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2017年3月

2017年3月23日 (木)

新作動画の発表 [京都 嵐山]

ユーチューブ上に、自らが制作した動画をアップロードしました。

動画の題名は、

 京都 嵐山

です。自作の曲(『言葉にならない想い・第1番, 作品29』)を、バックグラウンド音楽に使用してます。

下記でご覧になることができます。

<

この動画についての説明は、以下の通りです。

撮影地:京都市内 嵐山
 Act 1:渡月橋の付近
 Act 2:亀山公園
 Act 3:桂川べり

撮影時:2016年5月

映像撮影・制作:runningWaterX

バックグラウンド音楽
 作品名:言葉にならない想い・第1番, 作品29
 作曲・制作者:runningWaterX
  (コンピューターを使用して制作しました)

("runningWaterX" は、私のペンネームです。)

上記の動画の格納先のURLは、
https://youtu.be/2SyrsrQxxZQ
です。

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新作動画の発表 [京都 鴨川の風景 橋と鳥 (5)]

ユーチューブ上に、自らが制作した動画をアップロードしました。

動画の題名は、

 京都 鴨川の風景 橋と鳥 (5)

です。自作の曲(『分散和音曲第3番, 作品22』)を、バックグラウンド音楽に使用してます。

下記でご覧になることができます。

この動画についての説明は、以下の通りです。

 登場する橋:北山大橋、上賀茂橋

 撮影地:京都市内 鴨川べり

 撮影時:2016年9月

 映像撮影・制作:runningWaterX

 バックグラウンド音楽
  作品名:分散和音曲第3番, 作品22
  作曲・制作者:runningWaterX
  (コンピューターを使用して制作しました)

("runningWaterX" は、私のペンネームです。)

上記の動画の格納先のURLは、
https://youtu.be/wN6p9f4E8hU
です。

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2017年3月22日 (水)

新作動画の発表 [京都 鴨川の風景 橋と鳥 (4)]

ユーチューブ上に、自らが制作した動画をアップロードしました。

動画の題名は、

 京都 鴨川の風景 橋と鳥 (4)

です。自作の曲(『変奏曲第5番, 作品13』)を、バックグラウンド音楽に使用してます。

下記でご覧になることができます。

この動画についての説明は、以下の通りです。

 登場する橋:北大路橋、北山大橋

 撮影地:京都市内 鴨川べり

 撮影時:2016年9月

 映像撮影・制作:runningWaterX

 バックグラウンド音楽
  作品名:変奏曲第5番, 作品13
  作曲・制作者:runningWaterX
  (コンピューターを使用して制作しました)

("runningWaterX" は、私のペンネームです。)

上記の動画の格納先のURLは、
https://youtu.be/ok_Ff39CCjM
です。

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2017年3月21日 (火)

新作動画の発表 [京都 鴨川の風景 橋と鳥 (3)]

ユーチューブ上に、自らが制作した動画をアップロードしました。

動画の題名は、

 京都 鴨川の風景 橋と鳥 (3)

です。自作の曲(『律動曲第2番, 作品16』)を、バックグラウンド音楽に使用してます。

下記でご覧になることができます。

この動画についての説明は、以下の通りです。

 登場する橋:葵橋、出雲路橋、北大路橋

 撮影地:京都市内 鴨川べり

 撮影時:2016年7月

 映像撮影・制作:runningWaterX

 バックグラウンド音楽
  作品名:律動曲第2番, 作品16
  作曲・制作者:runningWaterX
  (コンピューターを使用して制作しました)

("runningWaterX" は、私のペンネームです。)

上記の動画の格納先のURLは、
https://youtu.be/PxV6AVejsvc
です。

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2017年3月20日 (月)

新作動画の発表 [京都 鴨川の風景 橋と鳥 (2)]

ユーチューブ上に、自らが制作した動画をアップロードしました。

動画の題名は、

 京都 鴨川の風景 橋と鳥 (2)

です。自作の曲(『水辺を通っていく道』)を、バックグラウンド音楽に使用してます。

下記でご覧になることができます。

この動画についての説明は、以下の通りです。

 登場する橋:賀茂大橋、出町橋

 撮影地:京都市内 鴨川べり

 撮影時:2016年7月

 映像撮影・制作:runningWaterX

 バックグラウンド音楽
  作品名:水辺を通っていく道, 作品19
  作曲・制作者:runningWaterX
  (コンピューターを使用して制作しました)

("runningWaterX" は、私のペンネームです。)

上記の動画の格納先のURLは、
https://youtu.be/A9y5q_LROhQ
です。

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2017年3月19日 (日)

新作動画の発表 [京都 鴨川の風景 橋と鳥 (1)]

ユーチューブ上に、自らが制作した動画をアップロードしました。

動画の題名は、

 京都 鴨川の風景 橋と鳥 (1)

です。自作の曲(『ヘンデルの主題による変奏曲』)を、バックグラウンド音楽に使用してます。

下記でご覧になることができます。

この動画についての説明は、以下の通りです。

 登場する橋:四条大橋、三条大橋、御池大橋、二条大橋、丸太町橋、荒神橋

 撮影地:京都市内 鴨川べり

 撮影時:2016年7月

 映像撮影・制作:runningWaterX

 バックグラウンド音楽
  作品名:ヘンデルの主題による変奏曲, 作品8
  作曲・制作者:runningWaterX
  (コンピューターを使用して制作しました)

("runningWaterX" は、私のペンネームです。)

上記の動画の格納先のURLは、
https://youtu.be/GH_jvG28QM0
です。

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2017年3月18日 (土)

