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2017年7月 7日 (金)

太平記 現代語訳 7-2 楠正成、千剣破城において、幕府軍100万を翻弄

太平記 現代語訳 インデックス2 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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楠正成(くすのきまさしげ)がたてこもる金剛山(こんごうさん)の千剣破城(ちはやじょう:大阪府・南河内郡・千早赤阪村)へ向かった幕府軍は当初80万騎であったが、赤坂方面軍と吉野方面軍もそれに加わってきたので、ついに総勢100万騎を超える大軍となった。

城の2、3里四方、寸土の隙間もなく幕府軍は充満、まるで大相撲会場のようである。風に翻ってなびく軍旗は秋野のススキの穂よりも繁く、剣戟(けんげき)陽光にきらめくさまは暁の霜が枯れ野に敷くがごとくである。その威勢は山をも動かさんばかり、軍勢ひとたびトキの声を上げれば、地軸もたちまち砕け散らんかと思われるほど。

このような大軍の包囲をものともせず、わずか1000人足らずの小勢にて、誰を頼み何を待つともなしに、重圧に耐えて城内にじっとこもり続ける楠正成の心魂、いやはやまことに、大胆不敵としか言う他はない。

城の立地条件は実に理想的である。東西方向側面は深く切り立つ谷で守られていて、とても人間には登れそうにない。南北方向は金剛山の細い尾根続き、その途中にある小高い峰の上に、城はあった。

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幕府軍リーダーA あんな城、大したことねぇよ。高さ2町ほどの山の上にあるチッポケな城じゃないか。

幕府軍リーダーB あのカンジじゃぁ、どう見たって、広さは周囲1里足らずってとこかなぁ。

幕府軍リーダーC イッキに攻め落とそうや!

幕府軍リーダー一同 よーし!

楠軍側の防備を侮り、幕府軍は最初の2日間は、対抗陣地の設営もせず、城攻めの用具の準備もしないままに、強攻を繰り返した。みな我先にと、盾をかざしながら、城の木戸口まで登っていく。

しかし、楠軍側にはいささかの動揺も見られず、その応戦は沈着冷静極まりない。高櫓(たかやぐら)の上から大石を連投しては、幕府軍側の盾をみじんに砕く。アワを食って右往左往している所へすかさず、矢の連射を浴びせかける。幕府軍メンバーは四方の坂から転落し、谷底には死傷者が折り重なっていく。

このようにして、幕府軍側、たった1日のうちに、5000ないし6000人が死傷、という惨憺たる結果に終わってしまった。侍大将・長崎高貞(ながさきたかさだ)が死傷者の調査を行ったところ、12人の書記が3昼夜ぶっとおしでリストアップ作業をせざるをえないような状況であった。

幕府軍リーダーA いかんいかん、こりゃぁタイヘンな事になっちまったぞぉ。

幕府軍リーダーB このまま攻め続けてたんじゃぁ、非常にまずい! 早いとこ、作戦練り直さなきゃ。

幕府軍リーダーC とにかく、全軍に、戦闘ストップの指令を!

というわけで、「この先、大将の指示無しに合戦を始めてはいかん! これに従わぬ者は厳罰に処す!」とのメッセージが全軍に発令、とりあえず戦闘はストップ、城の周囲に各々の陣をまずは構えて、ということになった。

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赤坂方面軍大将・金澤右馬助(かなざわうまのすけ:注1)は、大佛高直(おさらぎたかなお)と陸奥家時(むついえとき)に対していわく、

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(訳者注1)これは太平記作者のミス記述であろう。6-6では、赤坂城攻めの総大将は阿曽治時になっている。
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金澤右馬助 あのねぇ・・・こないだの赤坂城攻略戦での勝利だけどさぁ・・・あれまったく、わが軍のさ、士卒の手柄でもなんでも無かったんだよねぇ。あの城の水の確保の仕組みを、推理しただけのことなんだ。でもってさ、首尾よく水の供給ラインを止めれたんでね、敵はすぐに降参したってわけ。

大佛高直 ふーん、そうだったのかぁ。

金澤右馬助 でぇ、その時の経験をもってして、この城の配備を見てみるにだなぁ。

陸奥家時 ・・・。

金澤右馬助 (城の方向を指差して)ほら、見ろよぉ、あの城はさぁ、あんなに小さい山の頂に立ってんじゃん? ってことはだよ、城の中に水が採れる井戸なんか、あるわきゃぁねえよなぁ、そうだろぉ?

