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2017年6月21日 (水)

太平記 現代語訳 6-6 上赤阪城・攻防戦

太平記 現代語訳 インデックス2 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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幕府軍サイド・赤坂城方面軍(注1)の大将・阿曽治時(あそはるとき)は、後続部隊の到着を待ちながら天王寺に2日間逗留。

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(訳者注1)[3巻 5章] 中にも[赤坂城]が登場するが、その城と、この章に登場する[赤坂城]とは、別の城である。千早赤阪村(大阪府・南河内郡)に、[下赤坂城跡]、[上赤坂城跡]があるが、前者が[3巻 5章]に登場する城があった地であり、後者が、この章に登場する城があった地である。[千早赤阪村 公式サイト]中の、[観光案内]のコーナーに、これらの城跡についての詳細な説明がある。
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「2月2日正午に戦闘開始予定。抜け駆けする者は罰に処す!」とのメッセージが、全軍に伝達された。

ここに、武蔵国(むさしこく:埼玉県+東京都)の住人で人見恩阿(ひとみおんあ)という者あり。本間資貞(ほんますけさだ)に対していわく、

人見恩阿 こっちサイドは、それこそ雲霞(うんか)のごとき大軍だからよぉ、敵の城を落とせる事は、まず間違いなしだろうぜ。ただし、だなぁ。

本間資貞 ・・・。

人見恩阿 昨今の世の中の情勢ってぇもんを、よくよく見てみるにだぁ、鎌倉幕府の執権職に北条家が就任し、我が国の政権を握りはじめてから、もうすでに7代を越えてる。

人見恩阿 「満ちたら必ず欠けていく」ってぇのが、天の道理ってもんさぁね。北条家だって、その鉄則から逃れられるわきゃぁねぇんだよ。それにな、臣下の分際でありながら、先帝を流し奉るってなぁ、トンデモネェ悪行までやらかしちまってんだよぉ。そのうちきっと、あの家は滅びていくにちげぇねぇや。

人見恩阿 このオレは、不肖の身だけんどよぉ、北条家から恩を受けて、すでに齢(よわい)70越えちまったわさぁ。この先、人生にテェ(大)した望みもねぇ、オレみてぇなモンがやたらと長生きしてだなぁ、北条家の武運が傾いていく一部始終を、いやでも見せつけられなきゃぁなんねぇ、なんっつう事になっちゃったらぁ、そりゃぁツレェ(辛い)もんだわさぁ。

人見恩阿 そんな事になっちまったんじゃぁ、オレも穏やかな老後を送れねぇだろう。いまわの際になっても余計な妄念に駆られちまって、キレイに成仏もできやしねぇ。

本間資貞 ・・・。

人見恩阿 ってワケでな、オレは明日の合戦で、皆の先を駆けて敵陣に突入して、イのイチバンに討死にしてやろうって思ってんだよぉ。そうなりゃぁ、わが人見家の名だってぇ、末代まで輝やくってもんだろうが、エェ?。

本間資貞 (内心)そうだ、そうだぁ!

本間資貞 人見のオヤッサぁん、あんたナニ、つまんねぇ事、言ってなさるでやんすかぁ。ちょっと周囲(まわり)、見てごらんさないな、周囲を!

人見恩阿 ?・・・。

本間資貞 わしらの周囲にはねぇ、こんな大軍がいるじゃぁねぇですかぁ! こんな大軍団の先頭切って先駆けして、討ち死にしてみたところでねぇ、そりゃぁ、無意味ってもんだぁ。

人見恩阿 ?・・・。

本間資貞 そんなことしてみたって、ナーンの功名にもなりゃしねぇよぉ。

人見恩阿 ・・・。

本間資貞 明日の戦ではね、わしは右左よっく見まわしてね、他人(ひと)サマのなされるように、横並びでいきますよぉ、ワハハハ・・・。

それを聞き、人見恩阿は興ざめしたような面もちで、天王寺の本堂の方へ去っていく。本間資貞は、部下に命じて彼を尾行させた。

石の鳥居の前で恩阿は立ち止まった。そして携帯硯を取り出し、鳥居の柱の上に何やら一筆書いてから、自分の宿所へ帰っていった。

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本間資貞 (内心)あのチョウシじゃぁ、人見のオヤッサン、明日はゼッタイ抜け駆けするよねぇ。他人に先を越されたとあっちゃぁ、わしも面白くねぇやなぁ。