京都 金戒光明寺 真如堂 梅 サンシュユ 2017年3月18日

2017年3月18日に、金戒光明寺と真如堂(京都市内)に行きました。

金戒光明寺

境内中に、梅が数本ある場所があります。

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P3 この梅は、見た感じでは相当、高齢。毎年、きれいな花を咲かせてくれます。
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P10 上記の梅の木のすぐ側にあるこの梅の木は、このような状態です。
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P11 金戒光明寺の境内中にある西翁院の桜は、まだこのような状態です。
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P12 金戒光明寺の境内中にある永運院の付近で撮影しました。
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P13 永運院の付近で撮影。
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P14 永運院の付近で撮影。
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東北院

金戒光明寺から北方へ歩くと、真如堂付近に出ますが、その付近に、この東北院があります。

P15 入り口の前で撮影しました。
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P16 入り口の前で撮影しました。
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P17 入り口の前で撮影しました。
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P18 [軒端の梅]は、もうこのような状態に。
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P19 [軒端の梅]は、もうこのような状態に。
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宗忠神社

真如堂付近にあります。

P20 サクラの参道は、まだこのような状態です。
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真如堂

境内中に、数本のサンシュユの木があります。もうすぐ開花、あるいは、すでに開花の状態です。

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サンシュユの他にも、開花している植物があります。

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西雲院

真如堂から、[會津藩殉難者墓地]の付近を経由して、金戒光明寺へ戻る途中、西雲院の門の中をフト見ると、この樹木が。この道はこれまで何度も通っているのですが、今日初めて、この樹木の存在に気づきました。

P28
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2017年3月10日 (金)

人はなぜ、おじぎをするのか?

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人はいったいなぜ、おじぎをするのだろうか?

この問題に対する解答を考えてみた。

ここでの「人」は、日本人に限定することにした。

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1. まずは、おじぎに関連する記述を、昔の文書の中で探してみた

1.1 魏志倭人伝

ヤマタイ国においては、会合やパーティの場と、路上とでは、礼儀作法が大きく異なっていたようである。

[魏志倭人伝]には、以下のように書いてある。

[新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 編訳・石原道博 岩波文庫 青 401-1 岩波書店] の48P には、下記のようにある。

 「その会同・坐起には、父子男女別無し。人性酒を嗜(たしな)む。大人の敬する所を見れば、ただ手を搏ち以て跪拝に当つ。」

つまり、ヤマタイ国においては、身分の高い人に対して、身分の低い人は、「ただ手を搏ち」だけすれば、よかった、頭を下げる動作をしなくても、よかったようなのだ。ただし、これは、「会同」の場においての礼儀作法である。

当時の中国人(日本列島に使者としてやってきた魏の人)の目からは、これはとても奇異な振る舞いに感じられたのだろう。魏国の礼儀作法においては、身分の低い人は、身分の高い人に対して、「会同」の場においては、「跪拝」すべきであった。なので、「あぁ、あの「手を搏つ」動作は、我々の国(魏)での、「跪拝」に相当するものなのだな。」と考え、上記のように記したのだろう。

かたや、

[新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 編訳・石原道博 岩波文庫 青 401-1 岩波書店] の49P には、下記のようにある。

 「下戸、大人と道路に相逢えば、逡巡(しゅんじゅん)して草に入り、辞を伝え事を説くには、あるいは蹲(うずくま)りあるいは跪(ひざまず)き、両手は地に拠り、これが恭敬を為す。対応の声を噫(あい)という、比するに然諾(ぜんだく)の如し。」

すなわち、道路上においては、身分の高い人に出会った際には、身分の低い人は、「ただ手を搏ち」なんてことでは、ダメであった、「逡巡して草に入ら」ねばならなかった。その場で何か話しかけたいのであれば、「蹲り、跪き、両手は地に拠り」という体勢を取る必要があった、というのである。

 酒が入るような「会同」の場ではさぁ、そうそうカタイ事は言われないよ、テキトーにやってれば、いいんだよぉ。その場にエライ人がいても、ペコペコしなくても、OK、とにかく手さえ打っときゃ、それでいいんだよ。

 けどさぁ、シラフでもって、戸外で身分の高い人と出会った場合には、きっちりと、「蹲り、跪」かなきゃぁ、ダメよぉ!

ヤマタイ国の子供たちは、親から上記のように教えられながら、育っていってたのかもしれない。

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1.2 日本書紀

[巻第十五 顯宗天皇 即位前記] 中に、下記のような趣旨の記述がある。

[億計王]と[弘計王](二人とも大王家の血筋を引く人)は、わけ有って、播磨国に潜伏し、身分をかくして、[縮見屯倉首]という人に仕えていた。

[縮見屯倉首]が、[伊予来目部小楯]という人の家を訪問した際に、[億計王]と[弘計王]は、それに同行した。

それがきっかけとなって、[伊予来目部小楯]は、二人が大王家の血筋を引く兄弟であることを、知った。

[縮見屯倉首]に仕えている身分の低い人であろうと思っていた兄弟が、実は、大王家の血筋を引く人であることを知った際の、[伊予来目部小楯]の動作が、とても興味深い。

 「小楯大驚、離席悵然再拜」

(上記は、[日本古典文学大系67 日本書紀 上 校注:坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 岩波書店]よりの引用である。)

[全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫833 講談社]の 323P においては、これを下記のように現代語で表現している。

 「小楯は大いに驚いて席を離れ、いたみ入りながら、再拝申し上げた。」

--------------
[巻第十五 仁賢天皇2年9月] 中に、下記のような記述がある。

 「二年秋九月、難波小野皇后、恐宿不敬自死。弘計天皇時、皇太子億計侍宴。取瓜將喫、無刀子。弘計天皇、親執刀子、命其夫人小野傳進。夫人就前、立置刀子於瓜盤。是日、更酌酒、立喚皇太子。縁斯不敬、恐誅自死。」

