太平記

2018年2月22日 (木)

太平記 現代語訳 27-2 四条河原・桟敷倒壊事件

太平記 現代語訳 インデックス6 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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世間の声A それにしても、今年はほんまに、キッカイ(奇怪)な事ばっかし起こりますわなぁ。

世間の声B キッカイちゅうたら、これもまたまた、キッカイな話やと、思えてしゃぁないんやが・・・あんなぁ、最近京都中、猫も杓子(しゃくし)も、田楽(でんがく)、田楽言うて、えらい騒ぎやがな。いくらなんでも、ちと度が過ぎてるんちゃうかい?

世間の声C そうですなぁ、ほんま、田楽はチョウ人気ですわ。将軍はんも、メッチャ田楽にイレこんだはるみたいですやん。

世間の声D あのお人が、田楽にイレこんだはるとなったら、そらぁもう国中、右へならえですからなぁ。

世間の声E もうみんな、なぁ(何)も手ぇつかへん。朝から晩まで田楽、田楽、せっせせっせと、金の浪費や。

世間の声F あのっさぁー、みんなっさぁー、憶えてるっかっなぁー? 鎌倉幕府滅亡の時の、最高権力者だった人んこと。

世間の声A あんたのお言いやしとん、北条高時(ほうじょうたかとき)はんのことですかいなぁ?

世間の声F そうだっよぉー、高時だよぉ。あの男も、えらい田楽にイレ込んでたわよねぇ。で、そのあげく、あのザマっさねぇ。北条家も、あの男でとうとう断絶しちゃったんだよねぇー。

世間の声B なるほどなぁ、そう言われてみると・・・。

世間の声F 将軍さんもっさぁ、いいかげんにしとかないとっさぁ、この先、足利家、あんましイイ事ないんじゃぁ、なぁい?

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京都朝年号・貞和(じょうわ)5年(1349)6月11日、一人の修行の旅僧が、一大公共事業を思い立った。京都の鴨川(かもがわ)に、四条(しじょう)大橋を架けようというのである。(注1)

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(訳者注1)四条通りと鴨川とが交差する場所への架橋。現在の四条大橋がかかっている、まさにその場所。
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彼は、その資金集めの為に、「四条河原・紅白田楽合戦」の興行を企画した。(注2)

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(訳者注2)興業を行って得られた利潤を、架橋建設費用に充てようというのである。現代においても、このようなイベントが開催されることもあるかも。
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さっそく、鴨川の四条河原に、舞台の設営が始まった。

京都の住人G えーっ! 「紅白田楽合戦」やてぇ!

京都の住人H いったいなんですのん、それ?

京都の住人I なんでもな、新座と本座の田楽ダンサーを合わせた後にやな、彼らを「ベテラン組」と「若手組」の紅白に分けてやな、そいでもって、互いに芸を競わせる、とかいう事らしいで。

京都の住人J うわぁ! という事はですよぉ、今をときめくダンサーたちが一同にっちゅう事ですやん。すごいわぁ!

京都の住人K あぁ、こらぁ、見逃せまへんなぁ。

京都の住人L うち、ぜったい、見にいくしぃ!

京都の住人M うちも!

田楽合戦興行の予告を聞いて、京都中の男女は上下を問わず、興奮の極に達した。

まず、要人たちが、当日の催しを是非とも見物しようと、四条河原に観覧用桟敷の建設を始めた。

朝廷においては、摂政・二条良基(にじょうよしもと)をはじめ、諸大臣たち、

宗教界からは、天台座主(てんだいざす)・梶井門跡(かじいもんぜき)・尊胤法親王(そんいんほっしんのう)、

幕府からは、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)・足利尊氏(あしかがたかうじ)。

こういった人々の桟敷の建設が始まるや否や、その下位の人々は言うに及ばず、公家に仕える侍、神社仏閣の神官や僧侶までもが、我も我もと。5寸、6寸、8寸、9寸と様々の太さの阿武産(注3)等の材木を使い、穴をくりぬいて組み合わせ、3重4重に、おびただしい数の桟敷を建設。その周囲は83間、まさに一大壮観である。(注4)

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(訳者注3)長門国・阿武郡(山口県・萩市)で産出された材木。

(訳者注4)[太平記 鎮魂と救済の史書 松尾剛次 著 中公新書 1608 中央公論新社] の 140ページ に、以下のようにある。

 「・・・新座(奈良田楽)と本座(京都白川田楽)の田楽師が招かれ、芸比べを行った。四条河原には見物者用に桟敷が造られた。・・・」
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そしてついに、待ちに待った「四条河原・紅白田楽合戦」の日となった。

車や馬が殺到してきて、四条河原をくまなく埋めつくした。幔幕(まんまく)は風に飛揚し、薫香(くんこう)が天に散漫していく。

舞台の東西には、2個の楽屋が設置されており、それらと舞台との間には橋がかけられている。田楽ダンサーたちは、その上を通って舞台に登場するのだ。楽屋の幕は絞り染、天蓋の幕は金襴、ゆらゆらと風に揺らぎ、まるで炎が立ち上っているかのようである。

舞台の上には、木製の椅子や縄製の椅子が並び、紅緑の毛氈(もうせん)を敷いた上には、豹や虎の皮が敷かれている。その目にも鮮やかな舞台を見ていると、うっとりとなってきてしまう。

やがて、舞台の上に楽師たちが、しずしずと登場し、着席。

いよいよ定刻、舞台の上に、進行役が現れた。

進行役 えー、エヘン、エヘン・・・スゥー(大きく息を吸う音)・・ルレイディーズ(ladies)、アェーンド(and)、ジェントルメーン!(gentlemen) 長ぁらくお待たせいたしました! いよいよ、皆様お待ちかね、「四条河原・紅白田楽合戦」の、はぁじまり、はじまりぃー!

聴衆一同 うわー、きゃー、パチパチパチパチ・・・ピィピィピィピィ・・・。

進行役 本日この日の晴れ舞台に立つ為に、田楽ダンサー一同、そらもぅ、不眠不休の練習を続けてまいりましたぁ! その成果、これからトップリと、見ていただきましょかいなぁ!

聴衆一同 うぉー、きゃぉー、ピィー、ピィー、パチパチパチパチ・・・。

進行役 それでは・・・ミュージック、スタートォ!

楽師たちが、爽やかなる前奏曲を奏ではじめた。

鼓 パン・・・ポン・・・ピン・・・ポン・・・

笛 EーEーDCDEFGECGE、DーDーEDCBAGBDBGー、・・・。

聴衆一同 ・・・。

舞台の上に響き渡る雅やかな調べに、全聴衆は、みじろぎもせずに、じっと耳をすませて聞き入っている。

さぁ、いよいよ田楽ダンス開始である。東西双方の楽屋で、鼓を鳴らし始め、笛の音合わせが始まった。

鼓群 ポン・・・ポン・・・ポン、ポン、ポン・・・。

笛群 ビー、ピー、ヴワーン・・・ビー、ボー、ボー・・・。

聴衆一同 ・・・。

やがて、東の楽屋から、花も匂わんばかりの、紅粉で化粧した美麗なる童子が8人練り出してきた。全員、金襴(きんらん)の狩衣(かりぎぬ)を着ている。

同時に、西の楽屋からは、白く清らかなる僧侶姿のダンサー8人が登場。薄化粧してお歯黒をし、様々の花や鳥の柄を織り込んだり染め込んだりした狩衣、銀を散らした紫色の袴の裾を結び、拍子を打ちながら、狩り用の笠を傾けて、進み出る。そのきらびやかな姿は、言葉にも尽くしがたいほどの見事さである。

簓(ささら)(注5) パシリリリン・・・パシリリリン・・・。

拍子木(注6) カキーン、カキーン・・・。

第一番の簓を打つは、本座の阿古(あこ:注7)、拍子木(注6)は、新座の彦夜叉(ひこやしゃ:注7)、刀玉(かたなたま:注8)は道一(どういつ:注7)、各々、神業のごとき名人ゆえ、聴衆はただただ恍惚として見入るばかり。

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(訳者注5)竹や細い木などを束ねたもので、打楽器として使われていた。

(訳者注6)原文では、「乱拍子は新座の彦夜叉」。

(訳者注7)いずれも、田楽ダンサーたちの芸名である。

(訳者注8)刀を投げ上げて手で受けとる、というパーフォーマンス。
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かくして、最初の手合わせは終わった。

進行役 いやぁみなさん、いかがでしたやろか? 大いにお楽しみになられたようですなぁ! いやぁ、それにしても、なんちゅう見事な芸でっしゃろなぁ! そらそうですわなぁ、今日の演者は、日本国中のトップタレントぞろいですからねぇ。

進行役 そやけどな、もっとスゴイんは、これからだっせ!

聴衆一同 ウーン!

進行役 さぁ、では、行きましょう、次なる演目は、「あらたかなり、日吉山王権現示現利生(ひよしさんのうごんげんのじげんりしょう)」!

聴衆 ・・・(かたずを呑む)

進行役 演者の皆様方、用意はよろしいか? よろしいですな? はい、ではスタートォ!

謡方N はぁーーーぁ!

謡方O やぁーーーぁ!

謡方P いやぉー!

鼓Q ポン!

謡方N いやぉー!

鼓Q ポン!

謡方全員 いやぉー!

鼓全部 ポン!

謡方全員 いやぉー!

鼓全部 ポン!

演奏と共にしずしずと舞われる優雅な舞踊に、聴衆は心奪われていた・・・と、その時、

謡方全員 いやぉー! いやぉー!

鼓全部 ポン・・・ポン・・・ポン・・ポン・・ポン・ポン・ポンポンポンポンポン・・・。

聴衆一同 オ・オ・オ・・・・!

やにわに、新座側の楽屋から、猿の面をかぶった8、9歳ほどの童子が一人、舞台の上に飛び出してきた。新座所属の若手ホープである。赤地の金襴の打掛(うちかけ)を着、虎皮の靴を履いている。

御幣を差し上げ、テンポ(tempo)・アレグロ(allegro)で刻まれる急拍子に合わせ、舞台の上を所狭しと、まさに本物の猿のように駆け回る。紅緑の反り橋を斜めに渡ったと思えば、その欄干の上にすっと飛び上がる。まるで平均台運動を行っているかのように、細い欄干の上を、左へ回り右へ曲(めぐ)り、宙返りしたと見るや否や、次の瞬間、空中高く跳躍。

そのしなやかな身のこなし、その身体移動のスピード、跳躍ポイントの高さ、空中浮揚時間の長さ、とても、この世の人間とは思えない、まさに、日吉山王権現の憑依を受けて、このような驚異の超パーフォーマンスが今、聴衆の眼前に示現されているのであろうか・・・。

聴衆は、興奮の極みに達した。

聴衆一同 ウワァー! キャァー! ウワァー! ウワァー! キャァー!

聴衆の大歓声は四条河原を覆いつくし、しばし、静まる所を知らない。

その時、足利尊氏の桟敷のあたりで、一人の美しい女性が、練り絹の衣服の褄(つま)を手に取りながら、立ちあがった。

彼女は、手に持った扇で、幕を揚げた。すると、

桟敷 ドドド・・・バシバシバシ・・・ドシャドシャドシャ・・・バリバリバリ・・・。

上下249間の桟敷の全てが、将棋倒しのごとく、一斉に倒れた。あっという間の出来事であった。

崩れ落ちてくる太い材木に当たって、即死する人は無数。

窃盗の機会を窺って、田楽会場にたむろしていた盗人らは、このドサクサに紛れて、さっそく仕事を始めた。悪運の強い者は、他人の太刀や刀をとっさに奪ってその場から逃げおおせ、そうでない者は、持ち主によって、その場に切り倒される。

腰や膝を打ち折られる者あり、手足を打ち切られてしまう者あり、あたり一面、ウメキ声が充満している。自分が抜いた太刀や長刀に、自らの身体のここかしこを突き貫かれて血にまみれる者もいる。お茶の為に沸かした熱湯を頭から浴びて、おめき叫ぶ者もいる。あの八熱地獄(はちねつじごく)の中に存在するという衆合地獄(しゅうごうじごく)、叫喚地獄(きょうかんじごく)の罪人の惨状もかくや、と思われるほどの状態が、ここかしこに展開されている。

田楽ダンサーは鬼の面を着けながら、装束を奪って逃げていく盗人を、赤い棒を打ち振って追い走る。見物にやってきた女性をひっさらい、かき抱いてそこから逃げようとする者、その後を抜刀して追いかける家臣たち、中には、刀を抜いて反撃に打って出ている盗人もいる。

あたり一面、刀で切られ朱に染まる者が充満、阿修羅(しゅら)たちの戦闘、地獄の獄卒(ごくそつ)たちの呵責(かしゃく)を、まさに今、眼前に見るの感がある。

「田楽鑑賞中の梶井門跡(かじいもんぜき)、腰に打撲傷を負う」と聞いて、さっそく誰かが、一首の歌を作り、四条河原に立てた。

 釘打って 造った桟敷 倒壊や 欠陥商品やで 鍛冶ィ屋(かじいや)の宮(みや)さん

 (原文)釘付に したる桟敷の 倒(たおる)るは 梶井宮(かじいのみや)の 不覚なりけり(注9)

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(訳者注9)「釘」と「梶=鍛冶」とをかけている。「鍛冶屋の宮さん、桟敷を倒壊させるような不良品の釘作ったら、だめでしょうが」の意。
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また、関白・二条良基(にじょうよしもと)も、その田楽見物の場にいたと聞いて、

 田楽(でんがく)の 将棋倒し(しょうぎだおし)の 桟敷(さじき)の上 王様(おおさま)だけは いいひんかった

 (原文)田楽の 将棋倒(だおし)の 桟敷には 王許(ばかり)こそ 登(あが)らざりけれ(注10)

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(訳者注10)「将棋」と「王」とをかけてある。「王」とは天皇、上皇を指しているのであろうか。「関白などという高貴の地位にある人までもが、このような到底高尚とは言い難いような見世物(田楽)をノコノコと見物に行き、そのあげく、将棋倒しの惨事に遭遇してしまったではないか。天皇や上皇まで見にいっていたら、もうそりゃ大変な事になっていたろうなぁ」の意であろう。
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「これはまったくタダゴトではない、きっと、天狗か何かの仕業であろう」ということで、さっそく当局は捜査を開始。その結果、以下のような、驚くべき証言が得られた。

比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)・西塔(さいとう)エリア・釈迦堂(しゃかどう)の長講会(ちょうこうかい)講師の任にある僧侶が、当日たままた、所用を果たすために、比叡山を下り、京都へ向かっていた。

道中、一人の山伏(やまぶし)に出会った。

山伏は、僧侶にいわく、

山伏 これから四条河原でな、一世一大の見物が上演されるっちゅう話ですわ。あんたも、見に行かはったら、どないだす?

僧侶 へぇ、そうですかいなぁ、そら惜しい事したなぁ。そないなケッコウな催しもんがあるんやったら、もっと早ぉに、山、下りてくるんやった。もう昼過ぎですやんか、今から見に行っても、とても間にあいませんわなぁ・・・。いや、それにな、たとえそこへ行けたたとしてもですよ、桟敷の予約も何もしてませんから、中へ入れてもらえませんわ。

山伏 いやいや、心配ご無用。中へは簡単に入れまっさ。なんやったら、わたいの後に、ついてきなはれ。

スタスタと歩き出した山伏の後ろ姿を見ながら、僧侶は、

僧侶 (内心)一世一大の見物やてかぁ・・・あの人がオーヴァーに言うてるんやなかったら、そらほんまに凄い見物なんやろうなぁ・・・。よし、いっちょ、行ってみよ。

僧侶 あ、ちょっと、ちょっと、待ってくださいな。私もお伴させてもらいまっさ。

僧侶は、山伏の後を追って歩み出した。

不思議や不思議、たった3歩進んだだけで、僧侶は四条河原に着いてしまった。

僧侶 なんやなんや、これは! いったいどないなってんねん! まぁなんと不思議な事やなぁ・・・。

田楽の開演時刻が迫っていたのであろう、今まさに、桟敷の外門が閉められようとしている所であった。何とかそこは通過したものの、入り口の木戸は、既に閉ざされてしまっていた。

僧侶 あんた、いったいどないして、この中へ入るっちゅうんですか?