資貞は、注意怠りなくその夜を過ごし、夜明け前、ただ一騎で宿所を出て、東條(とうじょう:大阪府・富田林市)へ向かった。

石川(いしかわ)の河原で夜を明かし、ふと南方を見ると、朝霞の彼方に一人の武士の姿が。紺色の唐綾おどしの鎧に白い母衣(ほろ:注2)を背中に架け、鹿毛の馬に乗って、赤坂城の方へ向かっていく。

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(訳者注2)矢を防ぐために背中に背負う袋状のもの。
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本間資貞 ウゥ? ありゃぁ、イッテェ誰でぇ? もしかして・・・。

馬を寄せてみれば、そこには恩阿の姿が。

人見恩阿 ウワァーオ! 誰かと思えば、ヌシだったかぁ、ワハハハ・・・。

本間資貞 やっぱし、オヤッサンだったかぁ、ブハハハ・・・。

人見恩阿 (笑顔)おいおい、ヌシもよく言うよなぁ・・・「明日の合戦では他人サマの横並びで行く」ってかぁ? フザケンなよぉ!

本間資貞 ダハハハ・・・。

人見恩阿 (馬を急がせながら)昨日のヌシの言う事を真に受けちゃってたら、孫ほどの年のヤツにマンマと出し抜かれってな事に、なってしまってたなぁ。

資貞は恩阿の後につきながら、

本間資貞 なぁなぁ、人見のオヤッサンよぉ、こうなったらもう互いに、先を争う事なんか、やめときましょうや。二人でいっしょに敵陣に、屍さらしちゃってさぁ、あの世までごいっしょしましょうや!

人見恩阿 よかろう!

二人は後になり先になり、よもやま話をしながら、進んでいった。

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赤坂城が見えてきた。

二人は、馬の鼻並べて坂を駆け上がり、堀の際まで寄せ、鐙(あぶみ)を踏ん張り、弓を杖がわりについて大声で叫ぶ。

人見恩阿 オレは、武蔵の国の住人、人見四郎恩阿、年つもって73歳だぁ!

本間資貞 オレは、相模(さがみ:神奈川県)の国の住人、本間九郎資貞、37歳!

人見恩阿 鎌倉を出たその時から、思う事はただ一つ、軍のまっさき駆けて、屍を戦場にさらすのみぃ!

本間資貞 我こそはと思うヤツは、ここまで出てきやがれい! さぁ、勝負だぁ!

二人は、キッと城を睨む。

赤坂城内・楠軍メンバーA なぁなぁ、見てみいなぁ、あの二人!

楠軍メンバーB モロ、関東の武士ですー! っちゅうカンジやなぁ。

楠軍メンバーC いったい、ナニ考えとんねん、あいつら。

楠軍メンバーD きっとなぁ、源平合戦時代の熊谷(くまがい)と平山(ひらやま)の一ノ谷(いちのたに)先駆けの話を伝え聞いてな、あの二人にあこがれとるんやで。

楠軍メンバーA 後に続くもん、一人もおらんようやからなぁ、さほどの重要人物でも、ないやろて。

楠軍メンバーC あんな八方破れの命知らずに、ヘタにかかわりおうて、命落としたらあほらしいわい。ほっとけ、ほっとけぇ。

城内からは返事もない。

人見恩阿 (腹を立てて)オイオイ、朝早くからこうやって名乗りを上げてんのによぉ、そっちから矢の一本のアイサツもねぇのかよぉ! テメェラは臆病者の集団かぁ、それとも、オレタチをバカにしようってのかぁ! そっちがそういうつもりだったらなぁ、こっちだって考えがあるぞ、目にもの見せてやっからなぁ!