(上記は、[日本古典文学大系67 日本書紀 上 校注:坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 岩波書店]よりの引用である。)

[全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫833 講談社]の 334P においては、これを下記のように現代語で表現している。

 「二年秋九月、難波小野皇后(顯宗天皇皇后)は、以前から皇太子に対し、礼に反した行いのあったことを恐れて自殺された。
-弘計天皇の時、億計皇太子が、宴会に侍っておられた。瓜をとって食べようとされたが、刀子がなかった。弘計天皇は自ら刀子をとって、その夫人小野に命じて渡されたが、夫人は前に行って立ったまま、刀子を瓜皿に置いた。この日さらに酒をくんで、立ちながら皇太子を呼んだ。この無礼な行いで、罰せられることを恐れて自殺された。」

顕宗天皇と仁賢天皇が実在したかどうかについては、諸説あり状態のようだ。よって、上記の事が、史実であるかどうかも、不明である。

ただし、日本書紀が成立した時点において、下記のような事柄が、多くの人々にとっては、しごく当たり前な事として考えられていた、ということは言えるだろう。

(1)大王位を継承する資格を持つ人の前においては、「再拝申し上げ」るべきである。
(2)顕宗天皇の皇后といえども、皇太子の「前に行って立ったまま、刀子を瓜皿に置」く、というような行為は、皇太子に対して、非礼、無礼である。([億計皇太子]は、[顕宗天皇]の兄である、ということに、日本書紀のこの章ではなっている。)
(3)顕宗天皇の皇后といえども、「酒をくんで、立ちながら皇太子を呼」ぶ、というような行為は、皇太子に対して、非礼、無礼である。

日本書紀が成立した時点(8世紀)において、多くの人々の考えるところでは、

 身分の低い人は、身分の高い人の前では、身を低くすべきである

ということであったのだろう。

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2. 身を低くするとは、いったいどういう事なのか?

2.1 人間の心中に沸き起こる願望

人間の心の中には、多種多様な願望が湧き起こってくるであろう。

それらの願望を、下記のように分類することが可能であろうと思う。

 第1願望:自らに近しい人の生命を維持したい
 第2願望:自らの生命を維持したい
 第3願望:(自らが他の人に)尊ばれたい
 第4願望:上記以外

多くの人にとっては、上記のうちの、数字が小さい願望ほど、より切実な(より強い)願望であると、言っていいだろう。

我が子が高熱を出して苦しんでいる時、「代われるものならば、代わってやりたい!」と思う親の数は多いのではないだろうか。

(わが子と自分との身体を入れ替えることができるものならば、自分が高熱に苦しむことになるが、我が子は高熱に苦しまずにすむから。)

その時、親の心中においては、第2願望よりも第1願望の方が、より大きい強度でもって、(より切実な願望として)湧出しているのである。

第3願望は、第1願望と第2願望の両方が満たされている状態においてはじめて、湧出してくる願望だろう。

高熱に苦しんでいる状態の中においては、自分が他の人から尊ばれているかどうか、なんてことを考えている余裕はとてもない。

とはいいながらも、この[第3願望:尊ばれたい]、これもまた、極めて切実な(極めて強い)願望であろう。

[第3願望:尊ばれたい]、これの現れ方は様々である。下記のような様々な言葉でもって、多種多様に表現されるものである。

 「モテたい」、「ドヤ顔したい」、「マウンティングしたい」、「1着20万円くらいの、ブランドXの服を着てみたい」、「故郷に錦を飾りたい」、「もっと優しく、接してほしい」、「そんな、上から目線で、言ってほしくない。」・・・。

それらの欲望に共通している点はといえば、それは、

 他の人から自分はどのように思われている(思われるようになる)だろうか、という事が、とても気になる

という点である。それがすなわち、それらの願望の根元にあるものである。

その根元から、多種多様な枝葉が広がっている、というのが、この願望の様相であろう。

[第3願望:尊ばれたい]は、人間が生きていく上において、極めて重要なものなのだろうと、思う。

この願望があるがゆえに、人間は日々、身だしなみを整えたり、自室を清掃したり、礼儀作法を習得していったりするのであろう。

身だしなみが整っていなければ、自室の清掃ができていなければ、礼儀作法にかなった言動を行えなければ、その人は、他の人から「尊んでもらえない」可能性があるから。

この願望がゼロになった結果、セルフ・ネグレクト状態になってしまった、というような人も、もしかしたら、いるのかもしれない。

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2.2 [概念・尊ぶ尊ばれる]と[概念・高度]とのリンク

過去にアップロードした、下記コンテンツ

なぜ、晴から雨へと移りゆく時に、「天気は上り坂に」と、言わないのだろうか?

においては、[高度]という概念と、他の概念とが複合されることについて、考察を行った。

それと同様に、過去のいつかの時点において、人々の心(脳)中に、下記のような、概念間リンク、すなわち、[[概念・尊ぶ尊ばれる] と [概念・高度] とを結ぶリンク]が形成されたのであろうと、私は想像する。このリンクが、いかにして形成されたのか、という事については、後で詳細に述べる。

[[概念・尊ぶ尊ばれる] と [概念・高度] とを結ぶリンク]においては、下図に見るように、[要素:尊ばれる側]は[要素:高]に、[要素:尊ぶ側]は[要素:低]に、それぞれリンクされている。
Fig1_2
Fig1

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2.3 他人の[尊ばれたい願望]を満たすための、簡単な方法

古代の人々は、以下のように考えていったのだろうと、私は想像する。

(1)[尊ばれたい願望]の自覚

 自分の心中において、[尊ばれたい願望](2.1で(第3願望)としたもの)は極めて強い、ということを、ある人Aが自覚した。

 (古代日本の心理学者、といってもいいような人なのかも。)

(2)[尊ばれたい願望]が他者の心中にもある事を推察

 その人Aは、他者の心中においても、[尊ばれたい願望]は、(自分の心中と同様に)、極めて強いのだろう、と推察した。

(3)円滑な人間関係を作るための道具としての活用を思いついた

 その人Aは、次のように考えた:

 であるならば、(上記(2)の通りであるならば)、

 他者Bの心中の、[尊ばれたい願望]を、もしも自分Aが、満たしてあげることができたならば、

 他者Bは、自分Aのことを、悪くは思わないであろう(BはAに感謝するだろうから)

 よって、それ以降、自分Aとその人Bとは、とても良好な人間関係でもって、やっていくことができるであろう

(4)その方法は?

