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2018年1月13日 (土)

太平記 現代語訳 20-5 高師直、八幡に焼き討ちをかける

太平記 現代語訳 インデックス4 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。

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「脇屋義助(わきやよしすけ)率いる新田軍、敦賀(つるが:福井県・敦賀市)へ到着!」との報に、

足利尊氏(あしかがたかうじ) (内心)なんだって! 八幡(やわた:京都府・八幡市)をまだ落とせず、我が方は苦戦しているというのに、こんどは北から、脇屋か・・・。しかも、あの延暦寺(えんりゃくじ:滋賀県・大津市)と連合して。エライ事になってしまった。

足利尊氏 (内心)この期(ご)に及んで京都から退却したりなどしたら、吉野(よしの:奈良県・吉野郡・吉野町)の連中らに、一気につけこまれてしまう。

足利尊氏 師直(もろなお)に伝えよ、「重大事態にならぬ前に、八幡の戦をさしおいて急ぎ京都へ帰り、北陸方面から寄せくる敵に備えよ」と。

尊氏側近メンバー一同 ハハッ!

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尊氏からのその指令を聞いて、高師直(こうのもろなお)は、

高師直 (内心)ふーん・・・。京都へ帰ってこいってかぁ。

高師直 (内心)けどなぁ、ここまで八幡を攻めながら、それを落とさないまま引き返すなんてぇ・・・吉野の連中らはきっと、手をたたいて大喜びするだろうぜ。

高師直 (内心)かといって、京都を放っちらかしといたんじゃぁ、北陸方面から来る敵につけ入られてしまうしなぁ・・・。

高師直 (内心)さてさて、師直よ、いったいどちらを取るべきか・・・八幡に留まるべきか、京都へ行くべきか、それが問題だ。

高師直 (内心)よぉし、こうなりゃ、手段を選ばずでい!

師直は、うでききの忍びの者を選んで(注1)、風雨に紛れて夜、八幡山へ潜入させ、八幡神社に放火させた。

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(訳者注1)原文では、「逸物の忍」。
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この社に祭られている八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)は、もったいなくも王城鎮護(おうじょうちんご)の宗廟(そうびょう)にして、代々の源氏がことさら崇敬(すうけい)深くしてきた霊神である。いくらなんでも社殿に放火などというような悪行までは、足利サイドはしないだろうと、春日軍サイドは油断していた。

突如、社に上がった火の手を見て、みなパニック状態となり、煙の下に迷倒。

これを見て、足利軍10万余騎は、四方の谷々から一斉に攻め上り、一の木戸口を突破、さらに、二の木戸口へと侵攻していった。

この場所は、三方向は険阻な地形になっていて登りにくく、防衛は容易。ウィークポイントは山の西方、山麓の平地までなだらかな坂になっている。

そこに、わずかに乾堀(からほり:注2)一重のみを掘って守りの頼りとしていた。春日軍メンバー500余騎がそこを守っていたが、神殿を焼く炎や攻め上ってくる足利軍の激しい勢いに気を呑まれてしまい、全員、浮き足たちはじめた。

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(訳者注2)水を入れてない堀。
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八幡を守る軍の中に、多田入道(ただのにゅうどう)の手の者で、高木十郎(たかぎじゅうろう)、松山九郎(まつやまくろう)という二人の有名な武士がいた。

高木十郎は、心は剛なれども力が足らず、松山九郎は、力には優れるものの、その心は臆病であった。二人いっしょに同じ方面に配置されていたが、一の木戸を足利軍に攻め破られて二の木戸まで後退し、そこで防戦に努めていた。

今や、足利軍が逆茂木(さかもぎ)を引き破り、二の木戸までも打ち破ろうとしているというのに、松山九郎は例のごとく、恐怖に手足を震わせ、戦う気配も見せない。これを見た高木十郎は、眼をいからせ、腰の刀に手をかけて、

高木十郎 おまえ、いったいナニ考えとんねん!