陸奥家時 うん・・・。

金澤右馬助 他の山から取水できるような設備も、無いようだ。なのに、なのにどうして、あの城の内には、あんなに水がふんだんにあるんだい?

大佛高直 なるほど。

金澤右馬助 あれ見て、あれ、ほら、山の東側の山麓、谷川が流れてるじゃん?(谷川を指さす)。

陸奥家時 あぁ、あの川ね。

金澤右馬助 連中、毎晩あの川のとこまで下りてきてな、あそこで水を汲んではな、城に持って帰ってるんだ・・・オレはそうニランだね。

陸奥家時 ウーン・・・。

金澤右馬助 ってコトはだよ、その水汲み作業を阻止してしまやぁ、こっちの勝ちって事になりゃしない? あっという間に城内には水が無くなるからさぁ。どうだろうね、わが軍の主要メンバー2人ほどをリーダーに任命してさ、あの谷川に、「水汲み阻止部隊」を配備してみるってのは?

陸奥家時 なるほど、いいね、それいいよ!

大佛高直 水汲み阻止部隊のリーダー、誰がいいかなぁ・・・名越(なごや)殿にやってもらおうか?

陸奥家時 それでいぃんじゃぁなぁい。

というわけで、名越越前守をリーダーに任命、その配下の名越グループ3000余人を適宜配置して問題の谷川の水辺に陣を取り、城からそこへの降り道の方々に逆茂木(さかもぎ)を設置、水を汲みに下りてくるのを今か今かと待ちかまえた。

しかし、城を守るは、勇気と智謀をあわせ持つ楠正成、水の事に手抜かりがあろうはずがない。

築城の当初、彼はまず水の便を調査し、峰を通って修行する山伏たちが水を汲む、「五所の秘水(ごしょのひすい)」と呼ばれる水源を見つけていた。一夜のうちにしたたり落ちる水量は約5石、日照りが何日続いでも、その水源は枯れることが決して無い。

楠正成 (内心)うーん・・・城にこもる人間の通常の飲料水を確保するだけやったら、これで十分やろ。そやけど、いざ合戦が始まったとなると、火矢を消すために水が必要になるし、体の動きも激しいから普段より喉も渇くやろう・・・となると、この水量だけでは、とても足らんわなぁ。

そこで正成は、大きな木の水槽を2、300個ほど作らせ、普段からそこに貯水しておくようにしておいた。さらに、城中数100か所ほど、建物の軒に樋を取り着け、降った雨水が一滴ももれなく、その水槽に流れ込むようにした。水槽の底には赤土を沈めて、水質を保つようにした。

楠正成 (内心)よーし、これでえぇわい。こないしといたらな、たとえ5、60日雨が降らいでも、この城は絶対に持ちこたえれるんじゃい。それ以上長い間、雨が降らんなんちゅうことは、まずあり得んわいな。

築城の当初からここまで考え抜いていたその智慮のほど、いやはやまことに深いものである。

というわけで、水を汲むために、わざわざ城から谷川のほとりまで降りてくるような者など一人もいない。

川べりに陣取った名越グループの面々は、最初のうちこそは緊張し、夜がくる度に心をはりつめ、楠軍の水汲み部隊の下りてくるのを、今か今かと待ちかまえていたのだが、日が過ぎるにつれて、だんだんと気が緩み、ダラケてきた。

名越グループ・メンバーD あーぁ、やんなっちゃうなぁ。待てど暮らせど、ヒトッコヒトリ現れやしねぇ。

名越グループ・メンバーE こんなとこまで水汲みに、ノコノコ下りて来るヤツなんて、本当にいるんかぁ?

警戒は、どんどんおろそかになっていく。

その様子を見すました正成は、

楠正成 フフフ・・・だいぶ、ダラケてきはりましたようでんなぁ。ほならここらで、イッパツ、イテこましたろかい。

彼は、屈強の者2、300人から成る奇襲部隊を編成し、夜陰に乗じて城から下らせた。

夜明け前の霞がかかって何も見えない中に、楠軍奇襲部隊は名越グループに襲いかかり、水辺の張り番をしていた者20余人を切り伏せ、勢い激しく斬りかかって行った。

名越グループは、ひとたまりもなく、ただただ退却あるのみ。これを見た数万の幕府軍は応援に駆けつけようとするのだが、谷を隔て尾根を隔てたその現場には、容易に接近することができない。

幕府軍側が、時を空しく費やしている間に、楠軍奇襲部隊は、遺棄された名越グループの旗や大幕などを取り、静かに城へ引きあげていった。

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翌日、城の大手に旗が立てられた。見れば三本唐傘の紋入り、同様の紋入りの幕も掲げられている。それを凝視する幕府軍の面前に、城内から二人の武士が現れた。

楠軍メンバーF あらあら、オクサマぁ。そこにあるその美しいお旗、いったいどないしはったんどすかぁ?