 その人Aは、更に考えた。

 では、他者Bの[尊ばれたい願望]を満たすために、自分Aは、いったいどのようにすればよいのか?

 「私Aは、あなたBを、尊んでいますよ」、ということを、何らかの方法によって、他者Bに伝えたらよいではないか

 それがBに伝わったならば、Bの心中の、[尊ばれたい願望]は充足され、Bは喜ぶであろう

 それをBに伝えるための、とても簡単な方法があるではないか!

 他者Bに相対した直後に、自分Aの目の位置の標高が、低くなるように、自分Aが何らかの動作を行えば、よいのだ

 いま、ヤマタイ国の道路の上で、上記のAとBとが出会ったとしよう。Aは、ヤマタイ国の人民、Bは大きい権力を持つ人であるとしよう。(ヤマタイ国の高位高官)。

2.2に述べたように、Bの心中には、 [概念・尊ぶ尊ばれる]と[概念・高度]とのリンクが存在しており、それが更に、ヤマタイ国内の様々な人物に関する概念と、リンクされている。
Fig2
Fig2

上図の中の右側にある[高度]の中の要素([最高]、[高]、[低])は、様々な人物の[尊ばれ]の様相を表現する、バロメーターのような役割をはたしている。いわば、[尊ばれ度]とも言うべきものである。

Bに出会ったAが、自らの目の位置の標高が低くなるように、何らかの動作を行ったならば、Bの心中の図は、下記のように変化する、すなわち、BとAとの高低差が拡大するように感じるのだ。
Fig3_2
Fig3

Aの目の位置の標高が下がったことに引きずられ、上図中のAの位置も、下がるのだ。

高度が下がったのはAの目の位置だけであるのに、自らの心中の図の中の、Aの位置もまた、下がるように感じられるのである。

BとAとの[尊ばれ度]の高低差が、より拡大したように感じることにより、Bは、Aと出会う前よりも、出会った後の今の方が、自分がより尊ばれる存在になった、ように感じるのである。このようにして、Bの「尊ばれたい」という願望が満たされ、Bは快くなる。

このBの快感の原因はひとえに、Aの行為(目の位置を下げる)にある。Aは自らの意志でもって、自らの体を動作させることにより、Bに、この快感を与えてくれたのである。当然、BはAに対して、悪くは思わないであろう。

Aは、自らの目の位置を、様々な動作でもって、下げることができる。おじぎをしても、目の位置を下げることができるし、ヨーロッパの伝統的な女性のあいさつのように、足を曲げることによっても(「カーテシー」というらしい)、目の位置を下げることができる。

この逆の場合は、どうなるだろうか?

Aが大きな権力を持つ人であり、Bが人民であったとしよう。AとBが道で出会い、Aが、目の位置を下げたとしよう。(例えば、おじぎしたとして)。

Bは、まずは、驚くだろう。

おじぎしながら、Aが、次のように言ったとしよう。

 「こないだは、どうも、ご苦労様。よくやってくれたおかげで、助かった。礼を言いますよ。ありがとうね。」

この言葉により、Bは、Aがおじぎをした動機を理解できる。

Bの脳内には、大量のドーパミンが湧出するのではないだろうか。

 あのような、おエラい方が、自分に頭を下げて、あのような、ていねいな言葉をかけてくださった! すばらしい方だなぁ、あのお方は。

2.2に述べたように、Aの心中にもまた、 [概念・尊ぶ尊ばれる]と[概念・高度]とのリンクが存在しており、Aの心中には、下記のような、ヤマタイ国の中の様々な人物に関する概念と、[概念・尊ぶ尊ばれる]、[概念・高度]とのリンクが形成されている。
Fig4
Fig4

Bのおじぎと言葉によって、Aの心中の図は、下記のように変化する。すなわち、BとAとの高低差が縮小するように感じるのだ。
Fig5
Fig5

BとAと[の尊ばれ度]の高低差が、より縮小したように感じることにより、Aは、Bと出会う前よりも、出会った後の今の方が、自分がより尊ばれる存在になった、というように感じるのである。このようにして、Aの「尊ばれたい」という願望が満たされ、Aは快くなる。

Aの快感の源はひとえに、Bの行為(目の位置を下げる)にある。Bは自らの意志でもって、自らの体を動作させることにより、Aに快感を与えてくれたのである。当然、AはBに対して、悪くは思わないであろう。

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2.4 おじぎをする相手の人数を増やせば増やすほど

このような経験を重ねていくうちに、我々の祖先は、おじぎをする相手となる人の数を多くしていけばいくほど、社会が円滑に回っていく(ある人が、別のある人の事を悪く思う、というような現象の頻度を、少なくしていける)ということを、知っていったのではないだろうか。

おじぎをする相手となる人の数を多くしていけばいくほど、多くの人の[願望:尊ばれたい]を満たしていくことができる、その結果、社会をより円滑に回していくことができる、ということを、知っていったのだろう。

だから、日本人は、なにかというと、お辞儀をするようになったのであろうと、思う。

このようになったのは、最近の事なのか、それとももっと以前、例えば江戸時代からなのか、といったような事については、今後の調査研究が必要であろう。

なお、この章に述べたような考察を進めるに当たり、最初のヒントとなった話がある。それは、仏教の経典の中にある話だ。詳細は、後の[5. 仏教経典中のある話]に記した。

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3.  [概念・尊ぶ尊ばれる]と[概念・高度]とのリンクは、どのようにして、形成されたか

[概念・尊ぶ尊ばれる]と、[概念・高度]とのリンクは、どのようにして、形成されたのであろうか?

