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2018年1月12日 (金)

太平記 現代語訳 20-4 新田義貞、延暦寺に同盟勧誘文を送る

太平記 現代語訳 インデックス4 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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「いざ、京都へ!」と勇みたつ新田義貞(にったよしさだ)に、児島高徳(こじまたかのり)いわく、

児島高徳 いや、ちょっと待った!

新田義貞 うん?

児島高道 前の京都での合戦の時もな、朝廷軍は比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)にたてこもったけど、結局はそこを維持できんかったでしょ? あの時の敗因はいったい何だったかのぉ? 戦闘に負けたからではない、北陸地方の敵に、我が方のロジスティックスライン、すなわち、食料輸送ルートを遮断されてしもぉたから、ただそれだけのことじゃ。

新田義貞 うん・・・そうだったよね。

児島高徳 今回も、それと似たような状況になりゃせんかのぉ? たとえ比叡山上に陣を置いたとしても、また同(おんな)じ事の繰り返しになってしまいよりますでぇ。

新田義貞 うーん・・・。

児島高徳 そうならん為にな、越前や加賀の主な城に我が方の軍勢を残して、ロジスティックスラインをきっちり確保しとくんじゃ。そいでもってな、新田義貞殿と脇屋義助(わきやよしすけ)殿とお二人で、6,000ないし7,000騎の軍勢を率いて、比叡山に陣を進め、京都を、毎日毎夜攻める。これこそまさに、根を深くしホゾを堅くする戦略。そうすりゃ、八幡の朝廷軍への援護にもなるじゃろうし、ついには、京都におる逆徒らを亡ぼす事もできよりますじゃろう。

新田義貞 なるほど!

児島高徳 ただ問題はな、延暦寺の連中らの思惑じゃ。少ない軍勢でもって比叡山に上って行ったら、衆徒連中ら、こっちの期待とは逆に、離反せんとも限らんですけぇのぉ。

新田義貞 うーん。

児島高徳 まずは、延暦寺へ同盟勧誘文を送ってみて、彼らの意向を探ってみなさるがえぇ。

新田義貞 なぁるほどぉ! いやいや、児島殿の言われる事、いちいちごもっとも。深謀遠慮(しんぼうえんりょ)とはまさに、こういうのを言うんだろうな。ならばいっちょう、同盟勧誘文、書いてみてくんない?

児島高徳 OK!

高徳の心中には、すでにその文面までもが出来上がっていたのであろう、すぐに筆を取って書き始めた。

その内容は以下の通り。

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正四位上(しょうよんいのじょう)・行(ぎょう:注1)・左近衛中将(さこのえちゅうじょう)・兼・播磨守(はりまのかみ)・源朝臣義貞(みなもとのあそんよしさだ)より、延暦寺宗務局へ寄する同盟勧誘

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(訳者注1)位に比して低い職にある時に、「行」と書いた。
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速やかに貴寺よりの御厚誼(こうぎ)を頂き、逆臣たる尊氏(たかうじ)・直義(ただよし)以下の党類を誅罰し、仏法(ぶっぽう)と王法(おうぼう)の光栄をもたらさんことを請い願うの義

ひそかに考察して深遠なる道を聞くに、桓武天皇(かんむてんのう)が、詔(みことのり)をもって延暦寺の基を築かれしは、大いなる天皇の徳化によって、顕密両宗(けんみつりょうしゅう)を未来永劫にわたって大いに興隆せんがため。伝教大師(でんぎょうだいし)が、朝廷に対して表を奉って王城を鎮めしは、仏法の威力をもって、国家の太平を無窮の未来にわたって護らんがため。

しかれば、延暦寺の衰微を聞いては、これを悼(いた)み、朝廷の傾廃を見ては、これを悲しむ。天皇の聖なる位とて、延暦寺の三千の衆徒の存在無くして、もちこたえることは不可能である。

さて、去る元弘年間(げんこうねんかん)の始め、我が国の政治権力構造が一変して、国中が朝廷になびくようになってより後(注2)、源家の末裔(まつえい)に、尊氏と直義という者あり。

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(訳者注2)原文:「一天革命、四海帰風之後」。
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両者いずれも、忠も無いくせに大禄を貪り、才能もないのに高官に登る。分際を超えた陛下からの恩顧を自ら誇り、万事すべて満ち欠けする自然の道理をもかえりみず、たちまち君臣の義を捨て、狼のごとき悪心を抱く。

その害、ついに万民に及び、尊氏・直義兄弟のもたらす禍は、日本全土を覆い尽す。朝廷も止むを得ず、これに天誅を下さんとした結果、戦乱はついに宮中にまで及び、天皇陛下は難を逃れて比叡山に遷座されるに至った。

その時、貴寺は、危機に瀕された陛下をよく助け、凡庸なる臣・新田義貞もまた(注3)、暴逆の輩を退けんと、共にあい謀ったのであった。

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(訳者注3)自らをへりくだって、このように書いているのである。
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しかしながら・・・。