山伏 ハハハ、わたいに任せとき。さ、わたいの手につかまりなされ。

僧侶 エェー、いったいどないするんですか?

山伏 決まってますやんか、二人でいっしょに、あの木戸を飛び越えてな、桟敷の中に入るんです。

僧侶 (山伏の手につかまりながら)(内心)ほんまかいなぁ・・・そないな事できるはずが・・・あぁっ!

山伏は、僧侶を小脇に挟むやいなや、跳躍した。三重に設営されている桟敷群の上を、二人の体は軽々と飛び越え、足利尊氏の桟敷へ着地した。

僧侶 (内心)おいおい、これはまたエライ桟敷に飛び込んでしもたで。なんと、将軍様の桟敷やんか!

僧侶 (内心)うわぁ、この桟敷にいるのん、幕府のオエラガタばっかしやん・・・将軍様、仁木(にっき)家、細川(ほそかわ)家、高(こう)家、上杉(うえすぎ)家のお歴々・・・。

僧侶 (ヒソヒソ声で)ちょっとちょっと、あんた! こないなとこに、我々シモジモのもんが入ったらあきませんで! 見つかったらエライこっちゃがな。

身をすくめる僧侶に対して、山伏は、

山伏 (ヒソヒソ声で)大丈夫やて! えぇから、わたいにまかせときなさい。ほれほれ、そのへんに座ってな、ゆっくりと田楽見物しましょいな。(僧侶の手を引き、桟敷の一角に導き、着座)

僧侶 (着座しながら)(内心)うーん・・・こないな事言うてるけど、ほんまにえぇんかいなあ? それにまぁ、他に座る場所もあるやろうに、よりによってエライ場所選んだもんやで、将軍様のモロま正面やんか・・・ほんまに大丈夫かぁ?

不思議な事に、尊氏は、彼らを見とがめるどころか、

足利尊氏 さ、さ、どうぞ、どうぞ、召し上がれ。

尊氏は二人にことさら気を遣い、その場に酒や料理が出されるたびに、しきりに、盃やご馳走の皿を勧めてくれるのである。

僧侶 (内心)いったいぜんたい、どないなってんねんや? もうサッパリ、わけ分からんわぁ。

そして、例の演目が始まったのである。

新座の楽屋から、猿の面をかぶった少年ダンサーが登場、御幣を差し上げ、橋の欄干を一飛び跳んでは拍子を踏み、拍子を踏んでは御幣を打ち振り、軽々と跳躍を繰り返す。満座の聴衆はこれを見て、総立ちになって叫ぶ。

聴衆R わーぉ! おみごと、おみごと!

聴衆S 見て、見て、あれ! まるで、ホンモノの猿みたいやん! ホホホホ・・・。

聴衆T あぁ、オモシレェ、オモシレェ、ワハハハ・・・!

聴衆U チョウおもろい、チョウおもろい、ギャハハハ・・・。

聴衆V アハハハ・・・腹の皮がよじれそう・・・。

聴衆W ワハハハ・・・もう死にそう・・・笑い死にしそうや・・・誰か、うち助けてんか・・・ワハハハ・・・。

おめき叫び笑う声が、1時間ほど続いた。これを見た山伏は、僧侶の耳元でささやいた。

山伏 どいつもこいつも、大口アングリ開いて笑いほうけとるわい・・・大の大人がそろうて、なさけけない光景やなぁ・・・。よぉし、今からこいつらの肝(きも)潰(つぶ)してな、イッパツで興ざめさしたるわい・・・あんた、わたいが何しても、騒ぎなや!

山伏は立ち上がり、やにわに桟敷の柱を持った。

山伏 エーイ! エーイ! エーイ!

その次の瞬間、200余間の桟敷が、一気に倒壊したのであった。

倒壊の瞬間を遠方から目撃した人々の証言によれば、この時、旋風が巻き起こっており、「おそらく、それが、桟敷倒壊の原因となったのであろう」という。

今回の田楽興行は、神の御心に反する事であったと見受けられるフシもある。

なぜならば、桟敷が倒壊して死傷者多数が出たのが6月11日のこと。その翌日は終日終夜、天から車軸を降らすような大雨が降り、鴨川は、盤石をも流すような大洪水となった。

このようにして天は、昨日の事故の死者の遺体と共に、全ての汚物と不浄を洗い流し、来る14日の祇園神幸(ぎおんしんこう)の通路を清めたのであった。(注11)

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(訳者注11)祇園御霊会の神輿巡行。これが発展して、現在の祇園祭りの行事となった。
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天龍八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)の悉くが祇園に祭られている神々に助力し、清浄の法雨を地に注いだのである。まことに尊い事象であったといえよう。

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(訳者注12)[寺社勢力の中世 無縁・有縁・移民 伊藤 正敏 著 ちくま新書 734 筑摩書房] 42P に、[四条河原]に関して、以下のようにある。なお、文中に登場する「京都劇場」は、現在既に無く、その跡地には「京劇ビル」が建っているようだ。また、「阪急デパート」も「マルイ」の京都店に変わっている。

 「鴨河原といっても、現在の鴨川河川敷を思い浮かべてはいけない。四条河原町は今日、京都随一の繁華街であるが、その名の通り、この場所は本当に「鴨河原の中」なのだ。現在の日本銀行・京都劇場・阪急デパート、東にある木屋町・先斗(ぽんと)町も鴨河原に含まれる。鴨川の氾濫原はずっと東西に広く、東は大和大路、西は東洞院や高倉あたりまでが、洪水危険地域であった。この大和大路は名前の通り、はるか奈良につながる幹線道路である。」

 「京都一の繁華街という点は今も中世も同じである。芸能についてもこれは言えて、先斗町や京劇があるように、鴨河原は京の、いや日本の芸能の中心であり続けたのだ。この現状を中世に投影させてイメージすべきなのである。中世鴨河原の賑わいは、形を変えて今、河原町通としてわれわれの目の前にある。中世では土倉・酒屋が立つ繁華街であるとともに、老病死の地獄絵巻と隣り合わせであったが。」

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2018年2月21日 (水)

太平記 現代語訳 27-1 次々と出現する怪奇現象に、人々は不安におののいている

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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京都朝年号・貞和(じょうわ)5年(1349)1月頃より、日本列島上の天空に、異変が続出しはじめた。

妖星(ようせい)の出現相次ぎ、人々は不安にかられるばかり。天文局(注1)からは、「帝位に愁いあり、天下に異変起こり、兵乱疫病のおそれあり」との密奏が、朝廷に対して頻繁に寄せられた。

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(注1)原文では、「陰陽寮(おんみょうりょう)」。
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世間の声A ほんまに、最近、こわい事ばっかしどすなぁ。

世間の声B いったいぜんたい、世の中、どないなってしもてんねん?

世間の声C ほんに、今年はエライ年になってしまいよりましたわ。正月早々、例の妖星出現でっしゃろ。ほいでもって、2月26日のあの大騒ぎですやん。

世間の声D あの晩な、わたい、たまたま、現場近くにおりましたんやわ。ほんま、どえらい事でしたでぇ! 夜半過ぎごろやったかいなぁ、将軍塚(しょうぐんづか:東山区)が、ガタガタ音立てて動き出しましてなぁ・・・。ほいでもって、空中に大量の馬のヒズメの音がなり響き、ですわいな。そうですなぁ、かれこれ1時間ほどは、続いてましたかいなぁ。

世間の声E あの夜はなぁ、京都中もう、上から下まで大騒ぎやった。わてらも、こわぁてこわぁて、あれいったいなんかいなぁ、言うて、おびえとりましたがな。

世間の声C それに輪ぁかけて、翌2月27日のあの火事やがな。

世間の声A あの火事、ほんま、すごかったどすえぇ。うち、あの日たまたま仕事でな、あのへん通りがかりましてな、ほいで、一部始終、目撃してしまいましてん。

世間の声一同 へーぇ!

世間の声A ほんま、あの火事だけは、もう一生忘れられしまへんやろなぁ。正午ごろにな、清水坂(きよみずざか:東山区)から火ぃ出たぁ思ぉたら、もうそっから後は、イッキでしたわ。

世間の声B 清水寺(きよみずでら)の本堂、阿弥陀堂(あみだどう)、楼門、清水の舞台、地主(じしゅ)神社、あっという間に、みんな残らず、焼け落ちてしもぉたもんなぁ。

世間の声A そらな、京都では、火事はそれほど珍しい事やおへん。そやけど、あの火事は、ほんま不気味どしたえ。なぁんせ、風もなぁも吹いてへんのにな、最初に出火したとっから(所から)大きな炎が飛び出しよりましてな、ほいでもって、あっという間に、清水はんに燃え移ってしもたんどすぅ。

世間の声C 最初の出火場所から清水寺までは、相当な距離やいうやないか?

世間の声A そうどす、その通りどす、そやから、不気味なんどすぅ。朝廷の尊い祈願所の清水はんが、あっという間に焼けてしまうやなんて、ほんまにこれは、タダゴトやおへんえぇ。

世間の声F あのっさぁー、天下に大異変が起こる時にはっさぁー、その前兆としてっさぁ、霊験あらたかな神社仏閣が、燃え落ちちゃうもんなんだよねぇー。

世間の声D いやほんま、あんさんの言うてはる事、当たっとりますわなぁ。「霊験あらたか」言うたら、あの男山(おとこやま)の八幡(はちまん:京都府・八幡市)はんでも、異変がありましたわなぁ。

世間の声A えーっ その話は、うち知りまへんわ。いったいどないな異変どすかぁ?

世間の声D 6月3日の午前8時から午後10時頃までな、あこの社殿が、鳴動し続けたらしいわ。

世間の声E 神様が放たはった鏑矢が音を発してな、京都めがけて飛んでいった、とかいう話だっせ。

世間の声F そんなの、チョロイんだってぇ! もっとスサマジイ、恐怖におォののく話あぁんだよぉ! 教えたげよっかぁ?

世間の声A いったいなんですのん、それ!

世間の声F あのっさぁ、おたくらっさぁ、夜空を見上げてごらんなって。6月10日から、天空にトォーンデモナイ大異変、起こってんじゃん!

世間の声E あんたの言うてはんのん、「三星直列現象」の事かいな?

世間の声A なんどすか、その「三星直列」?

世間の声E つまりやな、金星と水星と木星が、接近して一列になっとるんやがな。

世間の声F あたいが密かに入手した情報によるとっさぁ、天文局の博士から、「三星直列現象は、大凶事の前兆、天子位を失い、大臣災を受け、子は父を殺し、臣は君主を殺し、飢饉、疫病、戦争あい続き、餓死者がちまたに満ち満ちる事になりましょう」ってな報告、ビィンビン、朝廷に上がってんだってよぉ。

世間の声A エーーツ!

世間の声G 「三星直列」もだけどさぁ、「南東対北西異変」も、あたくし、とっても懸念してるの。

世間の声A なに、それ?

世間の声E 閏の6月5日の午後8時ころにな、南東、北西の2方向から電光(いなびかり)が輝きだしてな、やがて、両方の光が寄り合わさって、戦い合うみたいなカンジになっていったんや。

世間の声B あれは、わたいも見ましたで。光と光がぶつかっては砕け散り、砕け散ったかと思えばまたぶつかりあい・・・ほんまにすごかったわなぁ。衝突が起こるたんびに、ものすごい光がきらめいてな、天と地がバァット燃え上がるように、明るぅなるんですわ。まるで、風が猛炎を吹き上げてるみたいにな。

世間の声C その光の中に、なんか見えへんかったか?

世間の声B あ、あんたも見たんかいな、あれ!

世間の声C 見ぃでかぁ!

世間の声A なになに、いったいなに見はったん!?

世間の声C その光の中にな、わしはたしかに見たんや、バケモノ、妖怪の類の姿をなぁ!

世間の声A おぉ、こわぁ!

世間の声B 結局、あの南東の光と北東の光との勝負、南東側に軍配が上がったようですわなぁ。何度も衝突をくりかえしたあげく、南東の光がどんどん前進していって、北東の光を呑み込むような形になって、そいでから、光、完全に消えよったから。

世間の声G いよいよ、天下騒乱の時節到来の様相、濃くなってきたわよねぇ!

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2018年2月20日 (火)

太平記 現代語訳 26-9 足利直冬、政治の表舞台に登場

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。

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「中国地方をも完全に制圧し、反足利幕府勢力の動きを封じ込めてしまおう」という事で、足利尊氏(あしかがたかうじ)の次男・直冬(ただふゆ)が、備前国(びぜんこく:岡山県東部)に派遣されることになった。

尊氏は若かりし頃、人目を忍んでたった一夜だけ、ある女性のもとに通ったことがあった。彼女の名は越前局(えちぜんのつぼね)。その人が、直冬の母である。

直冬は始め、武蔵国(むさしこく)の東勝寺(とうしょうじ:神奈川県・鎌倉市)に少年僧として入っていたのだが、元服の後、京都へやってきた。

直冬を父・尊氏にひきあわせてやろうと思い、内々に様々な斡旋活動を行った人がいた。しかし、尊氏は、直冬に会おうとはしなかった。そこで、玄恵(げんえ)が彼を預かる事になった。

直冬は玄恵のもとで勉学しながら、世間の注目を集める事もなく、わびずまいを続けるだけの毎日を送ることとなった。

玄恵 (内心)もったいないわなぁ、直冬殿・・・。才能においても人品においても、優れた人やのになぁ。幕府もな、こういう将来有望な若い人を、どんどん活用していくべきやでぇ。

玄恵 (内心)うーん・・・なんとかして、直冬殿を、世に出してさしあげたいもんやなぁ・・・。

玄恵 (内心)そうやなぁ・・・一回、直義(ただよし)殿に、相談してみよかいなぁ。

玄恵は機会を見て、足利直義に直冬を推薦してみた。

足利直義 そうですかぁ・・・。そんなに優秀なんだったら、一度会ってみようかなぁ。

玄恵 ぜひとも、そうしてくださいませ!