楠軍メンバーG あぁーら、このお旗ざぁますかぁ。これはですねえぇ、昨夜、テマエドモが、名越様から頂きました、オ旗なんざぁますのよぉーん、オホホホ・・・。

楠軍メンバーF いやぁ、そうでしたんかいなぁ、そらよろしぉましたなぁ、キョホホホ・・・。

楠軍メンバーG ですけどねえぇ、残念ながらこのお旗、名越家の御紋入りざぁましょぉ? ですからねえぇ、よそさまへ贈り物にお回しするってわけにも、いきませんのよねぇ、オホホホホ・・・。

楠軍メンバーF と、いうわけですよってになぁ、名越家のダンはん方、どうぞここまでお越しやして、この旗と幕、お持ち帰りになっとくれやしておくれやしておくれやすぅー、キョホホホホホホホ、ホーホケキョ!

楠軍一同 うわっはっはっは・・・きゃきゃきゃきゃ・・・うぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ・・・。

幕府軍メンバー一同 ウワッ、こりゃぁ名越殿、一大不覚を取っちゃったねぇ。

名越家メンバーK あ、あいつら!

名越家メンバーL クッソォォ!

名越家メンバーM 許せねぇ!

名越家メンバーN ただじゃぁおかねぇぞ!

名越越前守 えぇい、わが家のものども、一人残らず城の木戸を枕に、討死にィー!

この命令一下、名越軍5000余人は、決死の勢いで城に向かって突撃を開始! 討たれようと射られようと、ものともせず、身内の者の死骸を乗り越え乗り越え進み、城の防備の逆木(さかもぎ)を一線うち破り、切岸の下まで攻め上る。しかし、そこから先は険しく切り立っていて、気ばかりはやるが一寸先にも進めない。ただ徒(いたずら)に城を睨み、怒りを押さえながら息を継ぐしかない。

楠正成 よし、行けぇ!

楠軍一同 おう!

楠軍一同の刀 ピシーン、ピシーン!

綱 プスーン、プスーン!

大木約10本 グラ・・・グラ・・・グラ・・・ガラガラガラガラドシャドシャドシャ・・・。

楠軍が一斉に綱を切るや否や、切り岸の上に横たえられていた大木10本ほどが名越軍の頭上を襲った。ドミノ倒しのごとくに下敷きとなり、およそ4、500人ほどが圧死。転げ落ちてくる大木を避けようとあわてふためいているところに、今度は方々の櫓から、矢の狙い撃ち。名越軍は5000余の戦死者を出して、残りわずかになってしまった。

このようにして、その日の戦闘もあっけなく終わってしまった。

戦場周辺の住民X まことに意気だけは、勇猛果敢な名越家の面々では、あったんやけど、

戦場周辺の住民Y 大した戦果を上げる事もなく、徒(いたずら)に、大量の戦死者を出してしもぉた。

戦場周辺の住民Z 結局のところ、旗を奪われた恥辱の上に、さらに人的損害を重ねただけのことやないかいな、あぁ、アホラシ。

名越家に対する世間の評価はさんざんである。

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予想だにせぬ戦況の展開に、幕府軍側には、「楠、侮り難し」の気分が充満、開戦当初とはうって変わり、勇み進んで城を攻めようとする者は皆無となってしまった。

長崎高貞いわく、

長崎高貞 これ以上いくら力攻めにしたって、戦死者が増えるばっかし、とても成果は出ねぇでやんしょ。こうなったら、城を厳重に包囲して、兵糧攻めで行きやすかぁ。

ということで、全軍戦闘中止となった。

たちまちみんな、退屈に耐えられなくなってきた。やがて、連歌師などを京都から呼びよせて、「一万句連歌大会」が始まった。その初日の発句(ほっく)、

長崎師宗(ながさきもろむね) さき(先)懸(が)けて かつ(注2)色み(見)せよ 山桜 (原文のまま)

それに続けて、

工藤次郎右衛門尉 嵐や花の かたき(仇)なるらん (原文のまま)