恩阿と資貞は馬から飛び降り、堀の上の細橋をサラサラと走り渡って、出塀(だしべい:注3)の側まで肉薄し、木戸を切って落とそうとした。それを見て、城内はにわかに騒がしくなった。障壁の矢窓や櫓の上から雨のように矢が浴びせられ、二人の鎧に簑毛のように突き刺さっていく。

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(訳者注3)矢、石を発射するため、あるいは、物見をするために、外に突き出して造った塀。
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資貞も恩阿も、もとより討ち死に覚悟、一歩も退くはずがない。命を限りに二人して共に戦い、ついに討ち死にしてしまった。

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幕府軍付・従軍僧が、二人の首を乞い受けて天王寺に持ち帰り、資貞の子息・資忠(すけただ)に、事の顛末(てんまつ)を説明した。

本間資忠は、父の首を一目見るなり一言も発せず、ただ涙にむせぶばかり・・・。そのうち、いったい何を思い立ったのであろうか、鎧を肩に投げかけ、馬に鞍を置き、たった一人で陣を立とうとした。

僧はあわてて、その鎧の袖をつかみ、

従軍僧 これこれ、いったいどこへ行かれるのかな?

本間資忠 ・・・(涙)。

従軍僧 お父上はな、この合戦に先駆けして、その名を天下に知らしめようとの、お心だったのですよ。父子共にそろって討ち入りすべきところをな、自分の一命のみを北条殿に献上し、そのかわりに、恩賞を子孫にもたらそうと思われたからこそな、他の人の真っ先切って、討ち死にしていかれたんじゃないですか!

本間資忠 ・・・(涙)。

従軍僧 なのに、せっかくのお父上のそのお心を、深く受け止めることもなく、あなたまでも、敵陣に突入して父子共に戦死してしまったのではな、いったい誰が、お父上の後を継いでいくのかね? いったい誰が、お父上のお残し下された恩賞を、受け取れますか?

本間資忠 ・・・(涙)。

従軍僧 子孫が永遠に栄えるをもってこそ、先祖に対する孝行を表わす道というもの。悲しみのあまり、お父上といっしょに死のうと、無性に思われるそのお気持ち、分からんではないが、とにかく、思いとどまりなされ。

このように、堅く制止する僧の言葉に、資忠は涙を押さえて仕方なく鎧を脱いだ。

従軍僧 (内心)やれやれ、なんとか、わしの言葉を聞き入れてくれたようだ。

僧は安堵し、本間資貞の首を小袖に包み、葬礼を執行するために、近くの野原へ出かけていった。

今は誰も、資忠を制止する者はいない。彼はすぐに陣を出て、聖徳太子の廟の前に走った。

本間資忠 (内心)オレの命も、もう今日限り、だから、今生の名誉栄達なんか願いません。聖徳太子様、どうかお願いです、なにとぞ、大悲を垂れ給ぉて、父が討ち死にした場所の同じ苔の下に埋もれ、極楽浄土に生えてる同じ蓮の葉の上に、父といっしょに、生まれ変わらせて下さい!

泣く泣く祈念を込め、涙ながらに、本間資忠は陣を出た。

石の鳥居を通り過ぎる時にふと見ると、父とともに討死にした人見恩阿が書き付けた歌があった。

本間資忠 (内心)オレたちの事、後の世までも、みんなに覚えておいてほしい!

彼は、右の小指を食い切り、その血でもって、人見の歌の側に自ら一首書き添えた後、赤坂城へ向かった。

城近くなったあたりで、馬から下りて弓を脇に挟み、木戸を叩いていわく、

本間資忠 おーい! おーい! 誰かぁ! あんたらに一つ、頼みたい事があってなぁ、ここまでやって来たぁ!

しばらくして、楠軍のメンバー二人が、櫓の狭間(さま)から顔をのぞかせた。

楠軍メンバーE オマエ、いったい、どこの誰じゃい?

本間資忠 オレはなぁ、今朝、この城で討死にした本間九郎資貞の息子、源内兵衛資忠(げんないひょうえすけただ)ってぇモンだ!