足利直義 わかりました。まずは、彼を私の所へ連れてきてくださいませんか。どのようなパーソナリティを持った人物なのか、自分の目で、よくよく確かめてみますよ。その上でね、「見どころあり」と思ったら、兄上の方に、私から推薦してみましょう。

というわけで、直冬は玄恵に連れられて、直義邸を訪問した。直冬にとっては、これが親族との初めての対面であった。

しかし、その後1年たち2年たっても、依然として、尊氏は直冬に面会しようとはしなかった。

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紀伊国(きいこく:和歌山県)において、吉野朝(よしのちょう)側勢力が蜂起した際に、尊氏はようやく重い腰を上げ、直冬を、正式に我が子として認知した(注1)。

直冬は、右兵衛佐(うひょうえのすけ)に補任され、吉野朝勢力征討軍の大将として、戦場に派遣された。

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(訳者注1)原文には、「将軍始めて父子の号を許され」。
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やがて、紀伊国が平定され、直冬は京都へ凱旋。彼もようやく、足利家中の重要人物として、人々に認められるようになってきた。

尊氏のもとに出仕する機会も、次第に増えてはきた。しかし、その際の座席たるや、仁木(にっき)家や細川(ほそかわ)家の人々と同列扱いにしか過ぎず、尊氏から重んじられているとは、到底言い難いものがあった。

しかしながら、人生の運・不運というものは、本当に分からないものである。政治の中心・京都を離れ、中国地方に赴任する事により、かえって、直冬の人生には、陽光が差し込み始めたのである。

「あの人は、他ならぬ足利直義様の計らいにより、中国地方統括局長(注2)に任命されてやってきた人なのだ」ともなれば、現地の人々の受け止め方は、格別のものがある。いつしか、皆が彼に帰服するようになり、多くの人々が、「佐殿(すけどの:注3)を盛り立てるパーティ(党:party)」に参入するようになってきた。

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(訳者注2)原文では「西国の探題」。

(訳者注3)「右兵衛佐」の地位にあったので、直冬に対してこのような愛称を設定してみた。
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直冬はやがて、備後(びんご:広島県東部)の鞆(とも:福山市)に居を定め、中国地方の政治全般を統括するようになっていった。彼の善政の下、忠功ある者は望まずとも恩賞を賜り、罪ある者は罰せざるともその地を去っていった。

さぁこうなると、長年にわたり自らの非を隠し、上を犯したてまつってきた、高師直(こうのもろなお)・師泰(もろやす)兄弟の悪行が、ますますクローズアップされてきてしまうのである。

善が輝きを増せば増すほど、悪もその鮮烈さを増していく。

太平記 現代語訳 インデックス6 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

2018年2月19日 (月)

太平記 現代語訳 26-8 妙吉、讒言・高兄弟・合唱の輪に加わる

太平記 現代語訳 インデックス6 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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将軍・尊氏(たかうじ)に代って国政面での実質的トップの座についてからというもの、足利直義(あしかがただよし)はますます、禅宗への帰依を深めていった。夢窓疎石(むそうそせき)に師事して後は、天龍寺(てんりゅうじ)建立の発願人になったり、説教の場や法要の座に頻繁に出席したり、膨大な額の供仏施僧(くぶつせそう:注1)をしたり・・・。宗教界に対する直義の一挙手一投足に、世間の注目は、いやがおうにも集まっていった。

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(訳者注1)仏に供え、僧に施す。ようは「お布施」のことである。
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ここに、夢窓と同門の一人の僧侶がいた。名を妙吉(みょうきつ)という。

妙吉 (内心)足利直義・・・今や、事実上の権力トップにある人。そのような人からまでも、夢窓殿は、深い帰依を受けておられるのだなぁ・・・すごいよなぁ・・・。

夢窓に寄せられる足利直義からの絶大な恩顧を見続けているうち、妙吉の心中にはいつしか、言い知れぬ羨望の念がムクムクと湧き起こってきた。

妙吉 (内心)羨ましいよ・・・夢窓殿が羨ましいよ・・・。

妙吉 (内心)わたしも、夢窓殿のようになりたいもんだなぁ・・・。

妙吉 (内心)なんとかして、あんなふうに、なれないだろうかなぁ・・・。

妙吉 (内心)そうだ・・・神通(じんつう)、神通力だよ・・・それさえありゃぁ、わたしもあのように、足利直義様に認めてもらえようになるんだよな、きっと。

妙吉 (内心)じゃぁ、いったいどうやって神通力を?・・・ そうだ、仁和寺(にんなじ:京都市・右京区)へ行って修行してみようか。聞く所によれば、あそこには、志一(しいち)という僧がいるとか。外法(げほう:注2)を完全に、マスターしちゃってるらしいよ。

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(訳者注2)仏教以外の法。
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そこで妙吉は、志一のもとを訪ね、彼に師事してダキニ天法(だぎにてんぼう:注3)を21日間修行した。

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(訳者注3)ダキニ天を礼拝して修する法。ダギニ天については、仏教辞典・大文館書店刊には以下のようにある。

「Dakini: 夜叉鬼の一類で自由自在の通力を有し、6月前に人の死を知り、その人の心臓を取ってこれを食とするという。胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)ではこれを外金剛部院(げこんごうぶいん)南方に配す。普通行わるる形像は曼荼羅に出づる所と異なり、小天狗の狐にまたがりたる形状、または、剣と宝珠とを持てる美女が白狐にまたがる状を図している。」
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修行の成果は、めざましかった。たった21日間の修行でもって、妙吉は絶大なる神通力を獲得し、心に願う事はことごとくその通りに実現、という状態になった。

それ以降、妙吉に対する夢窓の評価は、いやましに高まっていった。

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いつものように、足利直義と対座していたある日、夢窓はいわく、

夢窓疎石 直義殿、日夜にわたっての熱心なる参禅、仏の道を学ぶためとは言いながらも、まことにご苦労さまでございますなぁ。

足利直義 いえいえ、とんでもありません。これは大切な修行ですからね!

夢窓疎石 ・・・あのぉ・・・こんな事を言うのは、まことに気がひけるのですがね・・・なにやら、直義殿に修行を怠ることをお勧めするようで・・・でもね、直義殿は国政の中枢を預かっておられる大切なお方。だからあえて申し上げますね。

足利直義 ははは、いったいなんですか? そんなに改まって。

夢窓疎石 お館からここまで来られるの、道も遠くて大変でしょう? どうでしょうかね、これから先は、直義殿にここへ来ていただくのではなく、私の方から、信頼のおける者をそちらに行かせる、というのは?

足利直義 えぇ?! ウチ(私邸)に来ていただけると、いうのですか、その方に・・・。ウチにいながらにして、仏道修行の指導を受けれると、いうわけですか?

夢窓疎石 その通りですよ。実はね、私のとこに、その役目にうってつけの人がおりましてね・・・。妙吉と言う僧侶なんですが。

足利直義 ほほぉ・・・。

夢窓疎石 「禅宗歴代祖師語録」の講義なんか、やらせようもんなら、いやぁ、そりゃぁスゴイもんですゾォ。そのぉ、なんて言うのかなぁ・・・祖師方が説かれた教えに込められた本質をですね、深いレベルから直覚的にって言うのかなぁ・・・的確に、ダイレクトに、ずばりずばりと、把握していくんです・・・。とにかく、どこに出しても恥ずかくない、超一流の禅宗僧と言っていいですね。

足利直義 その話、私には何の異存もありませんけど・・・国師殿が、そこまでおっしゃるのですから。

夢窓疎石 じゃ、そういう事にさせていただきましょう。いつものね、私に対座しておられる感覚でもってね、妙吉殿にどんどん、対座問答してみてください。きっと、ご期待に応えると思いますよ。

足利直義 わかりました、よろしくお願いいたします。いやぁ、こりゃぁ楽しみだなぁ。

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一度会ったその日から、直義は妙吉に魅了されてしまった。

足利直義 (内心)イヤーッ、国師殿、すばらしい人を紹介してくださったなぁ! 妙吉殿はスゴイ! ほんとうにスゴイぞ! もしかしたらあの方は、禅宗の祖・ダルマ大師の生まれ変わりではないかしらん・・・。禅宗伝道の為に、我が国に再び生を受け、妙吉殿として誕生されたのかもなぁ。

足利直義 (内心)あんな立派な方に毎度毎度、私邸に来ていただくのは、こりゃぁ本当に失礼というもんだぞ。よし、妙吉殿に、お寺を建ててさしあげようではないか!

というわけで、一条堀川戻橋(いちじょうほりかわ・もどりばし)の近くの村雲(むらくも:上京区)という所に、直義は寺院を建立し、妙吉をそこの住職に据えた。

その寺を拠点としての妙吉の宗教活動が開始されるやいなや、直義は日夜の参禅、朝夕の法談聴聞と、ひっきりりなしに、そこへ通った。

「足利直義さま、妙吉のもとに日参!」となると、我も我もとそれに続く。延暦寺(えんりゃくじ:大津市)や園成寺(おんじょうじ:同左)のトップ僧侶たちが、宗旨を改めて弟子入りしてくるわ、五山十刹(ござんじゅっさつ)の格付けを得ている禅宗大寺院の高僧たちも、彼の勢力下に入りたき旨を希望してくるわ、さぁ、そうなると、俗人たちが妙吉を放っておくわけがない。朝廷の公卿たち、幕府の要人たちが、妙吉にこびへつらうその様は、もはや言葉にも尽くしがたい。

車馬は門前に列を作り、僧俗は堂上に群集する。たった一日の間に寄せられた布施の品や当座のプレゼントを集めれば、山のごとくうず高く積もる。出家をされた釈尊(しゃくそん)のもとへ、マガダ国のビンビサーラ王が毎日500両の車に様々の宝を積んで奉った、という話も、なんだか色あせてくるようである。

このように、万人からの崇敬(すうけい)類(たぐい)まれなる状態となった妙吉であったが、

高師泰(こうのもろやす) おい、あの妙吉ってヤロウ、どう思う?

高師直(こうのもろなお) フフン、あんなのどうってこたぁ、ねぇですわ。

高師泰 やっぱしそうか!

高師直 てぇした智恵才学もねえくせによぉ、手八丁口八丁で、まぁうまいこと、世渡りしていかはりまんなぁ。

というわけで、高兄弟だけは、妙吉に会おうともしない。村雲の寺の門前をも、馬から降りずに平気で通っていくし、道で出会おうものなら、彼の袈裟を、わざと沓の先に引っかけるような事までする。

これには、妙吉の方もアタマに来てしまった。物語の端、事のついでに、高兄弟のこの振舞いを、さかんに非難し始めた。

例の二人が、これを見逃すはずがない。

上杉重能(うえすぎしげよし) おおお、こりゃぁまた、格好のネタができたねぇ。

畠山直宗(はたけやまなおむね) 妙吉をうまく使やぁ、高兄弟を讒言して亡き者にしてしまう事だって、できちゃうかもよぉ。

二人は、妙吉に急接近した。媚びを厚くしつつ、高兄弟の悪口を、その耳にどんどん吹き込んでいく。もとより妙吉も、高兄弟の行為をけしからんと思っていたから、三人は大いに意気投合した。

勢いづいた妙吉は、事あるごとに毒づき始めた、

妙吉 高兄弟の言動は、国を乱し政治を破壊する最たるものであります!

その中でも特筆すべきは、実に言葉巧みに弁じた、以下のような悪口である。

ある日、例によっての足利直義相手の講義の日、首楞厳経(しゅりょうごんきょう)の講義が終わり、中国や日本の歴史の話になった。

妙吉 古代中国、秦王朝(しんおうちょう)の時代、始皇帝(しこうてい)には、二人の皇子がおりました・・・。

(以下、妙吉の講義:注4)
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(訳者注4)以下の話も例によって、「史記・秦始皇本紀」と相当異なっているので、読者はこれに信を置かれない方がよいと思う。
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その皇子、兄の名は扶蘇(ふそ)、弟の名は胡亥(こがい)。

扶蘇は始皇帝の長男であったが、民を哀れまず、仁義を重んじず、苛烈な政治ばかり行っている父を、常に諌めていた。いきおい、自分に対して何かと逆らう扶蘇に対して、始皇帝の愛情はどんどん薄くなっていった。

次男の胡亥は、始皇帝が寵愛する妃が産んだ子であった。彼は、驕りを好み、賢者を憎み、愛憎の念が人並み外れて異常に強かった。胡亥は、常に父の側を離れず、趙高(ちょうこう)という大臣をお守り役につけられていた。胡亥の事を、始皇帝は趙高にまかせっぱなしにしてしまっていた。

始皇帝は荘襄王(そうじょうおう)の皇子であったが、16歳になって間もなく、魏(ぎ)の畢万(ひつばん)、趙(ちょう)の襄公(じょうこう)、韓(かん)の白宣(はくせん)、斉(せい)の陳敬仲(ちんけいちゅう)、楚(そ)王、燕(えん)王ら、いわゆる「戦国時代の六国(りくこく)」をすべて亡ぼし、中国全土を統一した。

「諸侯を朝せしめ、四海を保つ事、古今第一の君主ゆえに、この方を「皇帝」と呼ぶべし」と言う事で、中国史上初の皇帝、「始皇帝」の尊号を奉った。

洪才博学の儒学者たちがともすると、古代の五帝三王の治世をなつかしみ、周公(しゅうこう)や孔子(こうし)の教えを伝道し、「今の政治は、古来からの良き伝統の道を踏み外している」と批判するのを聞いて、始皇帝は、

始皇帝 くされ儒者どもめが! わしの治世の事を、あれやこれやとぬかしおって! それもこれも、あぁいったけしからん書物が、未だにこの世に残っておるからじゃ。ことごとく、焼き捨てい!

というわけで、三墳(さんふん)・五典(ごてん)・史書(ししょ)・全経(ぜんきょう)、あげて3,760余巻、一部も世に残らず、すべて焼き捨てさせた。まことにあさましい所業である。

さらに、

始皇帝 宮門警護の武士の他、一切の者、武器を持つべからず!

というわけで、国中の兵らの持つ武器を残らず集めて焼却し、その鉄でもって、長さ12丈の「金人」12体を鋳させ、湧金門(ゆうきんもん)に立てさせた。

このような悪行が、聖に違い天に背いていたのであろう、邯鄲(かんたん)という地に、天から災を告げる不吉の星が一つ落ち、たちまち12丈の石となった。見ればその石の表面には一句の文章があり、そこには、「秦王朝滅びて漢王朝となる」由の瑞相が示されていた。

これを聞いた始皇帝は激怒して、

始皇帝 これは天のなした事ではない、人間のシワザじゃ。どこぞの何者かが、そのような文字を石の上に書いたにちがいないわ。下手人を厳罰に処すべし!

始皇帝 下手人はきっと、その石の落ちた場所の近くに住んでいるにちがいない。石から10里四方が怪しい!

というわけで、その石から10里四方に住んでいた貴賎の男女は、一人残らず首を刎ねられてしまった。なんという哀れな事であろうか。

東南には函谷二崤(かんこくにこう)の難所を障壁とし、西北には黄河(こうが)、涇水(けいすい)、渭水(いすい)の深い流れを要害とし、その中に、周囲370里高さ3里の山を9重に造り、その上に宮殿を造営した。その口には6尺の銅の柱を立て、上には鉄の網を張り、前殿46殿、後宮36宮、千門万戸通り開き、麒麟(きりん)の彫刻を並べ、鳳凰(ほうおう)の像を相対させる。虹の梁(うつばり)金の飾り、日月光を放ちて楼閣(ろうかく)互いに映徹(えいてつ)し、玉の砂(いさご)、銀の床(ゆか)、花柳(かりゅう)影を浮かべ、階段と小門は品々に分かれる。

その居所を高くし、その歓楽を極めるにつけても、思うのは、

始皇帝 人間の命には限りがある・・・このわしとて、いつかは、あの世に行かねばならぬ・・・残念じゃのぉ・・・。あぁ、なんとかして、かの蓬莱島(ほうらいとう)にあるとかいう不死の薬を手に入れて、永遠に、この世の主として君臨したいものじゃ。

そんな所へ、二人の道教行者(どうきょうぎょうじゃ)が拝謁を求めてきた。名を徐福(じょふく)、文成(ぶんせい)という。(注5)

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(訳者注5)文成は後代の人である。ここも太平記作者の誤り。
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徐福 おそれながら陛下、わたくしめは、不死の薬を求める術(すべ)を知っておりまする。

始皇帝 ナニッ!

始皇帝は大喜び、まずは彼らに高位を授け、大禄を与えた。その後、彼らの言うがままに、年齢15歳未満の少年少女6,000人を集め、龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の舟に乗せて、蓬莱島発見の航海に送り出した。

大海は満々として、行けども行けども限り無し。雲の波、煙の波いと深く、風は浩々(こうこう)として静かならず、月華星彩(げっかせいさい)は蒼茫(そうぼう)たり(注6)。「蓬莱島」は今も昔も、ただただその名を聞くばかり、天水茫々(てんすいぼうぼう)として(注7)、求めども求めども、その所在位置を示す手がかりの片鱗すら無し。「我、蓬莱島を発見せずば、再び中国の地を踏まじ」との決意を固め、航海に出た少年少女たちは、徒(いたず)に船の中で老いていくばかり。

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(訳者注6)「月の光、星の光は青く広い海原を照らす」の意。

(訳者注7)「「天」(空)も「水」(海)も広々と広がり」の意。
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徐福と文成は、自分たちの言葉が偽りであった事が露見し、処罰が我が身に降りかかってくるのを恐れていわく、

徐福 これはどうやら、龍神のタタリが、蓬莱島発見の障害となっておりまするな。陛下、なにとぞ、おん自ら海上に御幸あそばされ、龍神を退治してくださりませ。さすれば、蓬莱島はたちどころに、発見されましょうぞ。

始皇帝 よし! 龍神退治に行くぞ!

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始皇帝 それい! 出撃じゃーっ!