私は以下のように想像する。

 生まれて以来、人間は、親を見上げて育つ

ある程度の年齢に達するまでは、人間は親(あるいは、親のような人)の庇護無しでは、生きていけない。よって、下記の関係が成立する。

 親=尊ばれる側
 自分=尊ぶ側

日常生活のほとんどの時間帯において、親の目の位置の標高は、自分の目の位置の標高よりも、高い。(ある程度の年齢に達するまでは)
Fig6
Fig6

このようにして、 [概念・尊ぶ尊ばれる]と[概念・高度]とのリンクが形成されたのであろう。
Fig7
Fig7

-----------------------------
4. おじぎの他にも

日本人に知られている、目の位置の標高の下げ方としては、おじぎの他に、下記の方法がある。

4.1 土下座

この場合には、土下座をしている人の目の位置の標高は、土下座している人の前に立っている人の足の位置の標高と等しくなる。よって、おじぎの場合よりも、動作の前と後での、目の位置の標高の変化は、大きくなる。

かつて、店のスタッフにむりやり、土下座をさせて、うんぬん、というような事が問題になったことがあった。

いったいなぜ、その時、問題になった人は、店のスタッフに土下座をさせたかったのだろうか?

頭を下げる側の人の、動作の前と後での、目の位置の標高の変化が大きければ大きいほど、相手の側の[願望:尊ばれたい]の充足度は高くなると、思われる。

よって、土下座を強いた人の心中には、とても大きな[願望:尊ばれたい]があったのでは、と、想像する。

4.2 五体投地

これは、仏教における動作である。(これを行わない宗派もあるようだ)。

五体(両手、両膝、額)を床面に接して、仏像や高僧などを礼拝する、という動作である。

額を床に接する際には、両方の掌を少し持ち上げるのだが、これを「仏足頂礼」というのだそうだ。掌の上に、み仏の足を載せていただく、という心を込めて行うのだ。この時、動作を行う人の目の位置の標高は、み仏の足がある位置の標高と、イコール、もしくは、それよりも更に低い、という事になる。よって、頭を下げている人の目の位置は、相手(み仏)の足の位置よりも、下になる、という事になる。

土下座の場合には、頭を下げる人の目の位置は、相手の足の位置よりも上になるだろう。よって、土下座の場合よりも、五体投地の場合の方が、動作の前と後での、目の位置の標高の変化が大きくなる、ということになるだろう。

-----------------------------
5. 仏教経典中のある話

上記の[2. 身を低くするとは、いったいどういう事なのか?]の考察を進めるに当たり、最初のヒントとなった話について、ここに記す。

[阿含経典]の[南伝 相応部経典 三、八、末利]

に、以下のような話がある。

(以下は、[阿含経典 第四巻 訳・増谷文雄 筑摩書房](以降、[書物1]と略記)の 79P~80P を参考にしながら書いた。)

ある日、コーサラ国のパセーナディ王と、その妃・マッリカーが、討論を行った。

討論の議題は、「自分自身よりも愛しい者は、存在するか?」というものであった。

二人は、「自分自身よりも愛しい者は、存在しない」という結論に達した。

パセーナディ王は、釈尊のもとを訪れ、そのことを語った。それに対する釈尊のコメントは、以下の通りであった。

(以下、[書物1]の80Pよりの引用である)

 「人の思いはいずこへも赴くことができる
  されど、いずこへ赴こうとも
  人はおのれより愛しい者を見出すことはできない
  それとおなじく、他の人々にも、自己はこのうえもなく愛しい
  されば、おのれの愛しいことを知る者は、他の者を害してはならぬ」

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2017年3月 7日 (火)

かつて「高い音」とは、大きい音のことであった

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1 「高音」って、どんな音?

「高音」という言葉があるようです。

これは、[高]の文字と、[音]の文字とでできている言葉です、

先日アップロードした、下記コンテンツ

なぜ、晴から雨へと移りゆく時に、「天気は上り坂に」と、言わないのだろうか?

において、

[高度]という概念と、他の概念とが複合されることにより、

 高位高官
 天気は下り坂に

等の様々な言葉が生み出されていることを確認したのでしたが、それと同様の何らかの事情によって、[高度]という概念と、[音]に関係するナニモノカとが、複合されて、下記のような言葉が生み出されたのでしょう。

 [高い音]、[高音]
 [低い音]、[低音]

このような言葉のことを、これ以降、[音・高度・複合語]と呼ぶことにします。

さて、[高音]、[高い音]とはいったい、どのような音なのか?

現代の日本においては、

 [高い音] = 大きな周波数を持つ音

という解釈が一般的であるようです。

ところが、いろいろ調べてみた結果、分かってきたのですが、江戸時代以前においては、どうもそのようではなかったようなのです。

後の方で詳しく述べますが、どうやら、江戸時代までの日本においては、

 [高い音] = 大きな振幅を持つ音

という意味であったようなのです。

現代の日本における、

 [高い音] = 大きな周波数を持つ音

という解釈は、もしかしたら、明治時代以降、欧米の文化・文明を急速に受け入れる過程において、発生したのかもしれません。

すなわち、

太古以降、江戸時代に至るまでは

 [高い音] = 大きな振幅を持つ音

明治時代以降、現代に至るまでは

 [高い音] = 大きな周波数を持つ音

というように、[高い音] という言葉において、その意味のダイナミックなチェンジ(変化)が発生した、という可能性があるのです。

そこで、ある問題が浮上します。

問題:[高い音]の意味チェンジの様相
 このような、[高い音] という言葉の意味の変化(チェンジ)は、日本語だけに起こった独特の現象なのだろうか、それとも、他の言語においても、起こっているのだろうか?