楠軍メンバーF ・・・。

本間資忠 「人の親の、子を思う哀れみ、心の闇に、迷う習い」ってことでなぁ、父子モロトモ討死、なんてぇ悲しい事にならねぇようにと、オレには何も言わねぇで、オレのオヤジはたった一人で、あの世へ行っちまったのさぁ。今頃きっと、冥土の旅路の伴も無しに、この世とあの世の境目あたりで、道に迷ってることだろうぜ。

楠軍メンバーE ・・・。

本間資忠 そんなオヤジの事を思うと、いてもたってもいられなくなってなぁ、オレもいっしょに討死にして、死んだ後までも、オヤジに孝行しようと思ってなぁ、たった一騎でここへやってきたのヨォ。(涙)

楠軍メンバーF ウーン・・・。

本間資忠 なぁ、頼む、頼むからよぉ、この城の大将にさ、オレがここへやってきたワケ、伝えてくんねぇかなぁ。頼むから、この木戸、開いてくれよ! オヤジが討死にしたその場所で、オレも死にてぇんだ。そうなりゃあ、親孝行してぇオレの願いも、ミゴトかなうってもんじゃねぇかぁ。(涙)

涙にむせびながら慇懃に願う資忠に、一の木戸を固めている武士50余人は、彼の孝行の心と志の優しさに哀れみをおぼえ、すぐに木戸を開き、逆茂木(さかもぎ)を取り除いた。

本間資忠 礼を言うぜ! よぉし、行くぞぉ!

資忠は馬にうち乗り、城中へ駆け入り、楠側の50余人と火花を散らしながら切りあった。そしてついに、父が討たれたその場所で、太刀を口にくわえてうつぶせに倒れ、刀に身を貫かれて絶命した。

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世間の声G あぁ、なんとまぁ、おしい人の命が、次々と失われてしまったことだろう。

世間の声H 同感だねぇ。まずは、本間資貞。他に並ぶ者の無い、立派な武士だったと思うよ。まさにこのような人をこそ、「国家の為になくてはならぬ人」と言うんだろうなぁ。

世間の声I その子息の資忠も、とても立派だったと思うよ。比類なき忠孝の勇士とも言うべきかなぁ。こんな立派な息子がいたおかげで、本間の家名も大いに上がったってもんだ。

世間の声J いやいや、人見恩阿だって、立派なもんさ。年老いて齢重ねてもなお、義の心を忘れなかった。しかも、その時々に応じて、自らの運命をよく見極めたんだもんなぁ。

世間の声K こんな立派な人間が、3人もろともに討死にしてしまっただなんて、実に悲しいことだなぁ。

世間の声多数 同感、同感。

彼らと面識ある者もない者も、一人として彼らの死を歎かぬ者はなかった。

「3人が秘かに先駆けして赤坂城へ向かい、共に討死」との情報に、大将・阿曽治時は、すぐに天王寺を出て赤坂城へ向かった。

途中、聖徳太子廟の前で馬から下り、石の鳥居を見ると、左の柱に歌が一種。

 花も咲かぬ 桜の老木(おいき) 朽ちるとも その名残すぞ いついつまでもな

 (原文)花さかぬ 老木(おいき)の櫻(さくら) 朽(くち)ぬとも 其(そ)の名は苔(こけ)の 下に隠れじ(注4)

 武蔵国住人 人見四郎恩阿 生年七十三 正慶二年二月二日
 赤坂城へ向かいて 武恩を報ぜん為に 討死に仕り 畢(おわ)んぬ

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(訳者注4)もはや一花も咲かせる事もできなくなった桜の老木に自らをなぞらえた歌。
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また右の柱を見れば、次のような歌が。

 待てしばし 子を思う闇に お迷いか 案内(あない)しましょう 六道分岐(ろくどうぶんき)

