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2018年6月12日 (火)

太平記 現代語訳 40-4 最勝講の場において、興福寺と延暦寺の衆徒、武闘に及ぶ

太平記 現代語訳 インデックス8 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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同年8月18日、「最勝講(注1)を行うので、所定の人員を出せ」との命令が、諸寺院に対して送られた。

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(訳者注1)[金光明最勝王経]を、5日間10講義して、天下太平を祈る。執行の場所は、御所の清涼殿。
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その割り当て人数は、興福寺(こうふくじ:奈良市)10人、東大寺(とうだいじ:奈良市)2人、延暦寺(えんりゃくじ:滋賀県・大津市)8人。園城寺(おんじょうじ:大津市)は、そのメンバーリストから除外されてしまった。

京都朝廷閣僚A そら、しゃぁないわなぁ、園城寺は、今度の訴訟に決着つかん間は、朝廷からの僧侶招聘(しょうへい)には一切、応じひんて、言うてきとんねんから。

当日のレフェリー(注2)には、前大僧正(さきのだいそうじょう)・懐雅(かいが)と、延暦寺の慈能(じのう)僧正が任命された。

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(訳者注2)原文では、「証義(しょうぎ)」。
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仏教の講義・論争の場においては、学海智水(がっかいちすい)を沸かし、智慧の剣を互いに闘わすべきである。

なのに、この時、興福寺と延暦寺の衆徒たちは、よりにもよって御所の庭において、不慮の喧嘩をしでかし、激烈な戦闘をやらかしてしまったのであった。

紫宸殿(ししんでん)の東、朝廷侍医控え所(注3)の前には、興福寺の衆徒らが、紫宸殿の西、渡り廊下(注4)の前には、延暦寺の衆徒らが、列をなして立っていた。

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(訳者注3)原文では、「薬殿(くすどの)」。

(訳者注4)原文では、「長階(ながはし)」。
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見れば、興福寺の衆徒たちは全員、わきに太刀を差している。

突如、興福寺の衆徒たちは抜刀し、延暦寺側めがけて、切り掛っていった。

延暦寺側は、太刀も長刀(なぎなた)も持ちあわせていないから、抵抗のしようがない。一歩もそこに踏みとどまる事ができず、紫宸殿の大床(おおゆか)の上へ追い上がられ、もうどうにもならない。

光円坊良覚(こうえんぼうりょうかく)、一心坊(いっしんぼう)の越後注記・覚存(えちごのちゅうき・かくそん)、行泉坊(ぎょうせんぼう)の宗運(そううん)、明静房(みょうじょうぼう)の学運(がくうん)、月輪坊(げつりんぼう)同宿の円光房(えんこうぼう)と十乗房(じゅうじょうぼう)はじめ、延暦寺側主要メンバーたちは、意を決して小刀だけでもって反撃に転じ、勇み誇る興福寺衆徒らのまっただ中へ、脇目もふらずに切って入った。

中でも、一心坊の越後注記・覚存は、興福寺の一人の若い衆徒の手から4尺8寸の太刀を奪い取り、「ここは、自分が何とかせねば!」と勇み立って切り回る。

興福寺衆徒たちは覚存に切り立てられ、バァッと散った。その中に、手掻(てんがい)侍従房(じじゅうぼう)が、ただ一人その場に踏みとどまり、一歩も退かずに、おめき叫びながら覚存と対戦。

追い廻し、追いなびけ、1時間ほども闘争は続いたであろうか。

始めのうちは、人数において劣り、武装においても準備が無かった延暦寺側が劣勢にあったが、急を聞いてかけつけてきた延暦寺側の下役の僧侶たちが、太刀や長刀の切っ先をそろえ、4本柱の門から中へ突入、縦横無尽に切って回った。

人数において優勢であった興福寺側は、これにはたまらず、ついに、北門から御所を脱出して一条大路(いちじょうおうじ)へ、白雲が風に渦を巻くがごとく、たなびき出た。

彼らが去った後の御所の庭の白砂の上には、手掻侍従房をはじめ、興福寺側の主要メンバー8人が、屍を並べて切り伏せられていた。延暦寺側も負傷者多数であった。

半死半生の者らを、戸板や盾を担架代りに使って運び出していくその有様たるや・・・御所の中において、このような事が起るとは、まさに前代未聞の事である。

あぁ、なんという事であろうか・・・御所という最高に尊い場所が、冷たい剣の光が飛び交う戦闘の場になってしまったとは。

宮中の庭を流れる清らかな水には、紅の血が流れ、その場に着座していた公卿大臣たちは、ただただ茫然、彼らの束帯は、ことごとく、緋色に染まってしまっている。

これほどの騒動があったにもかかわらず、天皇は、動揺する事なく、負傷者や死者を除かせた後、庭一帯の血を洗い清めさせ、席を改めた後に、最勝講を滞りなく執行したという。

世間の声A 最勝講とは、陛下よりの厳重なる御願によって、執行されるもの、まさに、天下の大法会といえましょうなぁ。

世間の声B そやのに、こないな、とんでもない事が起こってしまうやなんて・・・。

世間の声C いったいぜんたい、どうなっとるん?

世間の声D これはなぁ、きっと、何かの前兆だぜ。

世間の声E 公私に渡っての、何か不吉な事の前兆たい。

世間の声F この先いったい、何が起こるんじゃろうかのぉ・・・。

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