皇帝の命令一下、数万隻の戦艦は、一斉に出帆した。

各艦には、「連弩(れんど)」と言う超兵器を搭載している。これは400ないし500人でもって引きしぼり放つ巨大な弓である。蓬莱島(ほうらいとう)発見の障害をなしているという龍神が、海上に現われたならば、これを使って射殺しようというわけである。

帆に風をいっぱいにはらみ、艦隊はぐんぐん進んでいく。始皇帝が之罘(しふ)の大江を渡る道すがら(注8)、300万人の兵士たちは、それぞれの搭乗している戦艦の舷側を叩き、太鼓を打ち鳴らしながらトキの声をあげる。

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(訳者注8)史記・秦始皇本紀には「之罘山に登り」とあるので、これは明らかに山なのだが、どういうわけか、太平記原文には「始皇帝すでに之罘の大江を渡りたもう道すがら、三百萬の兵共・・・」とある。
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兵士たち一同 ウォー!ウォー!ウォー!ウォー!ウォー!・・・。

止む間もないトキの声、山から磯に吹き降ろす嵐の風音、沖に寄せる津波の怒涛、全ての音響が渾然一体となって響き合う。天をささえ、地を通る地軸も共に絶え、共に砕けるかと思えるほどである。

この大音響に驚愕一転、龍神は、長さ500丈ほどの巨大鮫に姿を変じ、海上に躍り出た。

兵士A 出たーーーっ!

兵士B 出たぞーーーっ!

その頭は、ライオンのごとく遥か上空まで延び上がり、その背中は、龍蛇のごとく広大な海域を覆いつくしている。

提督C 全艦、散開し、敵を包囲せよ!

数万の戦艦が左右に展開し、巨大鮫を包囲した。

提督C 弓引けぇーーー!

兵士一同 オォォォォーーー!

連弩 ギュリギュリギュリギュリ・・・。

全ての船上の連弩数万個が、一斉に引き絞られた。

提督C 撃ぅーてぇーーー!

連弩 ドババババババババ・・・。

巨大毒矢 ブヒュー、ブヒュー、ブヒュー、ブヒュー・・・ドドッ、ドドッ、ブシュッ、グシュッ、バシュ!・・・。

巨大鮫 ギョアアアーン・・・ギュアアアーン・・・。

始皇帝 やったぞぉーーー!

数百万本の毒矢が、巨大鮫の全身に突き刺さり、蒼海万里(そうかいばんり)の波は、その血で真っ赤に染まった。

かくして、巨大鮫は死んだ。

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その夜、始皇帝は悪夢にうなされた。

始皇帝 ゴボゴボゴボゴボ・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・むむ! なんじゃ? ここはいったいどこじゃ?・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・。

始皇帝 暗い・・・真っ暗じゃ・・・まるで海底におるような・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・。

始皇帝 ムムッ! なにやら、あちらから近づいてきよるわい・・・ボォット光る何ものかが・・・あれはいったい?・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・。

巨大鮫 ゴボゴボゴボゴボ・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・始皇帝、始皇帝はどこにおるぅー・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・・・・ゴボゴボゴボゴボ。

始皇帝 あっ・・・あやつは!

巨大鮫 ゴボゴボゴボゴボ・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・始皇帝ェーイ、始皇帝はどこにおるぅーーーー!

始皇帝 あやつ、まだ生きておったか!・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・ゴボゴボゴボゴボ・・・。

巨大鮫 おぉ、そこにおったか・・・よしよし・・・動くなよ、そのままそこで待っておれい・・・グブグブグブグブ・・・グブグブグブグブ・・・。

始皇帝 弓引け、弓引け、撃てい、撃てい! えぇい、ものども、なにをしておる、撃て、早く撃たんかぁ!

巨大鮫 グゥォッフォッフォッフォッフォッ。おまえを守る者など、もはや一人もおらぬわい。始皇帝、おまえはたった一人じゃー、おまえはたった一人じゃぁー・・・グブグブグブグブ・・・ゲブゲブゲブゲブ・・・。

始皇帝 あああ・・・こっちに来る・・・撃て、撃て、撃てい・・・ゴボッゴボッグヴァッグヴァッ・・・。

巨大鮫 シュヴァシュヴァシュヴァシュヴァ・・・。

始皇帝 あああ・・・ええい、こやつ! エェイ! エェイ!

巨大鮫 ウォッフォッフォッフォッフォ・・・。

始皇帝 エーイ! エーイ! くらえい!(ガキッ)いかん、刀が、刀が折れたぁ!

巨大鮫 始皇帝、なんじもこれで最後よのぉ、覚悟せぇーい!

始皇帝 うああああ・・・。

翌朝から、始皇帝は重病に伏す身となってしまった。

始皇帝 うああああ・・・。

その五体はしばしも休まる事なく、7日間苦痛にさいなまれながら、ついに沙丘(しゃきゅう)の平台(へいだい)において、息を引き取った。

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始皇帝の遺言では、帝位を長男の扶蘇(ふそ)に譲る、という事になっていた。しかし、それを見た超高(ちょうこう)は、

超高 (内心)これはまずいぞ。扶蘇が帝位についたりしたら、賢人才人が多く召し抱えられてしまう。そうなったら、わしは永久に、権力の座にはありつけぬわい。

超高は、遺言状を破り捨てていわく、

超高 (内心)遺言をデッチあげてな、胡亥(こがい)を帝位につけてしまえばよいのじゃ。さすれば、胡亥のバックにいるこのわしに、事実上の最高権力が転がり込むでのぉ。

超高 ご一同、よくよく聞かっしゃい! 始皇帝陛下のご遺言にはな、胡亥様に位を譲れと、あるぞよ!

いったん事を始めたら、超高は急スピードでやる男、すぐに咸陽宮(かんようきゅう)へ兵を送り、扶蘇を討ってしまった。

このようにして、超高は、未だ幼い胡亥を「二世皇帝」と称して帝位につけた。それ以降、秦帝国の政治はすべて、超高の意のままの状態となってしまった。

やがて、反乱軍がここかしこに蜂起した。高祖(こうそ)が沛郡(はいぐん)で兵を挙げ、項羽(こうう)は楚(そ)で兵を挙げた。いったん征服された戦国の六国の諸侯らも、たちまち秦帝国に反旗を翻しはじめた。

秦側は、白起(はくき)と蒙恬(もうてん)を将軍として戦に臨んだが、戦に利無く、大将はみな戦死してしまった。

さらに秦は、章邯(しょうかん)を上将軍に任命して再び100万の軍勢を送り、河北(かほく)一帯で戦わせた。百回千回と戦火を交えたが、未だに雌雄を決せず、天下の兵乱は止む時がない。

このような中に、超高は、さらに野望をたくましくしていった。

超高 (内心)今、この咸陽宮は、兵力が手薄になってしまっておるわい。反乱軍との戦いにみんな出払ってしまっておるでの。このドサクサにまぎれて、胡亥を殺し、帝位を我が手中に・・・。

超高 (内心)まずは、帝国内におけるわしの威勢が、いったいいかほどのものか、確かめてみて・・・それからじゃな。

超高は、夏毛(注9)になった鹿に鞍を置いて、胡亥のもとに引いていった。

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(訳者注9)鹿は夏になって黄色にはえかわり、斑が明瞭になってくるのだそうだ。
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超高 陛下、これをご覧ください、この見事な名馬を。さ、お乗り遊ばせ。

胡亥 ワハハハ、何をバカな事を言うておる、それは馬ではない、鹿であろうが。

超高 いいや、これは、馬でござりまする!

胡亥 鹿じゃ!

超高 そこまで言われるのであれば、わたくしめとしても、黙ってはおれませぬぞ。宮中の大臣どもを召されて、これが鹿か馬か、お尋ねあそばされてはいかが?!

胡亥 よぉし!

胡亥はすぐに、百司千官公卿大臣ことごとくを招集した。

胡亥 あのなぁ、超高がの、この動物を馬じゃと言い張って、聞かぬのよ、いったいなにを血迷うておるのかのぉ。みなの者に問う、これは馬か、それとも鹿か? 答えよ。

誰の目にも、そこにいる動物は鹿であると見えている。しかし全員、超高の威勢を恐れて、

一同 それは、超高殿の言われる通り、鹿ではのぉて、馬でござりまするなぁ。

胡亥 ナニーッ!

超高 (内心)よぉし!

この「馬・鹿判別事件」において胡亥に屈辱を味わせた後、超高はまさに、虎狼の心を持つようになった。

超高 (内心)今となっては、わしの威勢を遮れる者など一人もおらぬわい・・・よし、やるぞ、クーデター決行じゃ!

超高は、兵を宮中へ送り、胡亥を強迫させた。胡亥は送りこまれた兵を見て、もはや遁れるすべの無い事を悟り、自ら剣の上に伏して自害した。

漢・楚との戦いの中に、この報を得た秦の将軍・章邯は、

章邯 あぁ、祖国・秦もついに亡びてしもぉたわい。かくなる上は、いったい誰の為に、国を守れというのじゃ。

章邯は直ちに降伏し、楚の項羽の軍門に下った。

このようにして、秦王朝はついに滅び、高祖と項羽は共に咸陽宮に入った。

超高は、クーデーターを起してから21日目に、始皇帝の孫・子嬰(しえい)に殺され、子嬰もまた、項羽に殺された。秦の宮殿は3か月の間燃え続け、その煙は天高く上り続けた。あの世にまで持って行こうとして、始皇帝が自らの陵墓(りょうぼ)に納めた莫大な財宝も、すべて残らず散逸してしまった。
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(妙吉の話、以上で終わり)

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妙吉 このようにして、かくも強大を誇った秦帝国も、わずか2代にして亡びてしまいました。その原因はいったい何だったのか? 言うまでもない、超高の驕りの心ゆえですよね。

妙吉 これを見ても分かりますようにね、古の世においても今の世においても、治世者の家が代々続いていくか滅びてしまうかは、それを内部から支える執事(しつじ)、あるいは管領(かんれい)といった重臣の善悪にかかっている、というわけなんですよねぇ。

足利直義 ・・・。

妙吉 いやはや、それにしてもですよぉ、昨今の御当家執事・高師直(こうのもろなお)、さらには高師泰(もろやす)、あの両人の振舞いをみてますとね、これじゃあとても、世の中、静かにはなるまいなぁと、思われてなりません。

足利直義 ・・・。

妙吉 とにかく、ひどいもんですよ。主人が主人なら家臣も家臣だ。高家の家臣たちはね、あんなにたくさん恩賞をもらい、領地も十二分にもらってくるくせにね、「まだ足りない、まだ足りない」って嘆くんだそうですよ。

妙吉 でね、それを聞いた高兄弟は、家臣たちにこう言ってるんですって、「おまえら、領地が少ないなんて泣き言言ってるヒマがあったら、その領地の近辺にある寺社や公卿の領地を、どんどんブンどっていきゃあいいじゃないか」ってね。

足利直義 ・・・。

妙吉 こんな話も聞いてますよ、罪に問われて領地や財産を没収されそうになった人間がね、ツテを頼って、高兄弟の家臣になってね、「ねぇ、なんとかしてくださいよ」って、泣き付いていく。すると高師直が、こういう言うんですって、「よしよし、オレは見て見ぬフリしてやるからな、安心してそのまま領地を持ってろよ。幕府からどんな将軍決定書(注10)が出てきたって、おれが、みんな握りつぶしてやるから」。

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(訳者注10)原文では「御教書(みぎょうしょ)」。
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足利直義 ・・・。

妙吉 あ、そうそう、もっとひどい話も聞いてます、こんな事を言ってるんですって、「都には、天皇などという人がいて、たくさんの領地を専有してるし、やれ、ここは内裏だ、院の御所だとかなんとかいって、いちいち馬から下りなきゃなんない、ほんと、シチメンドクサイ話じゃぁないかい。どうしても天皇が必要だって言うんならな、木を削って造るか、金でもって鋳るかして、天皇をこさえりゃいいんだ。生きてる上皇や天皇は、どこかへ島流しにして捨ててしまえばいいんだよ」。こんなムチャクチャな事を言ってるんですよぉ、高師直は!(注11)

足利直義 ウーム・・・(口びるを噛み締める)。

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(訳者注11)太平記のこの一節だけを根拠に、「(歴史上実在の)高師直は、天皇制廃止論者であった」というような事を主張するならば、これぞまさしく「太平記の危険な読み方」である。その根拠を以下に述べてみたい。

1.「妙吉が直義にこのような事を言った」というのが、はたして史実なのかフィクションなのか、さだかではない。太平記には、史実ではない単なるフィクションがふんだんに盛り込まれていることは、ここまで読み進んでこられた読者には、納得していただけると思う。

2.たとえ、「妙吉が直義にこのような事を言った」という事が史実であったとしても、妙吉のその発言内容が事実なのかどうか、さだかではない。妙吉は、このような話を捏造して、高兄弟に対する誹謗中傷を行ったのかもしれない。あるいは、誰かが、このような事を捏造して、妙吉に、「高兄弟はこんな事を言っているよ」と、伝えたのかもしれない。あるいは、多数の口を経由していくにつれて、事実とは異なるうささが生成されてしまったのかもしれない。一個人の発言内容が多数の人の伝聞を経由していくにつれて、元の発言とは似ても似付かぬ内容に変貌していってしまう事は、我々がしばしば経験するところである。(「伝言ゲーム」)

[観応の擾乱 亀田俊和 著 中公新書 2443 中央公論新社] 48P には、以下のようにある。

 「しかし『太平記』は、重能・直宗と同様、これらも妙吉の「讒言」であったと明記している。(厳密には、「讒し申さるること多かりけり」などと表現されている。)「讒言」とは、「事実をまげ、いつわって人を悪く言うこと」(『日本国語大辞典』)を意味する。つまり、これらの言動は事実ではないと、『太平記』自身が明言しているのである。どうしてこんな代物が「史実」と認定されてきたのか、著者は本当に理解に苦しむ。」

太平記は歴史書ではない、歴史小説である。歴史学と小説とを混同してはいけないと思う。
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妙吉 まったくもって、けしからんじゃないですか! 古代中国・周(しゅう)王朝の武王(ぶおう)はね、一人でも乱暴者が天下に横行したならば、それを自らの恥じとした、といいますよ。

妙吉 なのに、高兄弟はどうでしょう! へつらってくる者に対しては、自らの権限を行使して、有罪であっても無罪としてしまう。臣民の分際でありながら、天皇陛下や上皇陛下を、ないがしろにする。罪悪の上に罪悪を重ねて恥じない。

妙吉 あぁいった人間は、さっさと処罰してしまいませんとね。そうでないと、国の政治はいつまでたっても、安定しませんよ。早いとこ、彼らを討たれてですね、上杉重能殿と畠山直宗殿を、後任の執事に任命なさるのが、よろしいのではないでしょうかねぇ?

足利直義 ・・・。

妙吉 直義様、未だ幼いぼっちゃまに(注12)、いずれは、政治の全権をお譲りしようというお気持ち、おありにはならないのでしょうか? もしそれを考えておられるのなら、国家の政治基盤を、早いとこ正しておきませんとねぇ・・・。

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(訳者注12)直義夫妻の男子については、25-2 参照。
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このように、言葉を尽くし、史実を引用しながら様々に論じたので、足利直義も次第に、妙吉の言葉に心を動かされていった。

足利直義 (内心)なるほど・・・よくよく聞いてみれば、妙吉殿のおっしゃる事も、もっともな話だな。こりゃ、早いとこ、手を打たなきゃいかん。

仁和寺(にんなじ)の六本杉の梢の上で、再び天下を乱さんと天狗たちが練った計画(注13)、その一端がまさに今、始動しはじめたようである。

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(訳者注13)25-2 参照。
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太平記 現代語訳 インデックス6 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

2018年2月18日 (日)

太平記 現代語訳 26-7 上杉重能と畠山直宗、高兄弟を讒言す 付・「完璧」の語源

太平記 現代語訳 インデックス6 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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高兄弟だけでも、「もういいかげんにしてくれ!」と言いたくなるのに、問題な人物が、さらに2人いた。上杉重能(うえすぎしげよし)と畠山直宗(はたけやまなおむね)である。(注1)

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(訳者注1)これから後の時代、室町時代から戦国時代にかけて、上杉氏と畠山氏の人々の中から、日本史上においての知名度が高い人々が出現してくるようになる。

[鎌倉公方]を補佐する[関東管領]の職は、次第に、上杉氏によって独占される状態となっていく。

「上杉」の名字を持つ人のうち、最も知名度が高い人は、おそらく、[上杉謙信]だろうと思うが、謙信は、上杉氏ではなく、長尾氏の出身である。山内上杉家の家督と関東管領職を相続して、名を上杉政虎と改めたのである。

畠山氏の中には、上杉謙信ほどの知名度の高い人がいないようだが、室町時代のある時期以降、この家から、足利幕府の管領に就任する人々が出現し、斯波氏、細川氏と並び、[三管領家]と呼ばれるような、幕府上層に位置する家系となる。

[応仁の乱]に関する記述の中には、[畠山義就]、[畠山政長]という二人の人名が登場することが多いだろう。([応仁の乱]発生のきっかけを作った人たち、として)。幕府上層に位置する人々であり、従えている人の数も多かったので、[応仁の乱]を引き起こすきっかけを作れたのであろう。
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この二人は、自らの才覚の小なることを省みることもなく、他人よりも高い官位を望み、少しだけの功績しかないのに、他を超える褒賞を得ようとばかりしている。当然の事ながら、足利家執事として絶大な権力を持ち、万事思うがままの状態にある高兄弟に対して、二人の心中には、嫉妬の念がメラメラと燃えさかる。

それゆえに、折に触れ時に触れ、重能と直宗は、足利兄弟に対して、高兄弟のアラを探しては休むことなく讒言(ざんげん)を繰り返した。

しかし、足利兄弟は、

足利直義(あしかがただよし) (内心)いやいや、そうは言うけどな、いざという時にほんとに頼りになるの、高兄弟をおいて、他に誰がいる? 我々に敵対する勢力が再び武装蜂起した時、彼らの他にいったい誰が、それを鎮圧できるというのだ?