 (原文)まてしばし 子を思う闇に 迷(まよう)らん 六(むつ)の街(ちまた:注5)の 道しるべせん

 相模国住人 本間九郎資貞が嫡子、源内兵衛資忠 生年十八歳 正慶二年仲春二日
 父の死骸を枕にして 同じ戦場に命を止(とど)め 畢(おわ)んぬ

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(訳者注5)地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、以上6個の世界を「六道(ろくどう)」と言う。ちまた(道股)」とはそこへ至る「複数の道の分かれる所」という意味である。子(資忠)を残して死んで行った父(資貞)が、中有(ちゅうう=現生界と霊界とのミッドフィールドエリア)まで行きついたものの、子供への思いに後ろ髪引かれ(「子を思う闇」)、そこで進退窮まっているのではなかろうか、ならば自分もそこに赴いて父と共に霊界へ、という思いを込めて、資忠はこの歌を詠んだのである。
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かたや父子の恩義、はたまた君臣の忠貞、余す所なく表現した歌が2首。詠み手の遺骨ははや風化して、黄色の土一盛りの下に朽ちはててしまったが、彼らの高名はいまもなお世界に留まり、青雲九天(せいうんきゅうてん)の上にいや高し。故に、現在に至るまでも、その石の鳥居の上に消え残った三十一字(みそひともじ:注6)を見る人は皆、感涙を流さずにはおられない。

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(訳者注6)和歌の事である。(標準形では31文字から構成されているので)。
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赤坂城方面軍大将・阿曽治時(あそはるとき)は、8万余の軍勢を率いて、赤坂城へ押し寄せた。

城の周囲20余町に展開して、雲霞(うんか)のごとき包囲網を形成の後、幕府軍は一斉にトキの声を上げた。

阿曽治時 エーイ! エーイ!

幕府軍一同 オーーウ!

その声は山を動かし地を震わせ、大空の果てまでもたちまちに、裂いてしまうかと思われるほど。

赤坂城の三方は屏風を立てたような高い崖で守られており、ただ南方だけが平地に続いていた。しかしそこには広く深い掘があった。掘のすぐ向うには塀が立てられ、その上に櫓が構えられている。このような極めて強固な防衛配置ゆえ、いかなる大力早業の者といえども、そうそうたやすく、攻めれるような城では決してない。

しかし、幕府軍サイドは、自らの大勢を頼み、楠軍サイドの防備を、完全に侮(あなど)っていた。

盾に身を隠す事もせずに、矢の射程距離圏に進み出て、堀の中へ走り下り、切岸(きりぎし)を這い上がろうとする。それを狙いすました楠軍サイドは、塀の内から屈強の射手たちが号令一下、思う存分に矢を射まくる。

このようなわけで、突撃を行うたびに、幕府軍サイドには、負傷者・戦死者500人、600人という状態に。

これをも意に介さず、新手を次々に前線に投入し、2月13日まで攻め続けてみたが、楠軍サイドの防衛体制には、いささかの揺るぎも見えない。

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播磨国(はりまこく)住人・吉川八郎(きっかわはちろう)が、阿曽治時の前に進み出ていわく、

吉川八郎 この城の防備を見る限り、力攻めでは、とても落とせませんわ。かといぅて、兵糧攻めにしてみたところで、ラチあきませんで。楠はここ一両年、和泉・河内両国を占領してからに、そこから徴発した食料をよぉけ、城の中に運び込んどぉからなぁ。食料かてそうそう急には、無くなりませんやろて。

阿曽治時 ・・・。

吉川八郎 んでな、ナンか城攻めのえぇ方法ないやろかなぁと、わし、イロイロと考えてみよったんですわ。で、ある事に思い当たったんです。

阿曽治時 いったいどんな?

吉川八郎 あの城、三方は切り立ってて、崖になってますやろ。残りの一方は平地で、山からも遠ぉ隔たってますやんかぁ。そないな地形やのに、城の中の連中は、いったいどこから水を手に入れとぉんや? どこからも水が採れるはずないやんか、そうですやろ?

阿曽治時 うーん、言われてみれば、なるほど。

吉川八郎 こっちから射こんだ火矢でも、ポンプ使ぉてじきに、消火されてしまいますやろ? いったいなんで、あの城の中、そないに水が豊富にあるねん? 最近とんと、雨も降っとらんのにや。

阿曽治時 フーン!

吉川八郎 おそらく、地底に設置されとぉ樋(とい)でもって、南方の山奥の方から城の中まで、水、引ぃとぉんやぁ!

阿曽治時 ウーン!