松山九郎 ガチガチガチガチ・・・。(震えて歯が合わさる音)

高木十郎 敵はな、山の四方をビシッと囲んで、一人残らずい(殺)てまえと、一斉に攻め上ってきとんねんぞ。この木戸を破られてもたら、もう後が無いんや、後がぁ!

高木十郎 そないなったらもう、主な大将連中はもちろんのこと、わしらまでみな、命無くすんやないか。せやからな、この木戸は何としてでも死守せんとあかんのや! そやのに、おまえは、臆病風に吹かれて、ガタガタ震えとるだけやないかい! あぁほんまに、なんちゅう情けないやっちゃねん、おまえという男はぁ!

松山九郎 ガチガチガチガチ・・・。

高木十郎 「おれの力は百人力、二百人力」いうて、いつもおまえは自慢しとるけど、いったい何の為の百人力なんや、えぇ?

松山九郎 ガチガチガチガチ・・・。

高木十郎 えぇい、もうえぇ! ここで震えとるだけで、どうしても敵と戦わへんいうんやったらな、わしにも考えがあるぞ! 敵の手にかかって死ぬなんてオモロないわい、今ここでお前と刺し違ぉて、死んでもたる!

そのあまりの形相に、九郎は、足利軍よりも、すぐ側にいる十郎の方が恐ろしく思えたのであろうか、

松山九郎 ちょ、ちょっと待ってぇや・・・ガチガチガチガチ・・・わかった、わかったがな・・・ガチガチガチガチ・・・公私のケジメつけんならん大事な今のこの時や、わいも命は惜しまんがな・・・ガチガチガチガチ・・・ほなら一戦して、敵にわしの力を見せつけたる・・・ガチガチガチガチ・・・。

九郎は、震えながら前線に走り出て、傍らにあった五六人がかりでしか持ち上げられないような巨岩に手をかけた。彼はそれを軽々とひっつかみ、足利軍の密集しているど真ん中に投げ込んだ。

さらにもう一個、さらにもう一個・・・九郎は、14ないし15個の巨岩を投げつけた。崩れくる大山のごときこの巨岩に打たれて、足利軍数万は将棋倒しとなり、一斉に谷底へ転落していった。自らの太刀や長刀に貫かれて落命する者の数は幾千万人にも達した。

世間の声A いやぁ、八幡の陣、今夜中にでも落ちてしまうかいなぁと、思われましたが。

世間の声B よぉ持ちこたえたもんですわなぁ。

世間の声C 防衛側の一番の殊勲者は、なんちゅうても、あの松山九郎でっしゃろ。

世間の声D いやいや、松山のあの大力もなぁ、言うなれば、高木十郎の体から発したようなもんですわいな。

世間の声E ほんに、言われてみれば、なるほどなぁ。

世間の声一同 わはははは・・・。

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敦賀まで進出してきた脇屋軍にも「八幡山炎上」の情報は伝わり、「八幡はもうすでに、攻め落とされてしまったのではないだろうか」と言いだす者もいた。「確実な情報を把握できるまで、このまま敦賀で待機しよう」ということになり、彼らは、徒に日数を送ってしまった。

一方、八幡の守備サイドは、食料が底をついてしまった。食料を社頭に積んでいたので、全て燃えてしまったのである。よって、北陸からの援軍を待つ事も不可能となってしまった。

6月27日の夜半、彼らはひそかに八幡から退却し、河内(かわち:大阪府南東部)へ戻った。

もう4、5日、彼らががんばって八幡にとどまり、脇屋軍も敦賀に逗留することなく軍を先に進めていたならば、たった一戦の下に、京都を攻略できていたものを・・・。「後醍醐天皇の聖運、未だ時至らず」ということであろうか、敦賀と八幡、両軍の呼吸が合わずに共に退いて帰ってしまったとは・・・まったくもって、「後醍醐天皇側はツイテなかった」の一語に尽きる。

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