足利尊氏(あしかがたかうじ) (内心)高師泰(こうのもろやす)と高師直(こうのもろなお)、あの二人はとにかく、他の者らとは別格扱いにしとかなきゃねぇ・・・でぇ、彼らが妬ましいもんだからな、重能と直宗はあのようにな、ササイな咎を次々と取り上げては、あれやこれやと言ってくるんだよ・・・イヤハヤ、まったくもう、困ったもんだよなぁ・・・。ま、いいさ、右の耳から聞くだけ聞いといてだな、そのまますぐに、左の耳から出しちゃったらいい。

足利尊氏 (内心)・・・それにしても、なさけないなぁ、重能と直宗は・・・あぁいったゴマスリ男や讒言マニアが、世をかき乱していくんだよねぇ・・・あぁ、ほんと、カナシイことだよねぇ・・・。

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人類の歴史を振り返ってみれば、天下を取り、世を治めるに至った人の下には必ず、賢才輔弼(けんさいほひつ)の臣下がいて、国の乱を鎮(しず)め、君主の誤りを正してきた。

たとえば、古代中国の尭(ぎょう)帝の下には八元(はちげん)の臣下、舜(しゅん)帝の下には八凱(はちがい)の臣下、周王朝・武王(ぶおう)の下には十乱(じゅうらん)、漢王朝・高祖(こうそ)の下には三傑、後漢王朝・光武帝(こうぶてい)の下には28将、唐王朝・太祖(たいそ)の下には18学士、これらの臣下はみな、高位高給を得ながらも協調の心篤く、争い合おうとする心は皆無、互いに非を諌(いさ)めあい、国政を安定せしめ、天下に平和がもたらされる事のみを、ひたすら希求して止まなかった。このような臣下をこそ、まさに、「忠臣」と呼ぶべきであろう。

しかし、足利幕府においては、高家と上杉家とは仲が悪く、ややもすると相手を出し抜いてその権力を奪ってしまおうと考えている。そのような事では、とても、「忠烈の心ある人」とは言えない。

この事を思うにつけても、私、太平記作者は、昔の中国のある事件を思い起こさずにはいられない。以下にその内容を述べたいと思う。話が長々と横道にそれることになり、お聞き苦しい点が多少はあろうやもしれぬ、「なにをこのような、つまらぬ事をグタグタと書いておるのか」との読者諸賢よりのお叱りを受ける事になるかもしれぬが、なにとぞ、ご容赦たまわりたい。

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古代中国・春秋(しゅんじゅう)時代、楚(そ)の国に、卞和(べんか)という身分の低い者がいた。

ある日、山中の畑を耕していたところ、土中に、周囲1尺余りほどもある大きな石を見つけた。(注2)

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(訳者注2)「韓非子・第4巻・和氏第13」が原典。原典と太平記中の記述とは、例によって微妙に食い違っている。
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卞和 これは驚いた・・・原石じゃぞ! これを磨かば、巨大なる美玉(ぎょく)を得られようぞ。

卞和 このようなダイソレタものを、わしごとき庶民の所有物になど、できようか。これはやはり、どこかの貴人に奉るべきであろうて。誰ぞ、ここにやってこぬかのぉ・・・。

たまたまそこに、山で狩りをしていた楚の武王(ぶおう)が来合わせた。

卞和は、王の前に進み出ていわく、

卞和 陛下、今陛下の目にしておられますこの巨大なる石、これは世に類希(たぐいまれ)なる玉の原石にてござりまする。どうぞ、この石を持ち帰りになられ、職人に磨かしめたまわんことを。

武王 おう! それはそれは!

武王は大いに喜び、その原石を宮廷に持ち帰った。

武王 これこれ、今すぐ、玉磨(たまみがき)師を呼べい! この原石を磨かせるのじゃ!

武王側近A ハハッ!

武王の命に従って、それから数十日、玉磨師は、原石を磨きに磨いたのであったが、

武王 なんじゃこれは、全然、光っておらんではないか! いったい何をしておったのじゃ!

玉磨師B は、はい・・・必死に磨いてはおるのですがぁ・・・はぁ・・・

玉磨師B おそれながら陛下、これは、玉の原石などではありませぬ、そこらに転がっておるのと同じ、ただの石であります!

武王 (大怒)ナァニィ! さてはきゃつめ、たばかりおったな! ただではおかん! おい、あの石を供出せし、あの男、ただちにひっとらえてまいれ!

武王側近A ハハッ!

卞和は、左足切断の刑を受け、その石を背中に背負わされて、楚国の山中に追放された。

山中に草庵を結んだ卞和は、石を背中に負いながら、無実の罪によって足切断刑を受けた事を、嘆きに嘆き続けた。

卞和 (涙)ううう・・・ゼッタイに、ゼッタイに、この石は玉の原石じゃ、間違いない・・・間違いなぁいぃ! ううう・・・わしはウソなどついてはおらぬ! わしは無実だ・・・無実だ・・・無実だぁ・・・ううう・・・。(涙)

卞和 (涙)ううう・・・ああ・・・玉の原石と普通の石とを識別できる人間が、この世には一人もおらんのかぁーーー! ああ、情けなや・・・あああ・・・あああ・・・。(涙)

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3年後、武王は死去し、その子・文王(ぶんのう)の代となった。

これも不可思議な因果のめぐりあわせであろうか、山中に狩りに行った文王は偶然、卞和のいる草庵の近くを通る事になった。

文王 うん? あの草庵から泣声が聞こえてくるのぉ・・・いったい、どうしたというのじゃ?

文王は、草庵の中に入った。

文王 これこれ、そちはいったいなにゆえ、さように泣いておるのか?

卞和 (涙)はい、どこのどなたさまかは存じませぬが、よくぞ聞いてくださりました・・・。ううう(涙)

文王 いったい、何がどうしたというのじゃ、言うてみよ。

卞和 (涙)はい・・・わたくしめはその昔、この山中に入りて畑を耕しておりました。その際に、土中より1つの石を見つけましてござりまする・・・。世にも類希(たぐいまれ)なる玉の原石でござりましたがゆえに、それを・・・それを・・・王様に献上たてまつりましてござりまする。・・・ところが・・・ところが・・・う、う、う、うわぁ・・・(涙、涙)

文王 (内心)なに、「王様」じゃと? もしかして、父上の事か?

文王 その先を述べい!

卞和 (涙)は、はい・・・。あの玉磨師めが! よく分かりもしないくせに、いけしゃぁしゃぁと、「これは原石ではない、ただの石じゃ」と、知ったような事をほざきよって・・・ううう! そしてわたくしめは、これこの通り、不慮の刑に遭いて左足を切られ、かような体に・・・ううう・・・うあああああ・・・。(涙、涙)

文王 ・・・。

卞和 殿、たってのお願いでござりまする!

文王 なんじゃ?

卞和 願わくば、願わくば、この原石を、あなたさまに献上いたしたく・・・。この石を磨き出し、間違いなく玉の原石であることを、なにとぞ、世に証(あか)してくださりませ・・・さすれば、我が無実の罪を晴らすことも、かなおうかと・・・願わくば、願わくば・・・ううう・・・。(涙)

文王 よし、分かった。もう泣くな!

文王は、大いに喜んでその石を持ち帰り、武王の時とは別の玉磨師に磨かせた。しかし、彼もまた、正しき鑑定眼を持ってはいなかったのである。

玉磨師C これは、玉の原石ではありませぬのぉ、ただの石ですわい。

文王は大いに怒り、卞和の右足を切らせて、山中に追放した。

今や両足を失ってしまった卞和は、五体の苦しみにさいなまれつつ、血涙を流しながら嘆き続ける。

卞和 (涙、涙)あああ、あああ・・・あの親にしてあの子! 哀れなるかな、わが楚国よ、二代続けて、石を見る目のない君主の統治を受けるとは・・・・・・ああ、わしにはもはや絶望しか残っておらぬわ・・・とっとと死んでしまいたいぞ・・・ううう・・・うあああ・・・。(鮮血混じりの赤い涙)

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さらに20年が経過。卞和の生命線は強靭にして、一本のか細い糸のようなその命は、なおも持続していた。例の石を負いながら、嘆き暮す毎日。

文王も死去し、時代は、成王(せいおう)の御代に変わっていた。

ある日、狩りの為に山中に入った成王は偶然、卞和のいる草庵の前を通り過ぎた。

卞和は、なおも懲りずに草庵の中から這い出て、先々代、先代の2代にわたり、足切りの刑に処されてしまった事情を訴え、涙の中に、例の石を成王に献上した。

成王は、すぐに玉磨師を召し出し、その石を磨かせた。

三度目の正直、卞和の執念はついに実った。

成王 うーん・・・見事な玉じゃのぉ!

玉磨師D ご覧くださりませ、この輝きを! 玉から発せられる光、天地に輝きわたってござりまするぞ。

成王 まさに、天下無双の名玉じゃ。

成王側近E かの男の言葉通り、ただの石ではなかったのですなぁ。

この玉の発する光は凄まじかった。夜道を行く車の中に置けば、前後17台の車の姿を明明と映し出す。ゆえに人々はこれを「照車の玉」と呼んだ。また、宮殿の中に懸ければ、12の街区を明るく照らし出した。ゆえに人々はこれを「夜光の玉」とも呼んだ。まことに、天上のマニ宝珠(ほうじゅ)、海底の珊瑚樹(さんごじゅ)といえども、この玉の横に置けば、みすぼらしく見えることだろう。

かくして、この玉は楚の国宝となり、代々の王に相続されていった。

時代は下り、この玉は、趙(ちょう)国の王の持ち物となった。

趙国王も、楚国の歴代の王にも増して、この玉を愛好した。「趙璧(ちょうへき)」と名前を変え、24時間、肌身放さず状態となった。窓に蛍を集めなくとも、その玉さえあれば書物は明明と照らしだされ、闇夜の中にその玉を掲げれば、行く先の道は明瞭に照らし出されるのであった。

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その後、中国は戦国時代に突入。全域に渡って戦乱の絶える間は無く、弱肉強食、大が小を滅ぼす世となった。

趙は、強国の秦(しん)と境を接していた。

趙璧のうわさを聞いた秦の昭王(しょうおう)は、

秦・昭王 ムムム・・・なんとしてでも、その「趙璧」とやらを、奪いとってみしょうぞ・・・。さて、さて、いかような手を使えばよいものか・・・。

当時の中国には、「会盟(かいめい)」という外交儀礼があった。これは、国境を接する国どうし、双方の君主が国境に赴き、羊を殺し、その血をすすって天地の神に誓い、法を定め約を堅くして国交を結ぶのである。

この会盟の儀の時に、隣国に見下されたら大変な事になってしまう。その時ただちに、あるいは後日に、隣国からの侵略を受け、へたをすると君主の座を奪われ、といった事態を招いてしまうのだ。ゆえに、会盟に赴く際には、君主は選りすぐりの賢才の臣、勇猛の士をひきつれてその場に臨み、相手国と才能を競い勇武を争そうのであった。

ある日、秦・昭王から、「会盟しようではないか」とのメッセージが、趙国・恵文王(けいぶんおう)に送られてきた。恵文王はただちにそれに応じ、会盟の日取りを決めた。

約束の日、趙・恵文王は国境へ赴いた。

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「会盟の儀、未だ定まらず、未だ互いに羊の血をすすらず」という中に、秦・昭王は宴を催し、趙・恵文王をそこへ招いた。

宴席は終日に及んだ。

酒もたけなわになってきた時、昭王は、盃を高く挙げた。

秦国の兵士リーダーF (小声で)おっ、陛下が合図の盃を上げられた。よし、行くぞ!

秦国の兵士一群 (小声)こころえた!

彼らは、酒に酔った風を装いながら、酒宴の場へ乱入した。そして昭王と恵文王の席へつめより、目をイカラシ、肱(ひじ)を張っていわく、

秦国の兵士リーダーF 陛下ァァァ、陛下ァァァーーー、いやぁ、本日の会盟、まことに、まぁことに、しゅうちゃくしごくに、ぞんじたて、たてまつりまするぅー、ウワハッハッハッー!

秦国の兵士一群 おめでとうごりまするぅーー!

秦国の兵士リーダーF 陛下、その盃、しばらく、しばらくぅーーー!

秦国の兵士一群 しばらくぅー、しばらくぅーーー!

秦国の兵士リーダーF 陛下、大いに興に乗り、盃を干されんとされるのはよろしいのですが・・・じゃが、じゃがのぉ、鳴り物一切無しの酒では、あまりにもさびしすぎるというものじゃ!

秦国の兵士一群 さよう、さよう!

秦国の兵士リーダーF そこでじゃ、ここはヒトツゥ、趙国の主・恵文王様にお願いしたいーーッ! わが陛下が盃を干されるのにあわせて、琴を奏で、寿(ことぶき)をイッパツ言上していただきたいんですがのぉ!

秦国の兵士一群 琴を、琴を、寿をーーっ!

恵文王 (内心)ううう、おのれぇ! 挑発しおって・・・なにぃ、秦王の酒の肴にわしに琴を弾けだとぉ!・・・うぬら、趙国の君主をなんと心得えおるか・・・(ギリギリ)。

恵文王 (内心)・・・いやいや、ここはガマン、ガマンじゃ。もし否めば、こやつら、わしを刺し殺すかもしれぬ・・・。

恵文王は仕方なく、琴を弾いた。

当時の中国では、君主の傍らには必ず左右史(さゆうし)という、君主の言動を記録する係の者がついていた。秦国の左太史はさっそく筆を取り、こう書いた。

 「秦趙両国の会盟において、まずは酒宴、催さる。その席上、秦王、盃を挙げたもうた時、趙王、自ら進んで寿を言上し、琴を弾きたり。」

恵文王 (内心)あ、あ、あんな事まで書きおって・・・後世まで残る歴史に、とんでもない事を書かれてしもぉた・・・あぁ、無念じゃ! この上ない恥辱じゃ!

恵文王は、内心に怒りをたぎらせたが、どうすることもできない。

盃が廻(めぐ)り、今度は、恵文王がそれを飲み干す番となった。その時、恵文王の臣下グループ中より一人の男が立上った。男は、つかつかと秦・昭王の席に歩み寄っていく。

恵文王 (内心)はて、あの男・・・そうだ、最近召し抱えた男・・・姓はたしか、藺(りん)とか言うたな・・・。

やにわに、男は剣を抜き放ち、肱(ひじ)をいららげていわく、

藺相如(りんしょうじょ) さきほど、わが主君は秦王様の為に、琴を弾かれましたぞ。秦王様、今度は、あなたさまの番ですな!