上記の問に対して、現在の私は、まだ解答を出せていません。

地球上には、膨大な言語が存在していると思われます。

現在、同じ言語を使用している人々においても、その祖先の段階までたどっていけば、異なる言語、異なる文化の中に生きていた、ということもありえます。(例えば、琉球の文化、アイヌの文化の中に)

そのような、[言語の森]の中で、私がよく分かっている言語といえば、たった一つだけ、日本語です。(厳密に言えば、よく分かっているのは、現代の日本語だけ。江戸時代以前の日本語となると、おぼつかない。)

そのような私なので、上記の[問題:[高い音]の意味チェンジの様相]への解答をとても出せそうにはありません。

これをお読みになっているあなたが、もしも、この問題に関心を持たれたならば、よろしければ、あなたも、[問題:[高い音]の意味チェンジの様相]の解答探しを、やってみられませんか?

解答探しの方法は、とても単純です。この後に記した内容を見ていただければ、それがとても単純な方法であることが、お分かりいただけると思いますが、ようは、

 (1)何らかの文書を選び
 (2)その文書を読みながら、その中に含まれている、[音・高度・複合語]らしき言葉を、拾っていく。
 (3)拾えた言葉を、その言葉が意味している事により、グループ分けする。グループ分けに関しては、様々な観点が考えられるでしょうが、例えば、下記のような観点からのグループ分け、というのもアリかもしれません。

 グループA : それは、音の周波数に関する事を表現する言葉なのか
    それとも
 グループB : 音の振幅に関する事を表現する言葉なのか
    それとも
 グループC : 上記とは異なる、音の質に関する事を表現する言葉なのか

上記の(1)に述べた「文書」(調査の対象とする)を、古典に限定する必要はないと思います。明治時代や大正時代に書かれた文書を調べていったら、もしかしたら、[グループAに属する[音・高度・複合語]]と、[グループBに属する[音・高度・複合語]]が混在していた時期を、発見できた! なんてことも、ありうるかもしれません。

あるいは、この地域では、[グループAに属する[音・高度・複合語]]を使用していたが、別の地域では、[グループBに属する[音・高度・複合語]]を使用していたことを、発見! なんてことも、ありうるかも。

あるいは、[グループAに属する[音・高度・複合語]]の使用と、[グループBに属する[音・高度・複合語]]の使用に関して、世代間の違いがあったことを、発見! なんてことも、ありうるかも。

場合によっては、調査対象となる書物の電子化媒体を利用することが可能となるかもしれません。そうなると、コンピューターを使っての語句検索もできるようになるだろうから、作業の効率が劇的にアップするかもしれません。

そのように調査して、何か分かった事があれば、それを紙に書いて机の引き出しの中にしまっておく、というのもアリでしょうが、それではなにか、もったいないのでは、というような感じもします。調査して分かった事を、ネット上に発表してみる、というのも、アリかも。

 『イーリアス』、『オデュッセイア』の中に、[音・高度・複合語]は使用されているかどうか?
 ローマ帝国の法律文書の中に、[音・高度・複合語]は使用されているかどうか?
 古代メソポタミアの、粘土板に書かれていたという様々な文書の中に、[音・高度・複合語]は使用されているかどうか?
 『三国志演義』の中に、[音・高度・複合語]は使用されているかどうか?
 『旧約聖書』の中に、[音・高度・複合語]は使用されているかどうか?

などなど、興味は様々に膨張するのですが、残念ながら私には、それらを調べるだけのパワーと時間がないようです・・・。

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2. 様々な古典を調べてみました

上記では、

 「どうやら、江戸時代までの日本においては、[高い音] = 大きな振幅を持つ音 という意味であったようなのです。」

というような、いかにも自信無さげな書き方になってしまいました。

なぜかと言えば、下記にも記すように、全ての古典を調査したのではないからです。もしかしたら、私が調査対象としなかった何らかの書物の中に、周波数を表現する語として、「高い音」、「低い音」の類の言葉が使用されているかもしれません。

(あるいは、私が調査対象とした書物の中に、周波数を表現する語として、「高い音」、「低い音」の類の言葉が使用されている箇所がある、私はそれを見落としてしまっていた、という可能性も。)

私が調査対象とした書物は、以下の通りです。

 日本書紀
 古事記
 万葉集
 土佐日記
 枕草子
 南総里見八犬伝 (江戸時代に曲亭馬琴(滝沢馬琴)により著された小説です。)

結論を先に述べてしまいますが、これらの書物の中においては、

 [高い音] = 大きな振幅を持つ音

という意味において使用されている箇所しか、私は見つけることができませんでした。

 [高い音] = 大きな周波数を持つ音

という意味において使用されている箇所を、私は見つけることができませんでした。

以下に、これらの古典の中の、

 [高い音] = 大きな振幅を持つ音

という意味において使用されている箇所を記します。文中の太字修飾は、私が施したものです。

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2.1 日本書紀と古事記

高天原へやってくるスサノオを迎えるアマテラスを描写した日本書紀の中の記述(巻第一 神代 上)の中に、下記のようなものがあります。

 「又背負千箭之靫 千箭、此云知能梨。 與五百箭之靫、臂著稜威之高鞆、稜威」

(上記は、[日本古典文学大系67 日本書紀 上 校注:坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 岩波書店]より引用しました。)

