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2018年6月11日 (月)

太平記 現代語訳 39-10 神功皇后の遠征

太平記 現代語訳 インデックス8 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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(訳者前置き)この章に書かれている事も、史実からほど遠い内容であろう。

日本の歴史学の世界において、ここで取り上げられている時代ほど、扱いにくい時代は無いのでは、と思う。信頼できる史料が存在しないからだ。

第二次大戦が終了した後、日本にもようやく、[学問の自由]と[言論の自由]が根付き、「[古事記]や[日本書記]に書かれている事は、本当にあった事なのかどうか」、というような事を、おおっぴらに論じることができるようになった。

その結果、この章にあるような、[神功皇后が朝鮮半島に遠征して・・・]というような事は、史実ではない、ということが、日本史の常識となった。

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これははるか昔の話であるが・・・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)は、天子としての優れた徳と人間の域を越えた武徳をもって、朝鮮半島の三韓(注1)に遠征したが、戦いに利無く、帰国した。

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(訳者注1)原文では、「高麗の三韓」。

太平記作者は、この章では、「高麗」を「高麗王朝」の意ではなく(王朝名としてではなく)、「朝鮮」の意で(エリア名として)用いている、と思われる。

そこで問題となるのが、「三韓」の解釈である。

[新羅]、[百済]、[高句麗]の3国とするべきなのか、あるいは、[新羅]、[百済]、[任那]とすべきなのか・・・[任那]については、様々に議論が交わされてきている。

ゆえに、訳者は、「高麗の三韓」を「朝鮮半島の三韓」と訳しておく事にした。
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この結果を見て、神功皇后(じんぐうこうごう)は、

神功皇后 (内心)今回の遠征の失敗は、わが方に、智謀(ちぼう)・武備(ぶび)の双方に渡り、不足の点が多々あったゆえ・・・わが国はまだまだ、開発途上なのであるよ・・・。

神功皇后 (内心)方策はただ一つ、超大国、すなわち、かの「中華の国」の優れたる戦略と戦術を学び修める、これしかない!

そこで皇后は、ある者に砂金3万両を持たせ、中国へ送り込んだ。

彼は首尾よく、履道翁(りどうおう)著の一巻の秘書を得た。これは、かの黄石公(こうせきこう)が第5日目の鶏のなく時刻に、渭水(いすい)の土橋の上で、張良(ちょうりょう)に授けた書物である。

「再び、朝鮮へ出兵」と、決した後、皇后は祈願に入った。

神功皇后 かしこくも、倭の天地(あめつち)におわします、やおよろず大小の神祇冥道(じんぎみょうどう)に対し、つつしみうやまいて、我、請い願いたてまつる。願わくば、これより執行の軍評定(いくさひょうじょう)の場に降臨(こうりん)したまいて、非力(ひりき)なる我を、なにとぞ、擁護(ようご)したまわんことをー!

皇后のこの請(しょう)に応じ、一柱(ひとはしら)を除いた全ての神々が、常陸(ひたち:茨城県)の鹿島(かしま)に降臨しもうた。

そこに来られなかった神はといえば、その名を、「アトベノイソラ神」と申す、そのイグシステンス・フィールド(existence field:存在場)は、海底にあった。

やおよろずの神々 アトベノイソラが来ぬのは、なにか、ワケあっての事であろうよのぉ。

神々は、篝火(かがりび)を焚き、榊(さかき)の枝に白色御幣(ごへい)と青色御幣(ごへい)を取り掛け、風俗(ふうぞく)、催馬楽(さいばら)、梅枝(うめがえ)、桜人(さくらひと)、石河(いしかわ)、葦垣(あしがき)、此殿(このとの)、夏引(なつひき)、貫河(ぬきかわ)、飛鳥井(あすかい)、真金吹(まかねふく)、差櫛(さしくし)、浅水(あさうづ)の橋、呂律(りょりつ)を演奏、リフレインを繰り返しながら、歌いに歌った。

神々のこの歌声は海底にまでも達し、アトベノイソラ神のレセプター(recepter)中に、大量のレゾナンス(resonance:共鳴)を発生させた。

アトベノイソラ神 かの神々ら、なにやら、いとおかしき事、楽しみており、我も行くべし!

その瞬間、鹿島地方一帯に、時空間の著しい歪(ひずみ)が発生した。

やおよろずの神々 うっ・・・感ずる・・・感ずるぞ・・・この歪みは・・・いったい・・・アアア・・・。

神々の集う場の空間 ウワゥウワゥウワゥワワワ・・・。

神々の集う場の空間 ピィィィィィーーーーン!

やおよろずの神々 オォッ!

アトベノイソラ神は、4次元テレポーテーション(4D teleportation:時空間中・瞬間移動)を終え、実体化を完了。それと共に、一帯の時空間の歪みは解消、常態に復帰した。

その姿を見れば、これは奇怪(きっかい)、キサゴ、牡蠣(かき)、藻中に棲息する虫たちが手足五体にビッシリとりつき、人間の姿からはほど遠いものになってしまっている。

神々は、怪しんでいわく、

やおよろずの神々 アトベノイソラ神よ、アトベノイソラ神よ、なにゆえ、かような貌(かたち)に、成りにける?

