間に、構造的な類似があることに気づいた。これについては、後に詳細を述べる。

(3)そこで、[詩的な人B]は、この2つの概念の間に、

 [リンク[概念・成長と衰退-概念・権力の変化]]

を生成した。

このリンクは、概念と概念を結びつけ、なおかつ、概念を構成する要素と要素を結びつけるような、二階層のリンクである。

 概念・成長と衰退   概念・権力の変化
  [低 --> 高]   と  [小 --> 大]   がリンクづけされ
  [高 --> 低]   と  [大 --> 小]   がリンクづけされ

Fig3_3_2
Fig 3.3

[詩的な人B]が気づいた、概念・成長と衰退 と、概念・権力の変化 との構造的な類似、それは、下記の2点である。

(A) [快]マークつきの矢印の存在

 概念・成長と衰退 と 概念・権力の変化 がともに、[快]マークつきの矢印を内包しており、その矢印は同じ方向を向いている。

(B) 時間の経過と共に増大・減少していく快

 概念を構成している要素の時間経過のパターンが同一形である。

 概念・成長と衰退 を構成する
  要素[成長] においては
   時間の経過と共に、成長を見続けている[詩的な人B]の快感が 増大 していく。
   (種から芽生え、青葉、そして、花へと、成長が進んでいくにつれて)。
  要素[衰退] においては
   時間の経過と共に、衰退を見続けている[詩的な人B]の快感が 減少 していく。
   (結実から、しおれ、やがて地に伏しと、衰退が進んでいくにつれて)。

 概念・権力の変化 を構成する
  要素[小 --> 大] においては
   時間の経過と共に、[詩的な人B]の快感が 増大 していく。
   (時間の経過と共に、権力が増強していくにつれて)。
  要素[大 --> 小] においては
   時間の経過と共に、[詩的な人B]の快感が 減少 していく。
   (時間の経過と共に、権力が減衰していくにつれて)。

下図において、時間経過と共に快感が増加・減少していく様を、模式的に曲線で表した。

Fig3_4_2
Fig 3.4

そして更に、[詩的な人B]の心中において、概念・高度の変化が想起され、これと、概念・成長と衰退との間に

 [リンク[概念・高度の変化-概念・成長と衰退]]

が形成された。

Fig3_5_2
Fig 3.5

そして更に、[詩的な人B]の心中において、

 [リンク[概念・高度の変化-概念・成長と衰退]]
  と
 [リンク[概念・成長と衰退-概念・権力の変化]]
  が合成されることにより、

 [リンク[概念・高度の変化-概念・権力の変化]]

が形成された。

Fig3_6_2
Fig 3.6

このリンクにより、[詩的な人B]の心中に、

 権力の「小」から「大」への変化

  を

 権力の「低」(状態)から「高」(状態)への変化

に言い換えるような、比喩の心情が生じた。

ある個人(例えば、藤原氏・摂関家系に所属する人)において、

 権力の低から高への変化

が、継続して発生していった、その先にある状態とは、

 その人の権力が、極めて高い位置に到達した

という状態として表現されるだろう。

このようにして、

 概念・高度の変化 と 概念・権力の変化 とのリンク

から、

 概念・高度 と 概念・権力 とのリンク

が派生的に発生した。

Fig3_7_2
Fig 3.7

[詩的な人B]は、このリンクをもとにして、概念・高度と、概念・権力 とを複合することにより、下記のような表現を創作した。

 「XXXXが持つ権力は、最高の高みに達している。」

しかし、この表現は、あまりにも長ったらしくて、使用するには不便である。そこで、[詩的な人B]は、上記の省略形として、

 「XXXXは高位高官」

という表現を創作した。

その後、この表現が多くの人々に受容・伝搬され、今日に至った。

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