あぁ、人間のまっとうなる道を守って死を選ぶ者の、なんと少いことか、利欲の門前に群がる者の、なんと多いことか・・・。

朝廷軍はあえなく敗れ、聖主は逆徒らの囚われの身になってしまわれた。さらに、辺境の城・金崎(かねがさき)において、皇子は戦場の刃(やいば)に自ら伏された。(注4)

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(訳者注4)尊良親王の自害の事を言っている。
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それ以降、逆徒らは、いよいよ意を恣(ほしいまま)にして、理非曲直をもわきまえぬ刑罰を、みだりに執行してきた。まさに、暴虐にして人道の破壊者、ありとあらゆる悪の道を、余す所無く極めんとするか。

あぁ、もはや、天をささえる綱も切れ、日月(にちげつ)の掛かる所も無し。地軸は傾き、山川を載せることもできなくなってしまった。見るがよい、昨今のこの異常なる世相を! 人はみな、耳をそばだて、ただただ目を奪われるばかり!

しかし、私・新田義貞は、なんとしてでも捲土重来(けんどじゅうらい)を果たさんと、炭を呑み刃(やいば)を含んで(注5)、逆賊・足利兄弟に迫って彼らをうち倒す機会を、じっと窺い続けてきた。

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(訳者注5)原文には、「呑炭含刃」とある。史記に、「炭を呑んで声を変え、変装して仇に接近して仇を討たん・・・」という話があるが、「刃」の方は「刃を懐に隠し持って・・・」となっている。
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果たせるかな、「天皇陛下、都の南山(なんざん)・吉野(よしの)に遷座され、衆星が北極星の周囲に集まるがごとく、廷身らもそこに続々と参集」との報が。よってここに、陛下よりのご厚恩を思い起こし、何としてでもそれにおこたえせんと、私は奮い立った。

見よ、わが全身に充満せるこの憤怒!

かくして、都より遠隔のこの地・越前において兵を起し、この地の一部の者らの支持を得るに、ようやく至った。その後、謀略を用いて、敵を自滅へと追い込み、敵の城を降した。その戦、未だ半ばにして、一挙に勝利を決し、敵を四方に退けた。(注6)

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(訳者注6)越前国府攻略の事を言っている。
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その昔、范蠡(はんれい)は黄池において、呉軍3万を破り、周瑜(しゅうゆ)は赤壁(せきへき)において、魏(ぎ)軍10万を捕虜にした。(注7)

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(訳者注7)赤壁の戦。三国志演義の山場である。
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私の今回のこの勝利は、彼らのそれに比べれば、取るに足るものではないが、いまや、国をあげて、朝敵・足利に、天誅が加えられようとしているのである。

天は、私・義貞に対して、陛下の爪牙(そうが)の任を与えたもうた。かくなる上は、もはや、これからの戦の行方について、あれやこれやと考えているひまなどあるものか、腕を振るい、京都に向けて、今まさに進撃を開始するまで!

私とのかつてのよしみを、基寺がお捨てにならなければ、必ずや、かの大敵・足利を、我がこの二本の手でとりひしぐ事ができよう。

伝え聞くところによれば、古から今に至るまで、基寺の他を護持する力は、天地の間に超絶す、というではないか。

承和年間に、大威徳明王法(だいいとくみょうおうぼう)を修して、兄をさしおいて弟の皇子を帝位につけたのも、その一例。また、承平年間に、四天王の像を安置し、平将門(たいらのまさかど)の鉄身をついに傷(やぶ)ったのも、その一例。

ゆえに、我が良運を基寺の七社の冥応に頼み、私の勝利に向けて、再び一山あげての懇祈を請い願うものである。

つらつら思うに、悪は尊氏の方にあり、義は私の方にある。天下の治乱と基寺の安危にとって、いったいどちらが大事なのか、よくよく思案していただきたい。

早急に、わが同盟勧誘に対する基寺の承諾の評決を頂いて、双方時を同じくして、大軍を京都へ進め、錦の御旗を都の中央にうち立てたいものである。

以上、私の言いたいことを文書で申し上げた。なにとぞよろしく!

延元3年7月日
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新田義貞からの勧誘を受けた比叡山延暦寺では、さっそく会議が招集された。

延暦寺衆徒リーダーA あぁ、思いだすなぁ、あの時のことを・・・春と夏と二回もなぁ、陛下は、この比叡山へ臨幸しはったんやった。

延暦寺衆徒リーダーB そうやったなぁ・・・あの時、わしらは粉骨砕身の忠功を、陛下に尽くしたんやった。

延暦寺衆徒リーダーC その功績あって、領地をよぉけ(たくさん)、頂いたんやけど。

延暦寺衆徒リーダーD ところが、情勢は急変、新田らは北陸に落ちていくわ、陛下は京都に還幸してしまはるわで・・・。

延暦寺衆徒リーダーE わしらの望みも、みんないっぺんに消えてしもぉた。

延暦寺衆徒リーダーF そやからな、「あぁ、何か思いがけへん事でも起こって、再び、陛下が政権を奪回されますようにーっ」とな。

延暦寺衆徒リーダーA 毎日毎日、祈念込めてきてましたんやわ。

延暦寺衆徒リーダーB そないな中に、新田義貞からのこの勧誘文やろ。

延暦寺衆徒リーダーC よぉ言うてきてくれたで、ほんま、嬉しいわぁ。

延暦寺衆徒リーダーD 新田義貞からの誘い、わし大歓迎や! みなは、どないだ?