昭王 ・・・。

藺相如 秦王様、いったいなぜ、お返しに、わが主君の為に、寿を述べようとなさいませぬのか!

昭王 ・・・。

藺相如 秦王様! どうしても、琴を弾き、寿を言上するのが、おいやとおぇせならば、ならばの、私めにも覚悟がありまするぞ! 今この場でただちに、主君の為に死ぬる覚悟がのぉ!

昭王は、もう何も言えない。

昭王 よしよし、わかった、わかった、そないに怒るでないわ。今まさに、寿の言上をさせていただこうと、思っていたところじゃにぃ。

昭王は、自ら立上って寿を言上し、ホトギ(注3)を打ちながら舞いを舞った。

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(訳者注3)口が小さく胴が大きい陶器。おそらく、これを打つと良い音が鳴ったのであろう。
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すぐに、趙国側の左太史が進み出て、次のように書き下した

 「某年某月某日、趙秦両国の会盟あり。趙王、盃を挙げたまう時、秦王、自ら酌を取り、ホトギを打てり」

このように詳細に記して、恵文王の恥をそそいだのであった。

やがて、恵文王が酒宴の席を引き上げようとした時、昭王の傍らに隠れていた兵20万人が、甲冑を帯してそこに馳せ来った。昭王は彼らを差しまねき、恵文王の方を向いていわく、

昭王 ところでのぉ、趙王殿、わしにひとつ提案があるのじゃが・・・。

恵文王 ・・・(かたずを呑む)。

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昭王 聞くところによりますればのぉ、趙王殿、あなたは、すばらしい宝玉をお持ちとか・・・。

恵文王 (ドキッ)・・・。

昭王 それそれ、えーと、何という名前でしたかのぉ、えーと・・・あ、そうそう、卞和(べんか)じゃ、卞和が掘り出したる原石から磨き出されたという玉・・・その玉の名は・・・えーと、えーと、あ、それそれ、「夜光玉」でしたかな?

恵文王 (ドキドキッ)・・・。

昭王 その玉、世にも類希(たぐいまれ)なる光を発するとかいう話しですな。いったいどのような輝きなのであろうかの、わしも一度、この目でとっぷりと拝ませていただきたいものじゃ。

恵文王 ・・・。

昭王 そこでじゃ、趙王殿、いかがでしょうかな、その玉とわが方の領土とを交換するというのは?

恵文王 えぇっ!

昭王 その玉と交換するためなら、我が領国中の15城を、あなたに差し上げてもよいと思いまするがのぉ・・・。

恵文王 えっ、15城?!

昭王 さよう、15、15城ですぞぉ!

恵文王 うーん・・・。

昭王 それがどうしてもおいやというのであればの・・・いたしかたあるまいて、両国の会盟はたった今、この場でご破算じゃ。さすれば今後永久に、両国の和親は望めませんのぉ。

中国の「1城」とは、360平方里の面積を持つ領域の事である。

恵文王 (内心)それを15個も、くれるというのだ・・・全部合わせれば、国2、3個分にもなる! じつにオイシイ話ではないか!

昭王 いかがですかな? わしのこの提案。

恵文王 (内心)かりに今、玉を惜しんで、この話を拒絶したとしよう、するといったいどうなる? 秦国側の大兵力に包囲されている現状の下では、無理やり玉を奪われてしまうであろうて。どっちみち、玉を渡してしまわねばならぬのであれば、15城と交換した方がまだまし、というものではないか。

恵文王 その話、おうけいたしましょう。

昭王 おぉ! よぉ言うて下された。これで、秦趙両国の絆(きずな)は未来永劫にわたり、この日この場にて、しっかと結ばれましたぞ!

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玉をゲットした昭王は、大喜び。

昭王 (しげしげと玉を見つめながら)なるほど、これが天下の名玉か・・・いやぁ、美しいのぉ!

昭王 この玉を得んがために、わが領国の15城を差し出す、というのじゃからのぉ・・・15城、15城じゃ・・・そうだ、この玉を、「連城の玉」と名付けようぞ。

昭王 ・・・15城・・・15城じゃよ・・・ウフフフフフフフ・・・ウハハハハハハハ・・・ガハハハハハハハ・・・ギャハハハハハハハ・・・。

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その後、恵文王はたびたび使者を秦国に送り、玉との交換条件になっている例の「15城」の引き渡しを迫った。しかし、昭王はたちまち約を違えた。たったの1城をも渡そうともせず、かといって、玉を返還する気配もない。ただただ使者を欺き、礼を軽んじて、返答さえ送ってよこさない。

かくして、恵文王は玉を失ったのみならず、中国全土からの激しい嘲りを受ける事になってしまった。

ある日、藺相如(りんしょうじょ)が恵文王の前にやってきていわく、

藺相如 陛下、願わくば、私めを秦国への使者に任命いただきたく!

恵文王 (溜息をつきながら)ハァー・・・なに・・・秦国への使者だと?・・・。

藺相如 はい。秦国の都へ赴き、秦王にかけあって、あの玉を取り返してくるのでござりまする。さすれば、陛下のお憤りも止むというもの。

恵文王 ハァー・・・いったいどのようにして、あの玉を取り返してくるというのじゃ・・・今や秦は超大国、国土は広く兵は多い。わが国の武力では到底太刀打ちができぬわい。たとえ兵を率いて戦をしたとて、玉を取り返す事など絶対に不可能じゃ・・・ハァー・・・。

藺相如 いえいえ、兵を率いて行こうというのではありませぬぞ。武力でもってあの玉を取り返そうというのではありませぬ。我が一人の力でもって、秦王を欺き、玉を取り返すのでござりまする。

恵文王 ・・・。

藺相如 わたくしめに、良き謀りごとがござりますれば、陛下、なにとぞ、秦国への特使に任命くださりませ!

恵文王は納得がいかなかたっが、

恵文王 ハァー・・・よし、そこまで言うのであれば、やってみるがよい。そちを秦国への特使に任命する・・・ハァー・・・。

喜び勇んで藺相如はただちに秦国へ赴いた。兵を一人も率いずに、身には剣もつけず、衣冠を正し車に乗って、特使としての威儀を調えて秦国の都へ入った。

宮殿の門をくぐってあいさつをし、出迎えの者に告げた。

藺相如 趙王陛下の特使、藺相如、ただいま秦国の王宮にまかりこした。秦の国王殿にじきじきにお目通り願い、申しあげたき義あり!

昭王は宮殿に出御し、ただちに藺相如を謁見(えっけん)した。

昭王 ふふふ・・・ひさしぶりじゃのぉ、藺相如。どうじゃぁ、あれから元気にしておったかぁ?

藺相如 ははっ!

昭王 して、今日はいったいいかなる用向きで、参ったのかなぁ?(ニヤニヤ)

藺相如 はい、例の玉(ぎょく)の事で。

昭王 玉? はてさて、いったい何の話じゃ? 玉? いったい何のことじゃぁ?(ニヤニヤ)

藺相如 先年、わが主君より秦王殿に進呈せし「趙璧(ちょうへき)」またの名、「夜光の玉」に関する、極めて重要なるある事実をお伝えせんがために、藺相如、本日、秦の王宮へまかりこしましてござりまする。

昭王 う?

藺相如 秦王殿、あの玉、実は・・・。(両手で顔を覆い、下を向く)

昭王 なんじゃ、なんじゃ?! あの玉に何か・・・。

藺相如 実は・・・隠れたる傷が少々ござりましてな・・・。

昭王 なにぃーーー!

藺相如 傷が存在することをば秦王殿にお知らせせぬままに、玉を呈上いたしましたること、まったくもって我が国の重大なる落ち度にてござりまする。このままでは、結局、かの玉、秦王殿の宝にはなりもうさぬ。ゆえに、趙王陛下は私めに命じられましてござりまする、「あの玉に隠れたる傷が存在せし事を、秦王殿に包み隠さず、ありのままにお伝えせよ」と。

これを聞いて昭王は喜んだ。

昭王 いやいや、よくぞ来てくれた! 傷の存在を知らぬ限りは、玉は永遠に「傷持ちの玉璧」。しかしながら、ひとたびその傷の存在を知らば、それはいくらでも修復可能ではないか! 修復の後は、玉は永遠に「完全なる玉璧」となるであろうが!

昭王は例の玉を取り出して玉盤の上に置き、藺相如の前に据えた。

昭王 さ、さ、速やかに傷の場所を教えよ!

藺相如 はは! ではおおせに従いまして。

昭王 どこじゃ、どこじゃ、傷はどこじゃ?!

藺相如 ご覧くださりませ、それ、ここに・・・。(手を玉に伸ばす)・・・(ガバッ)

藺相如は玉を左手に取るやいなや、それを宮殿の柱に押し当て、右手で剣を抜いた。

昭王 こらっ、何をする! ものども、であえい! であえい!

藺相如 寄るな、寄るな! 一歩たりともわしに寄らば、この玉、粉々にしてくれるわ!

昭王 あああ・・・玉・・・玉・・・。も、ものども、ひかえい、ひかえい!

藺相如 秦王! そなたはよくも・・・よくも、わが陛下をだましおったな!

昭王 ううう・・・。

藺相如 「君子は食言せず、その約の堅きこと金石のごとし」というではないか! 秦王、そなたは我が陛下を脅し、ムリヤリ、秦の15城とこの玉との交換を承服させた。しかるにその約を違え、15城を引き渡そうともせず、玉を返そうともせぬ!

昭王 ・・・。

藺相如 秦王、そなたはの、盜跖(とうせき:注4)のごとき、ヌスットじゃ! 文成(ぶんせい:注4)のごときペテンシじゃぁ!

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(訳者注4)盜跖は荘子に出てくる大盗賊。文成は漢王朝時代の人。「盜跖うんぬん」はともかくとして、文成よりも先の時代に生きている藺相如の言葉に文成の名が登場するわけがない。この部分、おそらく元ネタは「史記・廉頗・藺相如列伝」なのだろうが、史記中の藺相如はもっと別の事を言っている。この部分、史記と太平記とでは話の内容が大きく食い違っているので注意が必要。
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昭王 ・・・。

藺相如 はははは・・・。この玉にはの、傷なんか毛頭無いわ!

昭王 ヌヌヌ・・・。

藺相如 わしはな、わが命もろもと、この玉を粉々に砕かんがため、この秦国にやってきたのよ! わが肉体の血を秦王、そなたの王座の前に注がんがためにな!

彼は目を怒らせ、玉と昭王とをはたと睨む。わが身に近づく者あらば、たちまち玉を切り抜き、返す刀で自らの腹を切らんと、まことに思い切ったその様子、あえて誰も遮りとめようとする者もいない。昭王は呆然として言葉無くたたずむばかり、群臣は恐れて近づこうともしない。

藺相如 この玉、持って帰らせていただきますぞ、よろしいですな、秦王殿!

昭王 ・・・。

かくして、藺相如は「連城の玉璧」を奪回し、それを趙国に持ち帰った。まさに、「璧を完うした」わけである。

璧玉を取り戻す事ができた恵文王は大喜びである。藺相如をほめたたえ、大禄高位を授けた。かくして彼の位は王の外戚をも超え、その禄は万戸を超えることとなった。さらには、「牛車に乗ったまま宮城の門をくぐってもよし」という事にまでなった。彼が宮門を出入りする時には、王侯貴人でさえも目を側め、道をよけるのであった。

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ここに、廉頗(れんぱ)将軍という恵文王の旧臣がいた。先祖代々、趙の王家につかえて功績を積み、その忠はまことに重い。

廉頗 (内心)うーん・・・まったくいまいましいわい! わしに肩を並べられる者など、この趙の国内には一人もいないと思っておったにのぉ!

廉頗 (内心)藺相如め、あの玉の一件でえらいのし上がりよったもんじゃ。わしを凌いでしまうほどの高い権力の座にまで登りつめてしもうたではないか! ええい、まったくもって、いまいましいヤツじゃわい。

廉頗 (内心)よし、あやつを、亡きものにしてくれるわ! やつが宮中に参内するその道中を狙ってな・・・そうだな、兵は3000人くらい配置するとしようか。

これを察知した藺相如は精強の兵1000余を率いて自宅を出、王宮に向かった。

はるか彼方に待ち伏せしている廉頗を見つけるやいなや、藺相如は、

藺相如 これ、ただちに車を返せ! 館(やかた)に戻るのじゃ!

車引き ハハッ!

彼は廉頗と一切戦おうともせずに、すぐに兵を率いて車を飛ばし、館に帰った。

廉頗の兵G ざまを見ろ、藺相如め!

廉頗の兵H きゃつはまさに、「虎の威を借る狐」、自分の力では、何もできない男なのじゃよ。

廉頗の兵I 「いざ、直接対決!」となったらの、我らが将軍の小指ほどの力もないのじゃなぁ。

廉頗の兵一同 ワッハッハッハッハァ・・・。

これを聞いた藺相如側の兵たちは、

藺相如の兵J 言わしておけば!

藺相如の兵K これより直ちに、廉頗の館へ押し寄せ、

藺相如の兵L いざ合戦じゃぁ、雌雄を決してやろうぞ!

藺相如の兵M わしらを嘲笑ったやつらに、目にもの見せてくれるわい!

兵士らの憤りを見て、藺相如は目に涙を浮かべ、彼らに説いた。

藺相如 (涙)おまえら、こういうことわざを聞いた事がないかのぉ? 「両虎相い闘いて共に死する時、一匹の狐、その弊(ついえ)に乗じて是(これ)を噛(か)む」。

藺相如の兵一同 ・・・。

藺相如 今、この趙国においてはのぉ、廉頗とわしとは「二匹の虎」、戦えば必ず、二人共に死ぬ。して、「一匹の狐」とは、秦国の事じゃ。我らの闘争がもたらす国家の弊に乗じ、趙国を食らわんとするは必定(ひつじょう)。廉頗も藺相如もいなくなってしまったこの趙国、いったい誰が、これを守れるというのか?

藺相如の兵一同 ・・・。

藺相如 これを思うが故にのぉ、わしは廉頗と戦いとぉはないのじゃ。

藺相如の兵一同 ・・・。

藺相如 世間の人々は、わしを、「あの弱虫め」と嘲るであろうの。しかし、その嘲笑を避けんがために、国益に反してまでも、わしが廉頗とあくまで争うならば・・・そのようなことでは到底、わしは、国家の忠臣とは、言えぬであろうが!

このように、理を尽くして制止したので、兵たちもみな折れ、合戦を思いとどまった。

この一部始終を伝え聞いた廉頗は、言葉も無く、ただただ大いに恥じ入るばかりであった。

廉頗 あの藺相如という男、なんというスケールの大きな人間なのであろうか・・・それにひきかえ、このわしは・・・まったくもって、チャチな男よのぉ・・・ハァー(溜息)。

廉頗 ・・・詫びよう・・・じかに会って、詫びるのじゃ!

廉頗は、杖を背中に負い、藺相如のもとに赴いた。

門番 申しあげます、廉頗殿がこれへ! しかも、たったお一人で!

藺相如 なに!

門番 とりあえず、お庭に、お通し申し上げましてござりまするぞい!

藺相如は、あわてて庭に出た。

藺相如 廉頗殿! いったい・・・。

廉頗 藺相如殿、わしはのぉ・・・わしは、今日、あなたにお詫びする為に、やって参りましたのじゃ。

藺相如 ・・・。

廉頗 過日、あなたが兵士らに語られたお言葉をお聞きましての、わしはつくづく、自分が情けのぉなってきましたわい。

藺相如 ・・・。

廉頗 あなたは、まさに、わが国の忠臣じゃ! 自らの全てを国に捧げつくさんとするその誠の心・・・かたや、わしはといえば、自らのプライドにこだわり、つまらんイジばかり張っておるだけではないか・・・つくづく、恥じ入り申した。

藺相如 ・・・。

廉頗 (背中に負ってきた杖を手に持ち)願わくば、この杖でもって、わしを300回ほど打ち据えてくだされぃ。それでもって、わしの罪の償いとさせてくださりませぃ(涙)。

廉頗は庭に立ち尽くし、涙を流している。

義の心深く、怨みの心を全く持たない藺相如が、廉頗を杖で打つはずがあろうか、

藺相如 廉頗殿、廉頗殿・・・よぉおこしくださりましたなぁ・・・さ、さ、どうぞ、中へお入りくださりませ、さ、さ、さような所に、お立ちにならずに。

廉頗 ・・・(涙)。

藺相如 おぉい、酒の用意じゃ! これから廉頗殿と、一献(いっこん)傾けるでなぁ!