吉川八郎 はよ、人夫かき集めはってな、山麓近くの土の中、掘らしてみはったら、どないですかいな?

阿曽治時 よーし!

阿曽治時はさっそく人夫を集め、山の尾根と城との接点に狙いをつけ、そこを横一文字に掘らせてみた。

吉川八郎の推測は見事に的中した。地表から2丈ほどの深さのところに樋を発見。側面には石を敷き並べ、上側には桧の板をかぶせ、10町ほどかなたから城中までエンエンと、その樋を使って水を引いていたのである。

この水路を止められてから、城中では水が欠乏し、楠軍サイドでは、ノドの渇きを忍びがたくなっていった。それから4、5日ほどは、草葉に結ぶ朝露を舐め、夜は湿気に潤う地面に伏しながら、雨の降るのをひたすら待ち続けた。しかし、一向に雨は降ってくれない。

これに利を得た幕府軍サイドは、火矢を連続射撃し、城の大手の櫓2つを焼き落とすことに成功した。

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城中に一滴の水も無くなってから、すでに12日が経過しようとしている。

楠軍メンバーL あーぁ・・・(ハァハァ)。もう、どうしようもなくなってきたなぁ・・・。(ハァハァ)

楠軍メンバーM 水飲めへんとなぁ・・・(ハァハァ)、力もナァも出てきぃひんやんけ・・・。(ハァハァ)

楠軍メンバーN もうあかんなぁ・・・(ハァー)。いよいよ、最期の覚悟、かためる時がきてしもたんかなぁ・・・(ハァハァ)。

楠軍メンバーL 人間、いったん死んだら、二度とこの世へは帰って来れへんのや・・・(ハァー)。なぁ、みんな、どうせ死なんならんのやったら、力がまだ少しでも残っとる、今のうちにやで・・・(ハァー)、城から打って出て、敵とさしちがえて・・・(ハァー)思い思いに、討死にしてしまおうなぁ・・・(ハァハァ)。

楠軍メンバーM そうやなぁ・・・(ハァー)。もう、こないなったら、それしかないわなぁ・・・(ハァハァ)。

楠軍メンバーN 城の木戸開いて、みんな一斉にうって出よ・・・(ハァハァ)。

楠軍メンバーO そうや、そうやぁー・・・(ハァハァ)。

これを聞いた赤坂城防衛軍・総大将・平野将監入道(ひらのしょうげんにゅうどう)は、櫓から走り降り、袖をひかえていわく、

平野将監 こらこら、おまえら、ちょい待ったらんかい! 一斉にうって出るやとぉ、そないな軽はずみな事して、どないすんねん!

楠軍メンバー一同・・・。

平野将監 水も飲めんとからに、みんなもう、力つきてしもてるやんけ。こないなザマで、城からうって出たかて、相手にとって不足ないような敵と、ワタリあえるはず、ないやん。名もない連中らの中間(ちゅうげん)や下部(しもべ)らに生け捕りにされてしもて、恥さらすが落ちやぞぉ。

楠軍メンバー一同・・・。

平野将監 よぉよぉ考えてみるにやな、吉野と金剛山の城はいまだにもちこたえとるし、中国地方で蜂起した連中らも、まだがんばっとる。そやから、ここの城のメンバーが降参して出ていったかて、むやみに殺されるような事にもならんやろ。ワイらを殺してしもたら、他の連中らはもうイジになってしもて、絶対に降参せぇへんようになってまうからな。幕府側かて、そないなアホな事はせんやろて。

楠軍メンバー一同・・・。

平野将監 もうとにかく、どうにもしょうのないワイらやねんからなぁ、ここは敵を欺いて、いったん降伏しといてや、命を全うしながら、好機がまた到来するのを待つ、いう事にしよぉや!

楠軍メンバー一同 (うなずく)・・・(ハァハァ)。

というわけで、その日の楠軍玉砕(ぎょくさい)は中止となった。

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翌日の戦闘のさ中、平野将監は高櫓に登り、大声で幕府軍側に呼びかけた。

平野将監 おぉい! 幕府軍側の大将に申し上げたい事があるんや。しばらく戦闘中止して、わしの言う事、聞いてくれへんかなぁ!