アトベノイソラ神、答えていわく、

アトベノイソラ神 我、滄海(そうかい)の鱗(うろくず)に交わりて、彼らを利せんが為、久しく海底に住みはべりぬ間、かような貌(かたち)に、成りてそうろうなり。かかる形にて、やんごとなきおんみら(御神等)の前に参らんずる恥かしさに、今までは、参りかねそうろう・・・しかるに、曳々融々(えいえいゆうゆう)たる律雅(りつが)のみ声に、恥をも忘れ、身をも顧みずして、参りたり。

やおよろずの神々 よくぞ、来られた!

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神宮皇后は、このアトベノイソラ神を使者として龍宮城(りゅうぐうじょう)に送り、「貴城の宝なる、「干」と「満」の2つの珠玉(しゅぎょく)を借りたし」との要請を行った。

龍王はすぐに受諾し、その二個の玉を渡した。

神宮皇后 よろしい、これにて、智謀と武備、双方、万全じゃ。智謀においては、履道翁の一巻の秘書、武備においては、「干」と「満」の2個の珠玉! いざ、半島へ向けて、進発!(注2)

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(訳者注2)原文では、「新羅へ向はんとし給ふに」。
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この時、皇后の胎内には、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)、すなわち、応神天皇(おうじんてんのう)が、既に妊娠5か月目の状態で宿っていた。

ゆえに、皇后の御腹は大きくなっており、鎧を着ようとしても、腹部がどうしても合わさらない。そこで、高良明神(こうらみょうじん:注3)が一計を案じ、鎧の草ずりを切って脇の下に装着、これで、皇后の武装も完全となった。

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(訳者注3)高良神社(福岡県・久留米市)にまつられている神。
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神功皇后が大将、諏訪(すわ)と住吉(すみよし)の大明神が副将軍となり(注4)、大小の神祇乗り込んだ軍船3,000余隻は、対馬海峡(つしまかいきょう)を一気に押し渡り、朝鮮半島へ寄せた。

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(訳者注4)諏訪大社(長野県・諏訪市&下諏訪町)にまつられている神と、住吉大社(大阪市・住吉区)にまつられている神。
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倭軍来襲の報に、三韓側も軍船1万隻に取り乗り、海上に出て、迎撃態勢を敷いた。

両軍戦い半ば、雌雄未だ決せざる時、皇后は、「干の玉」を海中に投げ入れた。

海水はにわかに退き、あたり一面が陸地に一変。三韓側の兵は、「天、我に利を与えたり」と喜び、全員、船から下り、徒歩で戦いだした。

この時、皇后は、「満の玉」を取って、陸地に投げた。

たちまち、潮が十方より漲(みなぎ)り来たり、三韓側数万人は、一人残らず溺死してしまった。

これを見て、三韓の王は、自ら罪を謝して降伏、神功皇后は弓の上端でもって石壁の上に、「三韓の王は我が倭の犬なり(注5)」と書き付け、帰国した。

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(訳者注5)原文では、「高麗の王は我が日本の犬也」。
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これより、三韓は日本に帰順し、長年の間、朝貢を続けた(注6)。

いにしえの、呉服部(くれはとり)という綾織(あやおり)技術者、王仁(おうにん)という才人も、この朝貢と共にやってきたのである。また、大紋(だいもん)の高麗縁(こうらいべり)も、その貢ぎ物の竹箱によって、伝来したのである。

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(訳者注6)原文では、「是より高麗我朝に順て、多年其貢を献る。」
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上記に見たように、その徳が天にかない、その王化が遠きにまで及んでいた上古の時代においてさえも、外国を従えるにあたっては、天地神祇の力をもってこそ、たやすく行えたのである。

なのに、この現代において、凶悪なる賊徒らが、元帝国や高麗を奪い犯し、ついには、高麗国王をして、使者を用い、外交ルートを通じての要請を我が国に送らしめるまでに至ったとは・・・まことにもって、前代未聞の不可思議である。

このような事では、もしかすると、日本はやがて、外国の支配下に入ってしまう、というような事もありうるのかも・・・まことに、異常事態であるとしか、言いようがない。

だからこそ、福州(ふくしゅう)の呉元帥(ごげんすい)・王乙(おういつ)がわが国に対して贈った詩にも、この意が述べられているのである。

 日本の狂いしナラズモノども わが国の浙江(せっこう)東部を乱す
 将軍 この異変を聞いて 怒気(どき)立ち上ること あたかも虹のごとし
 全軍出動 陣を連ね 闇の中に ノロシの火はあがる
 夜半には敵を皆殺し 海水は紅に染まる

 ヒツリツを弾じて 勝利を歌う 落月を眺めながら 笛を吹く
 敵の髑髏に盛ったこの酒の味 なんとまぁ すがすがしいことか
 そのうち 南山の竹を切り尽くし ビッシリ事細かに 書いてやるぞ この賊退治の功績の 一部始終を

(原文)
 日本狂奴乱浙東 将軍聴変気如虹
 沙頭列陣烽烟闇 夜半ミナゴロシ(注7)兵海水紅
 篳箻按哥吹落月 髑髏盛酒飲清風
 何時截盡南山竹 細冩當年殺賊功

この詩を見て思うに・・・「竹」といえば・・・近年、日本全国で竹が一斉に枯れている・・・もしかすると・・・日本が外国の支配下に入ってしまう事の前兆かも・・・先行き、極めておぼつかなく、思えてならない。

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(訳者注7)左側が[金]で右側が[鹿のような記号]から成る漢字。これに該当する漢字コードを見つけることができなかった。
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