藺相如家人一同 ハイハイハイーっ!

廉頗 藺相如殿・・・(笑顔)。

藺相如は廉頗をもてなし、大いに親交を深めて家に帰した。まことに優しいその心。

以来、秦国と楚(そ)国に挟まれ、国土狭く兵力少なき趙国も、藺相如と廉頗が文武の両道さかんに国を治めている間は、他国の侵略を受ける事なく、その王権は長く保たれた。

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私心を忘れ、君主への忠節を専らにせんと志す人は、この藺相如と廉頗を、範とすべきである。

しかしながら、足利幕府を倒そうとしている虎や龍が、国土の四方辺境で機を窺っているという今この時に、高(こう)と上杉(うえすぎ)の両家の人々は、さしたる怨みも無く、大して咎められるような点もないのに、互いに権を争い、相手の威をそねみ、何とかして確執に持ち込まんと、互いにスキをうかがっているのである。

まさに、両者共に「忠臣からは、ほど遠し」としか、言いようがない。

太平記 現代語訳 インデックス6 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

2018年2月17日 (土)

太平記 現代語訳 26-6 高兄弟、驕りをきわめる

太平記 現代語訳 インデックス6 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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富貴(ふうき)に驕(おご)り、功に侈(おご)って、慎みを完全に失ってしまうのが人間の常、高兄弟とて、その例外ではなかった。

高師直(こうのもろなお)は、今回の対吉野朝戦における大勝利の後、ますます心奢(おご)り、やりたい放題、したい放題の毎日を送るようになっていった。仁義の道をもかえりみず、世間の嘲笑をも一切気にしない。

慣例では、4位以下の侍や武士は、板で葺いてない桧皮葺(ひわだぶき:注1)の家にさえも、住まない、という事になっている。

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(訳者注1)桧の樹皮を葺いた屋根である。現在でも古い神社仏閣に行くとこれが見られる。
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ところが、師直はなんと、あの護良親王(もりよししんのう)の母(注2)のかつての旧居(場所は一条今出川(いちじょういまでがわ:注3)、すっかり荒れ果ててしまってはいたのだが)を手に入れたのである。

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(訳者注2)6-1に登場。

(訳者注3)現在の京都の地理感覚でいくと、「一条今出川? 一条通りと今出川通りが交差する所? あれ? どっちも、東西方向の道路だが・・・」となるのだが、これを、「一条通り と 今出川という河川 とが交差する所」と思えば、納得が行く。[今出川]という河川が、かつてあったようだ。

堀川通と今出川通の交差点の西北に、[西陣舟橋]の跡地を示す石標があり、そこに、高師直の邸宅があった、という伝承があるようだ。
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その敷地内に新たに、切妻破風(きるづまはふ)や唐破風(からはふ)の門を四方に建て、立派な釣殿(つりどの)、渡殿(わたりどの)、泉殿(いずみどの)を建設し、壮麗なる屋敷を構えて、自らの邸宅としたのである。

世間の声A あこの屋敷な、庭もすごいんやで。立派な石が、ゴロゴロや。

世間の声B うわさじゃ、伊勢(いせ:三重県中部)や志摩(しま:三重県東部)、はたまた、雑賀(さいか:和歌山県・和歌山市)あたりから、取り寄せたっていうじゃぁないの。いずれも、名だたる石の名産地だよなぁ。

世間の声C その石運んでる時がなぁ、そらまたものすごいミモノやったそうどす。あないに大きな石どすやろ、運ぶ車がきしってもぉて、車軸が砕け飛んだとか、いいますやん。

世間の声D わしな、その運んどるとこ、見たで。車引いてる牛が、そらぁかわいそうなもんやったわ。石がよっぽど重かったんやろな、あえぎ苦しみながら、車引いとったなぁ。

世間の声E 石もさることながら、庭の植木がまた、すごいんだよね。あそこに植わってるあの見事な桂の木、まさに、月世界に生える桂を思わせる木だよ。

世間の声A ハハハ・・・そらまたオーヴァーな、いくらなんでも月世界はないやろ。

世間の声B 桂の木が月世界なら、あの菊はさしづめ、仙人の家で栽培された菊ってとこかな。

世間の声C 桜は吉野山の桜どすか。

世間の声D ほなら、松は、あの播磨高砂(たかさご:兵庫県・高砂市)の、尾上の松(おのえのまつ)ですな。

世間の声E 露霜染めた紅の八(や)しおの岡の下紅葉(したもみじ)ってとこかぁ。

世間の声F オイチャン、オイチャン、「ヤシオ」って、いったいどういう意味やぁ?

世間の声E 何度も何度も染め直してな、色を濃くするってことさ。

世間の声G あのっさぁー、あの屋敷に生えてる葦(あし)ってぇさぁー、いったい何を意味するシンボルだか、みんな知ってるぅー?

世間の声C えっ、庭に葦まで生やしたはるんどすかぁ。そら知らんかったわ、いったいなんでまた葦なんか?

世間の声G あの庭に一叢(ひとむら)の葦を生やしてるのはっさぁ、あれは古の世に、かの西行法師(さいぎょうほうし)がっさぁ、詠んだ歌にひっかけてるんだよねぇ。

 津(つ)の国の 難波(なにわ)の春は 夢なれや あしの枯葉に 風渡るなり(注4)

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(訳者注4)新古今和歌集 巻第六 冬歌より。
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世間の声F おねぇちゃん、おねぇちゃん、その歌、いったいどういう意味ぃ?

世間の声G 教えたげよっかぁ。「津の国」ってのはっさぁ、「摂津(せっつ)の国」の短縮形なんだよねぇ。でぇ、この歌の意味ってのはっさぁ、「おかしいなぁ こないだ見た時は 摂津の国の難波海岸は 春まっさかりだったのに あれって ただの夢だったのかなぁ だってさぁ 今 目の前にあるものといやぁ 葦の枯れ葉を渡っていく風だけじゃん」ってぇ、意味の歌なんだよぉ。

世間の声F ふーん・・・。

世間の声B 葦が西行なら、蔦(つた)と楓(かえで)は、業平(なりひら:注5)だなぁ。

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(訳者注5)在原業平。伊勢物語の主人公。
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世間の声C うんうん、伊勢物語のあのくだりどすな、「我が入らむとする道はいと暗う細きに蔦かえでは茂り」。遠州(えんしゅう:静岡県中部)の宇津谷(うつのたに:静岡市)の風景どすかぁ。うわぁ、師直はんてモロ、文学マニアのお人どすなぁ。

世間の声D 名所名所の風景をやな、自分とこの庭に残らず集めてみた、というわけや。

世間の声F あのっさぁ、あの人が関心を持ってるのってっさぁ、植木や石だけじゃないんだよぉ。

世間の声C 他にいったい何を?

世間の声G 最近、京都のお公家さんとこって、どこもかも落ち目じゃぁん?

世間の声C たしかに、落ち目どすわなぁ。

世間の声G でっさぁ、そういうおウチのお姫様たちってのはっさぁ、どうしても、先き行き不安じゃぁん? だからぁ、「確かな拠り所」ってのを求めてるってわけよ。でもってっさぁ、そういう家の戸を次々と、師直オジサンが、叩いてまわっるってわけなんよぉ。

世間の声H あのな、その件については、ちょっとワシにも、コメントさせぇ!

世間の声C あらぁ、いったいなんどすかいな、えらいイキマいといやすなぁ。

世間の声H あのな、お公家さんとこの子女に対して、あの男がナニすんのん、ワシとしては、まぁ許せるわいや、相手の家かて、それで潤おうんやからな。そやけどな、あれ、あれだけは、ワシにはゼッタイに許せへん! なんやねん、あの男は! よりにもよって、やんごとなき皇室の子女方にまでチョッカイ出しよって!

世間の声D エーッ、ほんまかいな、それ!

世間の声H そうやがな! そういう皇室の血を引いてるお姫様方をたくさんな、京都の方々に隠し置いてやな、毎夜毎夜、あちらこちらと通ぉとるんやがな、あの男はなぁ!

世間の声A 京都中、もっぱらのうわさだっせ、「執事(しつじ)の宮廻(みやめぐ)りに、手向(たむけ)けを受けぬ神も無し(注6)」っちゅうてなぁ。

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(訳者注6)高師直は足利家の執事であった。
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このような事が多かった中にも、これはあまりにもひどいとしか言いようのない行為が・・・なんと、よりによって関白家にまで・・・こんな事をしているようでは、神仏のご加護も頂けなくなってしまおうというものである。

前関白・二条道平(にじょうみちひら)には、妹君がいた。

深宮の中にかしづかれ、やがては天皇妃の一員にと期待されていたその女性を、なんと、師直は、二条家の邸宅から盗み出してしまったのである。

最初のうちは、少しは世間の目を忍ぶ様であったが、次第に彼女との関係をおおっぴらにするようになり、もはや誰の目も憚らないようになってしまった。

年月を経て、この女人は男子を産み、武蔵五郎(むさしごろう)(注7)と名付けられた。

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(訳者注7)高師夏の幼名である。
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あぁ、まさに世も末である。あの大織冠(たいしょくかん)・藤原鎌足(ふじわらのかまたり)公の子孫である太政大臣・二条公の御妹君が、関東出身の一介の武士のもとに嫁するとは・・・もう、あきれはてて、ものもいえない。

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いやいや、これくらいの事で驚いてはならない。

高師泰(こうのもろやす)の悪行こそは、伝え聞くだけでもびっくぎょうてんである。

ふとした事から師泰は、東山(ひがしやま)山麓の枝橋(えだはし:注8)という所に別荘を造る気になった。

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(訳者注8)[新編 日本古典文学全集56 太平記3 長谷川端 校注・訳 小学館] 中の注には、

 「・・・京都市左京区の叡山電鉄叡山線の出町柳から田中明神に至る東方の地域か。」

とある。
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さっそく、土地の所有関係を調査させたところ、そこは、菅原(すがわら)家のトップにして参議職にある菅原在登(すがわらのありのり)が所有する土地であることが分かった。

すぐに使者を立てて、用地取得の交渉に入った。

菅原在登 高師泰殿が別荘造営のため枝橋の地を所望との事、あいわかりました。こちらには一切異存はありませんわ。ただしですな、あこの敷地の中には当家の墓地がございましてな、先祖代々、そこに五輪塔を立ててお経を奉納したりしてきてますんやわ。そやから、そこのお墓を他の場所に移す間だけ、どうか待っとくれやす。

これを聞いた師泰は、

高師泰 ナニィ、先祖代々の墓だとぉ! さては菅原め、土地を手放すのがいやなんで、そんな口実を構えてやがんだな。えぇい、かまわん、そんな墓地なんか、隅から隅まで、きれいさっぱり掘り崩して、更地にしてしまえぃ!

さっそく、人夫5、600人がそこに送り込まれた。

彼らは、山を崩し木を切り倒し、どんどん整地を行っていく。累々と重なる五輪塔の下には苔に朽ちた屍(しかばね)あり、草の茂る中に転がっている割れた石碑の上には雨に消えた戒名あり、という惨状。

このように墓地が破壊され、墓に植えられた箱柳(はこやなぎ)の木も切り倒されたとなると、今までここに眠っていた菅原家の霊魂たちは、これから先、いったい、どこをどのようにさ迷う事になるのだろうか、まことにもって哀れな事である。

いったいどこの不心得者であろうか、この有様を見て、一首の歌を書きつけた札を、その更地の上に立てた。

 亡き人の 標(しるし)の卒塔婆 掘り捨てて お墓の上に はかない家を

 (原文)無人(なきひと)の しるし(標)の卒都婆(そとば) 掘棄(ほりすて)て 墓(はか)なかりける 家作哉(いえつくりかな)(注9)

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(訳者注9)そんなヒドイ事して建てた別荘なんか、実にハカない、あっという間に潰れてしまうよ、の意。「はかない」と「墓」とをかけてある。
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この落書を見た師泰は、

高師泰 こりゃきっと、菅原のしわざにちげぇねぇ! よぉし、ヤツに言いがかりつけてな、刺し殺しちまえ!

師泰は、大覚寺(だいかくじ)門跡(もんぜき)の寵愛を受けている我護殿(ごごどの)という大力の童(わらわ)を仲間に引入れ、彼に菅原在登を殺害させた。まったくもって、哀れな事である。

この菅原在登という人は、聖廟(せいびょう)・北野神社(きたのじんじゃ)をまつり、朝廷の学問関係の元じめの任にあった人である。いったいいかなる神慮に違いて、このような無実の死刑に遭わねばならなかったのであろうか。まさに古代中国、魏(ぎ)のビシカが鸚鵡州(おうむしゅう)の土に埋もれたあの悲しい物語に似ている。

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師泰の別荘の造営は、どんどん進んでいく。

ある日、四条隆陰(しじょうたかかげ)に仕官している大蔵少輔重藤(おおくらのしょうゆう・しげふじ)と古見源左衛門(ふるみげんざえもん)という二人の侍(さむらい)が、たまたま、その工事現場近くを通りかかった。

大蔵少輔重藤 おいおい、あこが例の土地やで。ほれ、例の山荘の用地買収で、ゴタゴタのあった、例の・・・。

古見源左衛門 あぁ、あこかいなぁ。

大蔵少輔重藤 ちょっと見て行こいな。

古見源左衛門 そやなぁ。

二人は工事現場に立ち寄った。見れば、土木工事をしている人夫たちは汗を流し、肩に重荷を背負いながら、休む間もなくこき使われている。

大蔵少輔重藤 おい、おまえら、かわいそぅやのぉ。

古見源左衛門 いくら身分の低い人夫やいうたかてな、ここまでキツゥ働かされいでも、えぇやろうになぁ。

大蔵少輔重藤 ほんまに、おまえらの雇い主、ヒドイやっちゃ。

二人は、師泰に対する批判の言葉を放ちながら、そこを去っていった。

現場監督をしていた者の部下がこれを聞き、さっそく師泰に報告した。

高家メンバーA 殿! いってぇ、どこのウマノホネだか知らねぇけんど、おそらく、どこぞの公家の使用人でしょうね、けしからんヤロウがいやしたぜぃ。工事現場を通りすぎながらね、こんな事言ってやがるんですよ、まぁ、聞いてくださいよ、あのね・・・。

これを聞いて、師泰は怒り心頭に達してしまった。

高師泰 そうかいそうかい、人夫がかわいそうだってかい、じゃ、そいつらに、代りに働いてもらう事にしようじゃねぇかい!

高家メンバーA ワハハ、こりゃぁおもしれえや。

高師泰 すぐにその二人、追いかけて、とっつかまえろい! 工事現場で、ビシビシこき使ってやれい!

高家メンバーA ウィッスゥ! おぉい、みんな、行こうぜぃ!

高家メンバー一同 ウィッス、ウィッスゥ!

彼らは、遥かかなたまで行っていた二人を追跡し、ウムを言わさず、現場まで連れ戻してきた。

大蔵少輔重藤 (内心)これからいったい何が・・・。(ワナワナ)

古見源左衛門 (内心)エライことになってもた・・・。(ワナワナ)

高家メンバーA おぉい、おまえらな、とっとと、そこの着物に着替えやがれぃ!

二人は指示に従って、人夫らが着ていた綴りあわせの着物に着替えた。

高家メンバーB そないな立ち烏帽子では、仕事ができひんやろがぁ。

二人は、立ち烏帽子をひっこめさせられ、夏の炎天下に放り出された。

高家メンバーA さぁ、これから、ここの整地作業をやってもらおうかい!

大蔵少輔重藤 えぇーっ、整地作業?

古見源左衛門 ここの土地の?

高家メンバーA アッタボゥよ! 他にどこの整地やるってんだぁ!

高家メンバーB ほれほれ、早ぉ、手に鋤持って、土かき寄せるんやがな・・・。そうやそうや、その調子でな。

高家メンバーC オラオラ、そこの石、とっとと掘り出しやがれ!