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(訳者注2)「かつ(一方では)」と「勝つ」とをかけている。
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両句ともに、詞使(ことばづか)い巧みでその句体は優美である。しかし、味方を桜花になぞらえ、それを散らす嵐に敵をたとえるとは、なんとまぁ、エンギの悪い句を詠んだものであろうかとは、すべて後になって思い知られた事である。

高貞の命により全軍戦を止めてしまったので、陣中のつれづれを何とかしてなぐさめるしかない。こちらでは囲碁(いご)や双六(すごろく)を打って日を送り、あちらでは「抹茶ブレンド配合当て100回大会」、「紅白和歌合戦」などして興じながら、夜を明かす。

こうなっては城内の楠側も、かえって張り合いが無くなり、気も晴れなくなってくる。それから数日経過後、

楠正成 さぁてと、またそろそろ、あちゃらさんとイッチョウ遊んで、眠気ざましといきましょかいなぁ。

楠正成 おぁい、オマエラ、えぇか、今からなぁ、城の中のゴミ、そうや、ゴミ集めてこい!

楠軍メンバーF (小声で)おいおい、うちのタイショウ、またなんか、オモロイ事考えとるでぇ。

楠軍メンバーG (小声で)ウシシシ・・・。

集めてきたゴミでもって等身大の人形を2、30体ほど作り、甲冑を着せて武器を持たせた。そして、夜の間に城の麓にその人形を立て、その前に折り畳み式盾を並べた。さらにその後方には、ツワモノぞろいの500人を配置した。

夜明けと共に、朝霞の中から500人は一斉にトキの声を上げた!

楠軍一同 エェイ、エェイ、ウワァーーーイ! カンカンカンカン、ドンドンドンドン、パァプー、パァプー、パァプー!

幕府軍リーダーA おぉ、あのトキの声は!

幕府軍リーダーB 城から打って出てきたぞ!

幕府軍リーダーC よーし、これで、敵も運の尽き!

幕府軍リーダーA 死を覚悟しての、狂気の出撃ってとこかぁ!

幕府軍リーダーD ものども、かかれぇ!

幕府軍は我先にと、城に向かって突進した。

楠軍はかねてからの手はず通り、少しの間は矢を放って応戦するかのように見せかけて幕府軍を引きつけた後、人形だけを木の間隠れに残し、徐々に城に退却していった。

幕府軍は人形を本物の武者だと思いこみ、それを討ち取ろうと一斉に集中していく。楠正成の術中に完全にハマッテしまい、わなに吸い寄せられていく幕府軍・・・。

楠正成 よぉし、イケェー!

楠軍一同 おぉう!

巨岩 ゴロゴロゴロゴロドスドスドスドス!

楠軍は幕府軍の頭上めがけて、巨岩4、50個を一斉に落とした。幕府軍の頭上を襲う巨大な岩塊・・・一箇所に集中していた幕府軍はたちまち300余が即死、半死半生の者、500余人。

戦場周辺の住民X 後になって、よぉよぉ見てみたら、

戦場周辺の住民Y 「あいつら、ほんまにスゴイやっちゃらやなぁ、こちらの猛攻に対して、一歩も後に退かへんやないかい」と思ぉてた、当の相手の楠軍の武者たち、実は、実は、

戦場周辺の住民Z 人間やのぉて、ワラで作った人形やったとは。

戦場周辺の住民X そんなワラ人形フゼイを倒そうと、ドバドバ集まっていったあげくに、

戦場周辺の住民Y 岩に押しつぶされ、矢に当たって、死んでもたところでなぁ、

戦場周辺の住民Z なんの手柄にも、なりゃぁせんわいて。

戦場周辺の住民X かというてやで、その相手を怖がって、よぉかかって行かへんかった連中らかて、まぁ、ブザマなもんやないかいな。ダイの男が人形相手に、おびえて震えとったっちゅうわけやもんなぁ。

戦場周辺の住民Y 今回のこの一件で、そいつらの臆病心が、見事に露見してしもぉたというわけや。

戦場周辺の住民Z まぁなんともはや、ナサケナイ話やなぁ。

このように、人形に立ち向かっていった者、おびえて立ちすくんでしまった者、双方いずれも、万人の物笑いの酒の肴にされてしまったのであった。

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これより後は、更に戦闘を控えるようになった。諸国から集まってきた幕府軍の面々は、ただ徒らに城を見上げているだけで、何の作戦も展開できない。

