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2017年9月 3日 (日)

太平記 現代語訳 11-8 越中においても、幕府側勢力、消滅

太平記 現代語訳 インデックス3 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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越中国(えっちゅうこく:富山県)には、守護・名越時有(なごやときあり)、その弟・有公(ありとも)、その甥・貞持(さだもち)の3人がいた。

出羽(でわ:東北地方の日本海側一帯)と越後(えちご:新潟県)の倒幕側勢力が、北陸道経由で京都へ攻め上ろうとしている、との情報を得た彼らは、その途中で討幕軍の進軍を遮ろうとした。

彼らは、越中の二塚(ふたつづか:富山県・高岡市)という所に陣を置いて、近隣の武士たちを招集した。

そうした所に、「六波羅庁すでに落ち、関東でも戦起こって反乱軍が鎌倉に押し寄せ」いうような、様々な情報が入ってくる。そこで、催促に従って集合していた能登国(のとこく:石川県北部)や越中国の武士たちは、放生津(ほうしょうづ:富山県・新湊市)へ退却し、態度を一変して、逆に名越の陣を攻めようと企てはじめた。

この情勢を見て、「わが身に代えても、わが命に代えても、殿をお守りしよう」と、これまで、義を持って忠節を示してきた郎従たちまでもが、しばらくするうち皆、逃亡してしまい、中には敵軍に加わってしまう者まで現れた。朝に来たり暮れに往って交わりを結び深い情けを通じてきた朋友たちまでも、たちまちに心変りしてしまい、かえって名越に危害を加えようという思いまで、持ちはじめた。

今となっては残り留っているのは、三族(父方、母方、妻の実家)に連なる親戚と、代々の重恩を被ってきた譜代の家臣たち、総勢わずか79人だけである。

5月17日の正午、「倒幕軍、すでに1万余にて接近」との知らせに、「我らのこのような小勢で合戦してみたところで、いかほどの事が出来ようか。なまじいな戦いをしてつまらない敵の手に掛かり、縄目の恥を受けるともなれば、後代までの嘲りを受ける事になるだろう。敵の接近せぬうちに、女性・幼少の人々を舟に載せて沖で沈め、自分たちは城中にて自害しよう」と決し、館を出立した。

名越時有の妻は、結婚して今年で21年目、二人の男子を懐の内にいつくしみ育ててきた。上の子は9歳、下の子は7歳である。

名越有公の妻は、結婚して3年余り、妊娠数か月の身である。

名越貞持の妻は、つい4、5日前、京都から迎えた身分高い女性である。その絶世の美貌を玉飾りのすだれごしにほのかに見た時から、何とかして彼女をと、思いこがれて3年経過、ようやく手だてをめぐらし、彼女を盗み出し、嫁に迎えた貞持であった。

名越貞持 (内心)ようやく夫婦になれてから、まだ数日しか経ってないじゃないか。

名越貞持 (内心)あの頃は、もう夢中だったなぁ。彼女と会えれば、命なんて、もうどうなってもかまわないって、思ってた。でも、その命が、今は惜しいんだ・・・。

恋に悩んでいた月日は、天人が羽衣で石をすり減らす時間よりも長く、やっと一緒になれた後の時間は、春の夜の夢よりも短い。たちまちにして、この愛別離苦に会わねばならぬ前世からの悲しい定め。

木の葉末から落ちる露、木の根本から落ちる雫、どちらが先に落ちて行くのか。

愛する人に後れ、あるいは先立つ事こそ、悲しいものと聞いてはいたが、浪の上と煙の底に、沈み焦がれる別離の悲しさ、これをいったい何とせん・・・互いに名残を惜しみつつ、伏し倒れて泣き続ける、若い二人。

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そうこうするうち、討幕軍が早くも押し寄せてきたのであろうか、「馬が蹴立てる土煙が、東西に上がっている」と、みなが騒ぎはじめた。

女性と幼い人々は、みな泣きながら舟に乗り込み、沖合遥かめがけて、舟は漕ぎ出した。

あぁ、何と恨めしき追い風であろうか、しばしも止まずに、去り行く人を波路はるかに吹き送るとは。情け容赦無きの引き潮や、漕ぎゆく舟をただひたすらに、浜から遠くに引いて行かんとするか。かの松浦の佐用姫(さよひめ)が、玉嶋山の頂からスカーフ振って、沖を行く恋人の舟を引き戻そうと試みたその哀れな心中、今にしてよくよく思い知られる。

船頭は櫓をかいて、舟を波間に留めた。

間もなく、一人の女が二人の子を左右の脇に抱きかかえ、二人の女は手に手を取って、同時に海に身を投げた。

紅色の袴が暫く浪の上に漂うその様、吉野川や立田川の流水に、落花紅葉の散乱したるごとくに見える。やがてそれも、寄せ来る浪に呑まれ、次第に沈み行くのを見果てて後、城に残留の人々79人、みな一斉に腹かっ切って、兵火の底に焼け死んでいった。

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名越家の男女の魂魄(こんぱく)は亡霊となり、なおもかの地に留まり、夫婦互いに合い引き合う妄念を遺したのであろうか、最近、越後から京都への旅の途上、ある舟人がこんな体験をしたという。

そこの浦を通過しようとした時、にわかに風が強まり波がとても荒くなってきたので、碇をおろして、沖に舟を留めた。

夜更けになって、ようやく波は静まったが、松の梢を吹きぬける風といい、葦(あし)の花の上に輝く月といい、旅の途中の停泊、何か、うす気味悪いものが感じられてくる。

その時、はるか沖合いの方から、女の泣き悲しむ声が・・・いったいあれは何だろうかと、怪しんでいると、今度は汀の方から男の声がする。

声 頼むぅ・・・そこの舟ぇー・・・この岸まで寄せてくれぇーー。

このように叫ぶ、数人の男の声がするのである。やむを得ず舟人は、舟を汀に寄せた。すると、立派な風体の男が3人、船室に乗り込んできた。

男A あそこの沖まで・・・この舟で・・・連れていってくれないか。

舟人は、彼らを載せて舟を漕ぎ出し、沖の潮が満ちくる指定された場所で、舟を止めた。

なんと、3人の男は、舟から海上に降りていくではないか。広々とした波の上に、彼らの体は少しも沈まずに立っている。

しばらくすると、年の頃16、7歳から20歳くらいまでの、様々な色の衣に赤い袴をはいた女が3人、波の底から浮かび上がってきた。

なぜか分からぬが、彼女らは、しきりに泣いている。男たちは、彼女らをいとおしそうに見つめ、男女は互いに近づこうとする。すると、猛火にわかに燃え出でて、炎が、男女の間をさえ切った。

やがて、3人の女は、男たちに思い焦がれる様を示しつつ、波の底に沈んでいった。男たちは、泣きながら、波の上を岸に泳ぎ帰り、二塚の方へ歩み去ろうとした。

あまりの不思議さに、舟人は彼らの後を追いかけ、男の袖を引いて問うてみた。

舟人 あんたらは、いったいどういうお方なんですか?

男A 私は、名越時有だ。

男B 同じく、有公

男C 貞持。

このように各々名乗った後、男たちは、かき消すように消えてしまった、というのである。

インドのジュッバガは、王女に懸想して恋慕の炎に身を焦がし、わが国の宇治の橋姫は、夫を慕ってわが身を淵に投じたという。これは皆、大昔の不思議の出来事、古い記録に書かれている事である。しかし今、目の前にこのような事が、現実となって現われたとは・・・。

名越家の男女らのその妄念の程、まことに救われないものがあるではないか・・・あぁ哀れなり。

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