[全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫833 講談社]の 35P においては、これを下記のように現代語で表現しています。

 「背には矢入れ、腕には、立派な高鞆(たかとも)をつけ」

[全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫833 講談社]の 53P に、下記のような注があります。

 「(2) 高鞆 弓を射る時、左の腕にはめる革の道具、矢を射た後、弦が当って高い音をあげる。」

古事記にも同様の記述箇所があります。

[古事記(上)全訳注 次田真幸 講談社学術文庫207 講談社]の 76P に、下記のようにあります。

 「そびらには千入の靫を負ひ、ひらには五百入の靫を附け、亦いつの高鞆を取り佩ばして」

[古事記(上)全訳注 次田真幸 講談社学術文庫207 講談社]の 79P には、下記のような注があります。

「いつの高鞆 「いつ」は盛んな威力。「高鞆」は、高い音を発する鞆の意。「鞆」は弓を射るとき、左の臂に着ける武具で、弦があたって音を発した。」

これは余談ですが、日本書紀の中の[巻第二 神代 下] の最初の方に、[葦原中國](すなわち、日本列島))の当時の状況を、とてもおもしろく表現した箇所がありました。

 「然彼地多有螢火光神、及蠅聲邪神。復有草木咸能言語。」

(上記は、[日本古典文学大系67 日本書紀 上 校注:坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 岩波書店]より引用しました。)

[全現代語訳 日本書紀 上 宇治谷孟 講談社学術文庫833 講談社]の 54P においては、これを下記のように現代語で表現しています。

 「しかしその国に、螢火のように輝く神や、蝿のように騒がしい良くない神がいる。また草木もみなよく物をいう。」

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2.2 万葉集

[巻十一 2730 番]の和歌は、下記のような内容です。

 原文:木海之 名高之浦尓 依浪 音高鳧 不相子故尓
 訓読:紀伊(き)の海の 名高(なだか)の浦に 寄する波 音(おと)高(だか)きかも 逢(あ)はぬ児(こ)故(ゆゑ)に
 現代語訳:紀伊の海の 名高の浦に 寄せる波のように 音-噂が高いことよ 逢ってもいないあの娘のことで

(上記は、[新編 日本古典文学全集8 萬葉集3 校注・訳:小島憲之 木下正俊 東野治之 小学館]より引用しました。)

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2.3 土佐日記

「二月十六日」の項の中に、下記のような内容のものがあります。

 原文:今宵(こよひ)、「かかること」と、声高(こわだか)にものもいはせず
 現代語訳:今夜は、「こんなことってなかろう」と、みんなに、声高に言わせはしない。

(上記は、[新編 日本古典文学全集13 土佐日記 蜻蛉日記 校注・訳:菊地靖彦 木村正中 伊牟田経久 小学館]より引用しました。)

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2.4 枕草子

下記に、[音・高度・複合語]が使用されています。

二一 清涼殿の丑寅の隅の

 昼の御座の方には、おものまゐる足音高

七三 うちの局

 こと所の局のやうに、声高くえ笑ひなどもせで、いとよし

二二八 一条の院をば今内裏とぞいふ

 これを御笛に吹かせたまふを、添ひに候ひて、「なほ高く吹かせおはしませ。え聞きさぶらはじ」と申せば

(上記は、[新編 日本古典文学全集18 枕草子 校注・訳:松尾聰 永井和子 小学館]より引用しました。)

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2.5 南総里美八犬伝

[南総里美八犬伝(一) 小池藤五郎 校訂 岩波文庫 黄224-1 岩波書店] 60P に、下記のような内容のものがあります。

 「浩処(かゝるところ)に河下より、声高やかに唄(うた)ひつゝ、こなたを望(さし)て来るものあり。」

[南総里美八犬伝(四) 小池藤五郎 校訂 岩波文庫 黄224-4 岩波書店] 337P に、下記のような内容のものがあります。

 「復説(またとく)。荘介(さうすけ)・小文吾(こぶんご)の二犬士は、功ありながら賞を得ず、稲戸津衛(いなのとつもり)に謀られて、矢庭に搦捕(からめと)られしかば、倶(とも)に怒れる声高やかに、」

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3 浮上した問題点

上記のような調査を行っている中に、またまた問題が浮上しました。

問題:いったいなぜ、[振幅が小さい音]のことを、「高い音」と表現しなかったのだろうか?(江戸時代以前の日本において)

上記の、[1 「高音」って、どんな音?] において、

 [高度]という概念と、[音]に関係するナニモノカとが、複合されて、[高い音]、[高音]、[低い音]、[低音]等の、[音・高度・複合語]が生み出されたのであろう、

と述べました。

[高度]という概念、これは、3次元空間上での位置に関する概念です。

かたや、[音を聴いている時の感覚]、これは、人間の聴覚に関りを持つナニモノカです。

両者([概念・高度]と[音を聴いている時の感覚])には、直接の関係は無いでしょう。

このような、直接の関係無しと思われる両者([概念・高度]と[音を聴いている時の感覚])が、何らかの[仕組み]によって複合され、その結果、[音・高度・複合語]が生み出されたのです。

その[仕組み]からは、なぜか、[振幅が小さい音]のことを、「高い音」と表現する、というような事態は生じてこなかったのです。

それはいったいなぜなのでしょう?