このような状況に、いったい誰の仕業であろうか、一首の替え歌が書き付けられた札が、長崎高貞の陣の前に。

 ただじっと 指をくわえて 見てるしか しょうがないのか 峰の楠の木

 (原文)余所(よそ)にのみ 見てや々(止)みなん 葛城(かづらき)の たかま(高間)の山の 峯の楠(注3)

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(訳者注3)この替え歌の元歌は

 よそにのみ 見てややみなん 葛城や 高間の山の 峰の白雲

(新古今和歌集巻11 恋歌1 読人不知(よみびとしらず))

葛城山系・高間山の山頂にかかる白雲を、片思いの相手になぞらえて、「相手をただ遠くに見ているしかない、何の進展の可能性もありえないなぁ、我が恋は」との、嘆きの歌。
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戦闘も無く、ただブラブラしているだけの毎日は、まことに退屈なものである。無聊(ぶりょう)をまぎらわすため、どこのリーダーの陣も、江口(えぐち:大阪市・淀川区)や神崎(かんざき:兵庫県・尼崎市)から遊女たちを呼び寄せて、様々に遊びはじめた。

名越遠江入道(なごやとおとおみにゅうどう)と名越兵庫助(なごやひょうごのすけ)は叔父・甥の間柄であり、共に一軍のリーダーとして、攻め口近くに陣を並べていた。ある日、二人は遊女と共に、双六(すごろく)遊びをしていたのだが、

名越兵庫助 あれっ、その駒運び、なんかヘンだよ。

名越遠江入道 おまえ、いったいナニ言ってんだ、どこがヘンなんだ!

名越兵庫助 だってさ、それじゃぁ、振って出たサイの目と違うじゃないかぁ!

名越遠江入道 おかしな事を言うヤツだ! このわしの双六プレイに、ケチをつけようってのか!

名越兵庫助 おぉかしいものは、おかしいんだよぉ! 武士のくせに、卑怯なマネするない! そんな、ゴマカシの手ぇやめて、正々堂々と勝負しろよなぁ!

名越遠江入道 なにぃ、正々堂々と勝負だとぉ! よぉし、おもしれぇじゃねぇか、相手になってやるぜい!(刀を抜く)

名越兵庫助 おぅ、やるってのかい!(刀を抜く)

遊女たち キャァーー!

激した二人は刀で戦い始め、互いに突き合って共倒れ。互いに何の恨みもないはずの双方の家臣たちも、刀を抜いて渡り合い、あっという間に200余人もの死者が出てしまった。

楠軍側F おいおい、あれ見たってぇなあ、同士討ちしとるやんけ!

楠軍側G 天皇陛下にたてついて、天罰受けてなぁ、自滅していきよるモンらのブザマな姿、みんな、よぉよぉ見とけよぉーっちゅうことじゃぁ!

楠木軍一同 わははは・・・。

まったく、ただ事ではない。欲界の頂に住する第六天魔・波旬(だいろくてんまはじゅん)のしわざとしか思えないほどの、まさに驚くべき事件であった。

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同年3月4日、鎌倉から急使が。

使者 こちらの方では、戦闘を完全にストップされているそうですね。で、それを聞いた幕府のお偉方、もう、メッチャ怒ってますよぉ。「いってぇ何してやがんでぇ、とっとと城攻めを再開しろい」ってねぇ。

さっそく作戦会議。

幕府軍リーダーA うーん・・・何かいい作戦、ねぇかなぁ!

幕府軍リーダーB こちらの陣と敵城との間にある、あの深い堀、あれをなんとかしなきゃぁな。

幕府軍リーダーC 堀の上に橋を渡して、そこから一気に突入ってのは、どうかなぁ?

幕府軍リーダー一同 それでいってみよう!

さっそく京都から、大工500余人が呼び寄せられた。

厚さ5、6寸ないし8、9寸の材木を集めて、幅1丈5尺、長さ20丈あまりの、かけ橋を作らせた。

完成したそのかけ橋に、太縄を2、3,000筋も巻き付け、滑車を使って、城の側の岸の上へ倒しかけることに成功した。古代中国・魯(ろ)の公輸般(こうしゅはん)が造ったという、「雲まで届く橋」も、かくありなん、という感じである。

はやりたった幕府軍の武者5、6,000人は、その橋の上を渡り、われ先にと、前進していく。あわや、千剣破城もついに落城か・・・。

しかしながら、幕府軍の作戦のことごとくを、正成は読みきっていたのである。

楠正成 よーし、火攻めじゃー! 松明ーぅ!

