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2018年7月 9日 (月)

太平記ゆかりの地 3 沙沙貴神社

太平記ゆかりの地 インデックス

太平記には、[佐々木 道誉]、[佐々木 清高]、[佐々木 時信]等、[佐々木]の姓を持つ人々が登場する。

これらの人々の家系を遡っていくと、近江の[佐々木氏]と[佐々木庄]にたどりつく。

[塩冶 高貞]も、彼らと同じく、そのルーツは、[佐々木氏]である。

平安時代に[佐々木庄]に土着した人々が、[佐々木]の姓で呼ばれるようになったのだそうだ。

[佐々木庄]がどこにあったのか、という事に関しては、ネット上に、下記のコンテンツがあった。

[平成 22 年(2010 年)11 月 23 日(祝・火) 清滝寺(きよたきでら)・能仁寺(のうにんじ)遺跡発掘調査現地説明会資料 調査主体:滋賀県教育委員会 調査機関:財団法人 滋賀県文化財保護協会]

その中に、以下のようにある。

 「解説3 近江源氏 京極氏(おうみげんじ きょうごくし)
 京極氏は宇多天皇の系譜を引く近江源氏の一族です。平安時代に近江国佐々木庄(現東近江市小脇周辺)に土着して佐々木氏と呼ばれるようになり、 源頼朝の挙兵に功績があったのを認められて佐々木定綱は鎌倉幕府から近江国惣追捕使(そうついぶし)(守護)に任じられます。しかし、承久の乱(じょうきゅうのらん)(承久3年(1221 年))ののち惣領家(そうりょうけ)は領地を分割され、大原氏(坂田郡大原庄)、高島氏(高島郡朽木庄)、六角氏(佐々木宗家)、京極氏(坂田郡柏原庄)の四家に分裂しました。
 氏信を始祖とする京極氏は、第五代高氏(道誉)が室町幕府成立に功績が あったことから、六角氏に代わって一時的に近江守護に任じられます。・・・」

[京極]の姓は、この家系のルーツとなった人が、京都の[京極高辻]にあった館を相続した事に由来しているのだそうだ。

[京極高辻]とは、現在の京都市内の、いったいどのあたりなのだろう?

まず、[高辻]は、[高辻小路]のことであろう。[五条大路]の北側にあった小路であり、現在の[高辻通](たかつじどおり)に相当する。

問題は、[京極]である。

[京極]という語から連想される平安京の道路は2本ある、すなわち、[西京極大路]と、[東京極大路]。

平安時代後期から中世にかけて、平安京の右京、すなわち、西半分は、荒廃が進んでいったという。となると、館があった、というからには、[京極]は、[東京極大路]を指しているのであろう。

と、いうことで、[京極高辻]は、現在の、[寺町通]と[高辻通]が交差する付近の地、ということになるのだろう。([東京極大路]は現在の[寺町通]に相当。)

戦国時代末期に、京極氏から二人の知名度高き人が現れている。[京極 竜子]と[京極 高次]である。

[京極 竜子]は、この名でよりも、[松の丸殿]という名前の方で、よく知られているだろう。彼女の母・[京極 マリア]は、[浅井 久政]の娘だから、彼女は、[浅井 長政]の姪であり、[浅井三姉妹](淀殿、初、江)の従妹、ということになる。

[浅井三姉妹]中の次女・[初]は、[京極 竜子]の兄弟・[京極 高次]の妻となった。このように、[京極氏]のこれらの人々は、戦国大名・[浅井氏]と密な関係にある。

[京極 高次]は、関ヶ原の戦の後、[若狭国]の大名になった。

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滋賀県・近江八幡市の旧・安土町エリアに、[京極氏]、[佐々木氏]に縁が深い神社がある。

[沙沙貴神社]である。ここは、[佐々木]氏の氏神であるという。下記の写真画像は、私が、2007年6月に、そこで撮影したものである。

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P06 [佐々木氏]の家紋が、提灯に描かれていた。

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P11 [佐々木氏]の家紋が、いろいろな所にあった。

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境内には、様々な植物があった。

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P14 二葉葵

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京都市の[上賀茂神社]・[下鴨神社]の祭礼・[葵祭]においては、祭儀に関わる全ての人たち、また社殿の御簾・牛車に至るまで、この[二葉葵]を桂の小枝に挿し飾ることになっている。

P15

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[寺社Now]というサイト中の[スペシャル]のコーナー中に、

[【特集】経験豊かな宮司の奮闘で 蘇った近江源氏の氏神様]

というコンテンツがあり、そこには、荒廃してしまっていた[沙沙貴神社]が復興された経緯が記されているのだが、その中に、下記のような内容の事が記されている。

 江戸時代に再建されたという、楼門、東廻廊、西廻廊に関して、1989年に、滋賀県・文化財保護審議会による調査が行われ、再建に関係する棟札の中に、[京極 高朗]の名が見いだされた。その結果、本殿、権殿、拝殿、楼門、東西廻廊など8棟が、滋賀県有形文化財の指定を受けた。

(ネット上には、[沙沙貴神社]に関連して、[京極高明]という名を記しているコンテンツが多数ある。どうして、[京極高朗]ではなく、[京極高明]と記しているのだろう?)

[京極 高朗]は、[丸亀藩](香川県)の藩主であるというから、[京極氏]のルーツに縁深きこの神社の建物を再建するに十分な財力を、持っていたのであろう。

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[三井グループ]の祖・[三井 高利]にも、[六角氏]、すなわち、[佐々木氏]のDNAが流入しているというから、[佐々木]姓ではない人の中にも、[佐々木氏]のDNAは流入していると思われる。

このページを読んでおられる貴方にも、もしかしたら、[佐々木氏]のDNAが流入しているのかもしれない。

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