延暦寺衆徒リーダー一同 大歓迎ぇーぃっ!

7月23日、軍務担当の衆徒らは、大講堂の庭で会議した後、返答を、義貞のもとに送った。その内容は以下の通り。

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延暦寺より新田左近衛中将家への同盟合意

先日頂いた朝敵追罰の件に関して

国内の擾乱を鎮め、国家に太平をもたらすことは、武将が自らの忠節に励むゆえに可能となる事である。

一方、百代の帝王の皇位を祈り、天地の禍を消すことにかけては、我が比叡山延暦寺の右に出るものは無い。

武将と寺院、それぞれ道は異なるが、その期する所は結局のところ、同じ。両者の間には、一本の境界線を引く事もできぬであろう。

さてさて、かの足利尊氏と直義の行状をつらつらと見るに、その暴悪のひどさは、我が国の開闢(かいびゃく)以来、類を見ないほどである。「仏法と王法の怨敵(おんてき)」などというレベルのものではない、まさに、「国を害し民を害する賊徒」そのものである!

いみじくも、かの孟子(もうし)も言わく、「己(おのれ)より出(いず)ることは己に帰る」と。今ますぐに、彼らが滅んでしまわねば、いったいいつまで待てばよいのやら。

とはいいながらも、逆臣がますます威を振るい、義士が困惑するのが世の常。いったいなぜ、このような事になってしまうのであろうか?

呉王・夫差(ごおう・ふさ)は、越(えつ)を併合して国力を増強したものの、勾踐(こうせん)に亡ぼされ、項羽(こうう)は、山を抜く力がありながらも、ついには漢の高祖によって捕えられた。

いったいなぜ、このような結果になったのか? 呉は、義無くしてただ猛く、漢は、仁ありて正しかったからである。

国家の安危は、結局の所、天命によって決定される。

ゆえに、我ら延暦寺衆徒一同は、内には、貴方の忠烈の心をよしとして、新田義貞殿の佳運を祈り、外には、聖主の尊崇をかたじけなく頂いて、天皇陛下の治国の道を祈り続けてきた。

「この熱願が天に通じて、速やかに、何かしらの良き動きが生じないものか」と念願していたところに、越前より使者が来たりて、貴方からの赤心あふれるメッセージを、もたらしてくれた。我ら一山(いっさん)、欣悦至極(きんえつしごく)この上なし。山王七社(さんのうななしゃ)の霊力、まさに今、顕現(けんげん)せり!

つらつら、往昔(おうじゃく)を回想して人の運命の吉凶を鑑みるに、「この人間には味方せず」と、ひとたび当山が決意したならば、たとえ、世の中こぞって彼を支持したとしても、事は成らない。それが証拠に、治承(じしょう)年間の源平争乱の時、我らの支持を得られなかった以仁親王(もちひとしんのう)は、ついに都の外で没したもうた。

それとは逆に、わが寺が真摯に支援した時には、敵がいくら軍勢を集めて防御をかためてみても、防ぎきれるものではない。元暦(げんりゃく)年間の初め、源義仲(みなもとのよしなか)は、我らの支持をとりつけて、速やかに、京都入りを果たしたではないか!

人間の心の動きは、すべて、神慮によって発生するものである。あちらの人間を捨て、こちらの人間を取る、これもすべて、神慮の赴く所。

かくなる次第で、満山の群議、今や決した。我ら比叡山延暦寺は、新田義貞殿に協力する! これで、凶徒を誅戮(ちゅうりく)できること、疑い無し。

時は至れり、一刻たりとも、京都への進軍を遅らせること、ありませぬように!

貴殿よりの同盟勧誘への我が方の返答、以上、文書にて申し上げた。

延元3年7月日
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延暦寺からのこの返答は、やがて越前に到着、これを見た義貞は大喜び。

新田義貞 (内心)よぉし、すぐに上洛だぁ!

新田義貞 (内心)いや、待てよ・・・越前を完全に放置して京都へ行っちまったら、斯波高経(しばたかつね)め、またまた兵を起こして、北陸道を塞いじまうんだろうなぁ・・・うーん。

新田義貞 (内心)しょうがねぇなぁ、軍を二手に分けて、越前を確保しながら、京都を攻めるべし、か。

というわけで、新田義貞は3,000余騎を率いて越前に残留、京都へは脇屋義助(わきやよしすけ)が進軍、という事になった。

7月某日、脇屋義助は2万余騎を率いて越前国府を出発し、翌日、敦賀湊(つるがみなと:福井県・敦賀市)に到着した。

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