楠軍一同 うぉーーい!

楠軍メンバーらは、投げ松明(たいまつ)の先に火をつけ、橋めがけてポンポン投げつける。松明はみるみる、薪のように橋の上に堆積していく。

楠正成 よーし、油ぁー!

楠軍一同 うぉーーい!

ポンプを使って、橋の上に油を滝のように注ぐ。あっという間に、松明の火は橋げたに燃え移った。谷から吹き上げる強風にあおられて、巨大な炎が立ち昇る。

先頭切って橋の上を進んでいた者たちは、完全に身動きが取れなくなってしまった。前へ進めば、燃えさかる猛火にまかれて身を焦がすだけ、後退しようと思っても、後続の者たちが、前方で何が起こっているのかも分からないまま、どんどん押し寄せてくる。横へ飛び降りようと思っても、眼下には深い谷、そびえ立つ岩、肝も凍らんばかり。

「どうしよう、どうしよう」と、いらだちながら押し合っているうちに、燃えさかる橋げたはついに二つに折れ、谷底へ落下。数千人の幕府軍は、橋もろとも猛火の中へ落ち、一人残らず焼死。八大地獄(はちだいじごく)に落ちた罪人が、刀山剣樹(とうさんけんじゅ)に貫かれ、猛火鉄湯(もうかてっとう)に身を焦がす有様もかくや、というほどの惨状である。

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やがて、吉野(よしの:奈良県・吉野郡・吉野町)、十津川(とつがわ:奈良県・吉野郡・十津川村)、宇多(うだ:奈良県・宇陀郡)、内郡(うちごおり:奈良県・(旧)宇智郡)一帯の野伏(のぶし)7,000余人が、護良親王(もりよししんのう)の命を受けて集結、こちらの峰、あちらの谷へと出没しては、千剣破城攻め幕府軍のロジスティックスライン(注4)を、至る所で寸断しはじめた。

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(訳者注4)後方から戦場への食糧等の運搬を、[ロジスティックス(logistics)]と言い、その輸送ルートを、[ロジスティックスライン]と言う。長期の遠征においては、ロジスティックスの確保が極めて重要となる事は、言うまでもない。
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護良親王のこの後方攪乱(こうほうかくらん)工作はみるみる効を奏しはじめ、遠方諸国からの遠征軍主体で構成されている幕府軍の食糧は、たちまち底を尽いてしまった。人も馬も消耗しきって、もはや持久戦を維持する事は不可能となり、100騎、200騎と次々に戦線を離脱し、自らの領地へ引き上げはじめた。

周辺の地理に詳しい野伏らは、あちらこちらの場所で彼らを待ちかまえ、襲いかかってくる。

戦場周辺の住民X いやぁ、戦場を離脱してみたもののなぁ、その後がまたまたタイヘンみたいですよぉ。

戦場周辺の住民Y いや、ホンマに。野伏に襲われて、日々夜々に命を落とす人は、もう数えきれんほどや。

戦場周辺の住民Z 野伏らの襲撃をかろうじてかいくぐって、なんとか命をつないだ幸運な連中らでさえも、馬も鎧もなぁも無し状態や。何もかも道中に捨てていってしまいよったもんなあ。

戦場周辺の住民X 着物もはぎ取られ、丸裸になってしもぉてなぁ。

戦場周辺の住民Y 破れ簑(みの)を身にまとぉて、肌をかろうじて隠したり、

戦場周辺の住民Z それさえもよぉ手に入れんかったモン(者)は、しょうことなしに、草の葉を腰に巻いて・・・あぁ、カッコワルゥ。

戦場周辺の住民X 恥をかきかき、毎日毎日、次から次へと、四方八方へ逃亡していきよんねんわ。

まさに、前代未聞の恥辱としか、いう他はない。わが日本国の武士たちが先祖代々伝えてきた家伝の鎧、太刀、小刀はみなことごとく、この時に、行方知れずになってしまったのである。

戦場周辺の住民X 例の、名越遠江入道と名越兵庫助の二人は、つまらん口論がモトで、共に命を失ぉてしもぉたし、

戦場周辺の住民Y 幕府軍の他のメンバーらも、親が討たれたら、子は出家姿になって、姿をくらましてしまいよる、

戦場周辺の住民Z 主人が負傷してしもぉたら、家臣はそれを守って、領地へ退却していきよる。

かくして、当初「公称80万」であった幕府軍も、今はわずか、「実数10万余」にまで、減じてしまった。

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