この問題に対して、下記のような答案を作成してみました。

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3.1 単独音波の場合

私は、長野県の諏訪地方にある高等学校を卒業しています。

諏訪地方には、[御柱祭]という祭事があります。

山の中から、16本の木を伐り出し、それを、諏訪大社まで運び、神社の境内に柱として立てる、という趣旨の行事です。

その行事の中で、[木遣り唄]という歌唱が唄われます。

[下諏訪町木遣保存会]のサイト中の、

代表的な木遣り唄

によれば、

 木遣り唄には、「曳行の木遣り」と「神事の木遣り」がある。
 「曳行の木遣り」は、御柱の曳行中に唄われる。
 「神事の木遣り」は、御柱の曳行開始前と、終了後に山の神様をお迎えする、お送りする際に唄われる。

のだそうです。

(ネット上の動画サイトを参照して、[木遣り唄]がどのようなものなのかを、確かめることが可能かもしれません。)

[木遣り唄]を唄っている人の歌声は、とてもよく通る声、と言いましょうか、遠方にも響き渡っていくような音であるように感じられます。

この[音](声の)と、[(御)柱]の視覚的イメージが、とてもよくマッチしているように、私には感じられるのです。

 曳きゆくこの大木、社の地の内に、高々と立つべぇし!

との念をこめての絶唱、とでも言えばよいのでしょうか。

これは単なる、私の個人的・主観的な感覚なのかもしれませんが。
Fig1_2
Fig 1

すなわち、私の心(脳)内の、[木遣り唄]の視覚的イメージは、上図にあるような、[平面の中に、1か所だけ、とても高い部分がある]というイメージ、すなわち、神社の境内に、高い柱が立っている、というようなイメージです。

(数学で言うところの、[特異点]のイメージと言っていいのかどうかは、分かりませんが。)

[下諏訪町木遣保存会]のサイト中の下記コンテンツ

木遣り

の中には、下記のようにあります。

 「木遣りとは、御幣(おんべ)を高くかかげ、天まで抜けるような澄んだ声で曳行の安全を願い、人々に勇気と力が出る様に唄います。」

「天まで抜けるような」という表現、とても興味深いです。

上記のFig1においては、円柱の上端面は一定の高度の所にありますが、[下諏訪町木遣保存会]の方々の心中においては、その上端面は、無限大の高み(すなわち、天)に位置しているのかもしれません。

その方が、諏訪のカミにとっては、都合が良いかもしれません。

[アマテラスの誕生 筑紫申真 講談社学術文庫 1545 講談社]の 203P

において、著者の筑紫申真氏は、諏訪大社の御柱は、天と地とを結ぶカミの昇降のかけはしのなごりであろう、という趣旨の事を、記しています。

ある人間の周囲に様々な音がある中に、突如、ボユーム大の音(振幅が大きい音波)が発生した時、その人の聴覚は、その音に対して、大きな関心・注意を持つのではないでしょうか。

通勤時間帯のプラットフォーム上で、突如、一人の男性が、ベルカント・テノールでもって、イタリア・オペラを歌いはじめ、というような状況を想像してみてください。おそらく、あなたは、その男性に関心・注意を向けることになるでしょう。

そのような状況になった時、古代日本の人々の心中には、下記のような、様々なリンクが生じたのであろうと、私は想像します。

(1)まず、[聴覚]と[視覚的イメージ]とをつなぐ、

 [リンク[聴覚-視覚的イメージ]]

が発生する。
Fig2
Fig2

(2)次に、上図の右側にある[視覚的イメージ]と、[概念・高度」とをつなぐ、

 [リンク[視覚的イメージ-概念・高度]]

が発生する。

Fig3_2
Fig3

(3)そして更に、上記の

 [リンク[聴覚-視覚的イメージ]]
  と
 [リンク[視覚的イメージ-概念・高度]]
  が合成されることにより、

 [リンク[聴覚-概念・高度]]

が形成される。
Fig4_2
Fig4

----------------------
3.2 複数音波の場合

上記においては、ボユーム大の音を発している人は、一人だけでした。

では、多数の人が、ボリューム大の音を同時に発している状況では?

そのような状況になった時、古代日本の人々は、高い波が続々と、自らの方へ向けて押し寄せてくる、このようなイメージを連想したのでは、と想像します。

まさに、上記の萬葉集中の和歌、

 紀伊の海の 名高の浦に 寄する波 音高きかも 逢はぬ児故に

の発想です。

(1)まず、[聴覚]と[視覚的イメージ]とをつなぐ、

 [リンク[聴覚-視覚的イメージ]]

が発生する。

ボリューム小の音波たちが、さざ波を立てている空間において、異なる方向から複数の、ボリューム大の音波が押し寄せてくる、というイメージです、ボリューム大の声を、自分の周囲で複数の人が発している、という状況は。
Fig5_2
Fig5

(2)次に、上図の右側にある[視覚的イメージ]と、[概念・高度」とをつなぐ、

 [リンク[視覚的イメージ-概念・高度]]

が発生する。

 [視覚的イメージ]中の、[高い波]は、[概念・高度]中の、[高]の要素に、
 [視覚的イメージ]中の、[低い波]は、[概念・高度]中の、[低]の要素に、

リンクされます。
Fig6_2
Fig6

(3)そして更に、上記の

 [リンク[聴覚-視覚的イメージ]]
  と
 [リンク[視覚的イメージ-概念・高度]]
  が合成されることにより、

 [リンク[聴覚-概念・高度]]

が形成される。
Fig7_2
Fig7

----------------------
3.3 上記を総合すると:

単独の音の発生にせよ、複数の音の発生にせよ、形成された

 [リンク[聴覚-概念・高度]]

においては、

 [聴覚]中の、[ボリューム大の音波]の要素
は、
 [概念・高度」中の、[高]の要素
に、リンクされます。

このようにして、[リンク[聴覚-概念・高度]]より、[振幅が大きい音(ボリューム大の音)]のことを、「高い音」と表現しようではないか、という発想が生まれたのであろうと、私は想像します。

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