阿曽治時 城の方で何か叫んでるぞ。おい、渋谷(しぶや)、敵の言い分を聞いてこい!

渋谷十郎 はい、分かりました。

城の木戸の前で、

渋谷十郎 そちらの言い分、聞こうではないか!

平野将監 楠が和泉と河内の両国を平らげて威勢を振るっとったもんやから、ワイらはひとまずその難を逃れるためにな、心ならずも楠の配下に入って、幕府の敵側に回ってしもぉたんやわ。そのへんの細かい事情を、はよ京都に行って、六波羅庁のおえら方に、ちゃんとお伝えせんとあかんなぁ、と思ぉてたとこにやな、いきなりそっちが、こないな大軍で押しかけて来た、というわけやがな。こないなったらしゃぁない、こっちも弓矢取る武士のはしくれっちゅうことでやな、一戦交えることになってしもぉたんやわなぁ。

渋谷十郎 ・・・。

平野将監 こういう事情があって、幕府に逆ろぉてしもぉたワイらの罪を許したる、言うてくれはんのやったらな、ワイら、今すぐにでも首を伸ばして、降参してもよろしいんやでぇ。そやけどな、「あかん! 許さんぞ!」言ぅんやったら、そらもぉしゃぁない、最後まで抵抗して、陣中に屍をさらすまでや。城側の大将がこういう風に言ぅてると、そっちの総大将に伝えてぇなぁ。

これを聞いた阿曽治時は大いに喜び、「将軍発行・領地現状維持保証書(注7)」を作成し、「赤坂城防衛軍側のメンバー中、殊に功績あった者については、恩賞付与を建議する」と返答して、休戦とした。

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(訳者注7)原文では「本領安堵の御教書」。
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城内にこもっていた楠軍メンバー282人は、明日にも無くなる我が命ともつゆ知らず、水に渇く苦しさに耐えきれずに、ついに全員降伏して城を出た。彼らは、長崎高貞(ながさきたかさだ)に引き渡された。

長崎高貞 降伏してきた者に対しては、まずはこのようにするのが、古来からのならわしだ。

楠軍メンバー全員の甲冑、大刀、小刀を没収し、後ろ手に厳しく縛り上げ、六波羅庁送りとした。

楠軍メンバーL あぁ、こないな事になるんやったら、あの時、玉砕してた方がよっぽどよかったわぁ。(涙)。

楠軍メンバー一同 ほんまや!(涙、涙)。

後悔すれども、どうしようもなし。数日後、彼らは京都に到着、縛り上げられたまま、六波羅庁に留置された。

やがて、「やつらを、戦初めの軍神への贄(にえ)にしよう、ヤツラの首を見りゃぁ、みんな懲りるだろうよ」ということになり、六条河原へ引き出されて一人残らず首を刎ねられ、獄門にされされてしまった。

これを聞いて、吉野(よしの)や金剛山(こうごうさん)にたてこもる倒幕勢力の者らは、ライオンのごとくに怒って歯噛みする。以降、幕府側への降伏を考える者など皆無となってしまった。

世間の声W それにしても、今回の六波羅庁のこの処置、いったいなんですねん!

世間の声X ほんまに、ムチャなこと、しよりますなぁ。

世間の声Y 「処罰を緩くするは将の謀(はかりごと)」っちゅう言葉を知らんのんかいなぁ、六波羅庁の連中らは。

世間の声Z ほんまにもう、最低の処置ですわ。

それから程無くして、このような酷い処置を下した六波羅庁の面々がことごとく滅亡してしまったというのだから、人間の運命というものは、まことに不可思議という他はない。

情けは人の為ならず(注8)。

あまりにもおごりを極め、我がまま放題に振るまっているものだから、武運も早々と尽きてしまったのである。因果の道理というものをわきまえるならば、こういった事がらに関しては、よくよく心して当たるべきである。

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(訳者注8)「他に対して情けを施こす」という行為は善因となり、それが善果を産む故に、やがては自分にとってうれしい報いとして帰ってくる。
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太平記 現代語訳 インデックス2 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

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