高家メンバーD こら! ナニ、ボサッと、つっ立ってんだよぉ! 掘り出した石、そこのアンダ(注10)に入れて、あっちへ運んでいけってぇ!

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(訳者注10)おそらく、繊維を編んで作成した容器であろう。
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高家メンバーE ほんーまにおまえら、トロイやっちゃのぉー。そんなスローペースでやっとったんでは、日ぃ暮れてしまうやろが。ほれほれ、ペースアップ、ペースアップーゥ!

このように、終日こき使われている二人を見て、人々はツマハジキし、

通行人F なんとなんと、これほどのハズカシメを受けながらも、じっと耐えての労働かいな。

通行人G よっぽど、命が惜しいんだろうよ。

通行人H こんな恥辱を受けるくらいなら、死んだ方が、よっぽどましじゃけん。

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いやいや、こんな事など、まだまだ序の口。

今年の楠(くすのき)攻めの際に、石川河原(いしかわがわら)に陣を取った時に、師泰は、どさくさにまぎれてその周辺をも完全に占領し、地域一帯の神社仏閣の領地を残らず横領してしまった。その中には、天王寺(てんのうじ:大阪市・天王寺区)の24時間灯し続ける仏前の灯明の費用の充足に当てていた領地も含まれていた。その結果、700年の間、消えることの無かった仏法常住(ぶっぽうじょうじゅう)の灯火も、寺の威光と共に、ついに消えはててしまった。

さらに、こんな事もあった。

どこの輩か定かではないが、一人の極悪の者がいわく、

高軍メンバーI このあたりの寺の塔、九輪(くりん:注11)はおおかた、赤銅(しゃくどう)でできてると思うんだよな。あれみんな取ってきてさ、そいでもってお茶の釜に鋳直してみたらどうだろ。いい釜が、できるんじゃないかなぁ。

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(訳者注11)塔の頂上に取り付ける9個の輪。
--------

これを耳にした師泰は、

高師泰 なぁるほど!

さっそく、寺院の塔の頂きから九輪を取ってこさせ、釜を作らせた。

高師泰 うん、あいつが言ってた通りだ! こりゃぁ見事な釜ができたぜ。

高家メンバー一同 ホホォ・・・。

高師泰 見ろよ、窪みが一個所もねぇだろうが。磨けば磨くほどに、光冷々!

高家メンバー一同 ウーン・・・。

高家メンバーJ でぇ、いったいどうですかい、カンジンのお茶のお味の方は?

高師泰 まぁまぁ、待て待てぇ、これから飲んでみっからぁ。

高家メンバー一同 ・・・(かたずを飲んで師泰を見つめる)

高師泰 (ゴクリ)・・・。

高家メンバー一同 ・・・

高師泰 ・・・。

高家メンバー一同 (ゴクン・・・生唾を呑み込む)

高師泰 ギャハァー・・・ハァー・・・ああああ、なんともいえぬ、このかんばしさーッ・・・この福建(ふくけん:中国福建省)・建渓(けんけい)産の銘茶、この釜のおかげで、ひときわ味がひきたつねぇ・・・ハァー・・・。

高家メンバー一同 (ゴクンゴクン・・・生唾を呑み込む)

高師泰 いやぁ、かの蘇東波(そとうば)先生が、「世界一の名水」って詠んだ時も、まさにこういった最高の気分だったんだろうなぁ・・・ハァー・・・。

「上の好む所に下必ず随う」とは、かの孟子(もうし)の言葉、そこに集まっていた諸国の武士たちは、これを伝え聞き、我も我もと、そこいら中の寺の塔から九輪を略奪し、茶釜に変えていった。その結果、和泉(いずみ:大阪府南部)、河内(かわち:大阪府東部)中の数百か寺の塔という塔から、九輪が消滅してしまった。

九輪を取られて、柱の上の方形だけが残っているもあり、塔の中心の柱を切られて、九層だけが残っているもあり。塔の中にご安置の多宝仏(たほうぶつ)と釈迦仏(しゃかぶつ)は、今や無惨にもむき出し状態。仏像の玉飾りは暁の風に漂よい、五智を備えられた如来のみ像の頭髪を夜の雨が濡らす。

この高師泰という男、もしかしたら、かの物部守屋(もののべのもりや:注12)の生まれ変わりなのかもしれない。古の世に果たす事ができなかった、「我、仏法を亡さん」との望みを、今この世において達成しようというのだろうか。まったくもって、悪寒を催すような話ばかりである。

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(訳者注12)[日本書紀]の記述によれば、以下の通り:

物部守屋は、大和時代の有力豪族・物部氏のリーダーである。時あたかも朝鮮の百済から日本に仏教が伝来、「仏教を受容すべし」と主張する蘇我氏と、「仏教を排撃すべし」と主張する物部氏とが真っ向から対立。両者武力闘争の末、蘇我氏が勝利。以後、仏教が日本に広まっていった。
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(訳者注13)[観応の擾乱 亀田俊和 著 中公新書2443 中央公論新社] の 41P ~ 42P には、以下のようにある。

 「・・・高師直を日本史上屈指の大悪人であるとする史観は現代なお根強く残存しているが、その史料的根拠はほぼすべて『太平記』である。」

 「だが、別の機会に検討したことがあるが、『太平記』に列挙される師直兄弟の悪行は、ほとんど一次史料で裏づけがとれない。・・・」
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太平記 現代語訳 インデックス6 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

2018年2月16日 (金)

太平記 現代語訳 26-5 吉野朝、賀名生において、逼塞状態に

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。

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京都朝年号・貞和(じょうわ)5年(注1)1月5日、四条縄手(しじょうなわて)の合戦において、和田(わだ)・楠(くすのき)軍は全滅し、今は、楠正行(くすのきまさつら)の弟・正儀(まさのり)が生き残っているだけの状態となった。

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(訳者注1)ここは、太平記作者のミスであり、四条縄手の戦があったのは、貞和4年(1348)である。
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高師泰(こうのもろやす) このチャンスを逃がしちゃいかん! 楠氏の拠点、残らず掃討しちまうんだ!

高師泰軍メンバー一同 ウィッスゥ!

師泰は、3,000余騎を率いて、石川河原(いしかわがわら)に向城(むかいじろ)を築き、楠一族を攻めたてた。高師泰側と楠側、互いに攻めつ攻められつ、合戦の止む間もない。

一方、吉野朝(よしのちょう)の後村上天皇(ごむらかみてんのう)は、天川(てんかわ)の奥、賀名生(あのう:奈良県・五條市)という所に、小さな黒木の御所を建て、そこに住むことになった。

後村上天皇 (内心)まぁ、こないな粗末な御所やけどな、かの中国太古の時代、堯(ぎょう)帝や舜(しゅん)帝は、屋根を葺(ふ)いた茅(かや)の端を切り揃える事もせんと、ものすごい質素な生活をしてたというやないか。当時の虚飾無き生活は、まさに今のこの、私の状態みたいなもんやったんやろ。そない思うたら、こういう生活もまた、えぇもんかもしれんて。

しかし、天皇の母・廉子(れんし)や皇后たちは、とてもそういう気持ちにはなれない。

廉子 あーあ、ここはまたなんちゅう粗末な住いやねんなぁ(涙)。屋根に瓦も無いがな、ただ柴で葺いたるだけやないかいな。雨が降ったら降ったらで、軒からじゃぁじゃぁ、雨水が垂れ落ちてくる。あぁ、もういやや、こないなとこに住みとうない・・・みじめや・・・みじめや・・・ううう・・・。(涙)

女性方の涙は、乾くひまもない。

しかし、屋根の下に住めるだけ、まだましというものだ。公卿たちは、木の下や岩の陰に松葉を葺きかけ、寝具といえば苔が筵(むしろ)の代り、そのような場所を、我が身を置く宿とするしかないのである。

公卿A (内心)はぁー・・・こらぁ、ほんまにまいったでぇー・・・。

公卿B (内心)高峯(たかね)の嵐は吹き落ちて 夜の衣をひるがえし

公卿C (内心)露の手枕寒ければ 昔を見せる夢も無し

身分が低い者たちは、もっとみじめである。

身分が低い者D (内心)もうたまりまへん、わし、こないな生活には、もうとても耐えられしまへん。

身分が低い者E (内心)暮山(ぼさん)の薪(たきぎ)を拾うては

身分が低い者F (内心)雪を戴(いただ)くに 膚(はだ)寒く

身分が低い者G (内心)幽谷(ゆうこく)の水を掬(むす)んでは(注2)

身分が低い者H (内心)月を担(にな)うに 肩やせたり(注3)

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(訳者注2)谷川の水を両手で掬(すく)うこと。

(訳者注3)この部分は原文のまま記載した。その意味はおそらく、「夕暮れの山に入って薪を取っている。雪が積もる吉野の寒さが、厳しく肌に迫ってくる。深い谷に入って水を汲んでいる時、月光の下、水面に映る自分の姿を見て、驚いた。いつの間に、自分の肩は、このようにやせ細ってしまったのか!」。
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身分が低い者I (内心)こないなとこで、もうわし、よぉ生きていかん・・・1日、いや、1時間もムリや。いっそのこと、死んでしまいたい!

身分が低い者J (内心)いやいや、人間、命あってのモノダネやぞ、死んで花が咲くもんかいな。

身分が低い者K (内心)耐えて耐えて、生き抜いてったら、

身分が低い者L (内心)そのうち、運命も開けてくるかも・・・。

身分が低い者M (内心)歯ぁくいしばって、ここでがんばってみるとしょうかいな。

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2018年2月15日 (木)

太平記 現代語訳 26-4 高師直、吉野を急襲

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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高師直(こうのもろなお) デデンノデン、楠(くすのき)軍は全滅でごぜぇます。デデンノデン、もうおれたちのジャマするやつは、どこにもいはらしまへんのんで、ありますんどす、デデンノデンデン!

高師泰(こうのもろやす) このさいだなぁ、やつらの根拠地を徹底的に潰してしまおうよ。楠館(くすのきやかた)、焼き払っちまおうぜ。

高師直 楠の木を根こそぎにするお仕事、そちらにおまかせしまっさ。アチキは、吉野(よしの:奈良県・吉野郡・吉野町)へ向かうんでありんすえぇ。

高師泰 吉野ぉ?

高師直 そうざますであぁります。吉野の天皇、ひっ捕まえてしまうんどす。

1月8日、高師泰は、6,000余騎を率いて和泉国(いずみこく:大阪府南西部)・堺の浦(さかいのうら:大阪府・堺市)を発ち、石川河原(いしかわがわら)に到着。ただちにそこに向かい城を築き、楠家の根拠地に対する攻撃態勢を整えた。

一方、高師直は3万余騎を率いて1月14日、大和の平田荘(ひらたしょう)を発ち、吉野山麓へ押し寄せていった。

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「高師直軍、吉野へ迫る」との報に、吉野朝の臣・四条隆資(しじょうたかすけ)は急ぎ、黒木(くろき)の御所(注1)に参内していわく、

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(訳者注1)丸太を削らずに、そのまま使って造営した御所。
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四条隆資 陛下! 大変な事になりましたわ! 数日前に、楠正行(くすのきまさつら)は戦死。明日にも、高師直が、ここへ襲来してくるとの情報が!

後村上天皇(ごむらかみてんのう) なんやて!

四条隆資 このままここにおられたんでは、危のぉす! 防衛拠点も少ないです、兵も足りません。今夜のうちに急ぎ、天川(てんかわ)の上流の方、賀名生(あのお:奈良県・五條市)へ、お逃げ下さいませ!

後村上天皇 ・・・正行・・・死んでしもぉたんか・・・。

四条隆資の手配りは、俊敏であった。ただちに三種の神器を内侍(ないし)に取り出させ、皇室所有馬を庭に引いてこさせた。

後村上天皇 ・・・正行・・・高師直・・・天川・・・賀名生・・・ここの御所は・・・いったいどないなる・・・。

天皇は、呆然自失状態、頭の中を様々の想念がどうどう巡りをするのみ。夢路をたどるような心地のままに、黒木の御所を出た。

天皇の母・廉子(れんし)をはじめ、皇后、准后(じゅこう)、内親王(ないしんのう)等の皇族をはじめ、内侍(ないし)、童女(どうじょ)、関白夫人、公卿、国司、下級官僚、諸官庁の長官・次官、僧正(そうじょう)、僧都(そうず)、寺院所属の童子(どうじ)や役務担当者に至るまで全員、取るものも取りあえず、あわて騒ぎ倒れ迷い、慣れぬ岩だらけの道を歩き、重なる山の雲を分け、吉野を出て、さらに奥の方へと迷い入る。

吉野朝廷メンバーA (内心)あぁ・・・京都からここ、吉野の山中へ逃げてきてから、もう何年になるんやろうなぁ。

吉野朝廷メンバーB (内心)「ここは、仮の避難場所やねんぞ、自分の住処(すみか)はあくまでも、京都やねんぞ」とな、最初のうちは、自分に言い聞かしもって、ここでの生活を始めたんやった。

吉野朝廷メンバーC (内心)そやけどなぁ、「住めば都」とは、よぉいうたもんや。ここで何年かすごしてるうちに、吉野の地にも、すっかり住み慣れてしもぉたわいな。

吉野朝廷メンバーD (内心)ところがまたまた、こっから逃げ出さんならんようになってしもぉたわ。今度は、もっと山奥の方に行くんやて。(涙)

吉野朝廷メンバーE (内心)あぁ、ますます、暮らしにくぅ、なっていくやないかいな・・・。(涙)

全員、袖を涙に濡らすばかりである。

勝手明神(かってみょうじん)の前を通り過ぎる時、天皇は馬から降り、涙の中に一首詠んだ。

 名前聞き 熱い期待を 寄せてたが こんな事では 「勝手」の名折れや

 (原文)憑(たのむ)かひ 無(なき)に付(つけ)ても 誓ひてし 勝手の神の 名こそ惜(おし)けれ(注2)

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(訳者注2)「勝手明神」の名前を頼み、対足利幕府・権力闘争において、多大なる威神力を発揮していただき、我が方に最終的勝利がもたらされることを期待していたのに、こんな惨めな事になってしまって・・・の意。
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後村上天皇 (内心)逆臣が国を乱して、君主をないがしろにするような事があっても、やがては、君主が再び天下を平定する、それが歴史の鉄則や。それが証拠に、古代中国の唐王朝・玄宗皇帝(げんそうこうてい)を見よ。楊貴妃(ようきひ)を寵愛したが故に、安禄山(あんろくざん)に国を傾けられ、蜀(しょく:四川省)の剣閣(けんかく)に逃亡したが、やがて帝位に復帰した。

後村上天皇 (内心)わが国においても古(いにしえ)、大海皇子(おおあまのみこ)は大友皇子(おおとものみこ)に襲われ、この吉野山に避難しはったけど、やがて天下を平定され、天武天皇(てんむてんのう)として即位された。

後村上天皇 (内心)この私かて、このままここで朽ち果てへんぞ! そのうちいつか、きっと、きっとな!

しかし、周囲の男女は、上下を問わず周章狼狽(しゅうしょうろうばい)し、嘆き悲しんでいる。

吉野朝廷メンバーF あぁ、安全な場所、どこぞに無いもんかいなぁ。(涙)

吉野朝廷メンバーG 少しの間でもえぇから、安心して住めるとこ、広い日本のどこにも無いんかいなぁ。(涙)

彼らの様を目にして、天皇の愁いは休まる時がない。

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ついに、高師直軍3万余騎が、吉野山に押し寄せてきた。

三度トキの声を上げたが、吉野朝側は全員退避してしまったがゆえに、ひっそりと静まり返っている。

高師直 そうですか、そうですかぁ、みなさん、どこかへお逃げあそばしんたんざぁますね。じゃぁ、焼き払わしてもらいましょいな。

彼らは、皇居や公卿たちの宿所に、一斉に火を放った。

魔風が盛んに吹き寄せ、他の建物にも、どんどん延焼していく。2丈1基の笠鳥居、2丈5尺の金の鳥居、2階建の仁王門、北野天神の分社、72間の回廊、38か所の神楽屋(かぐらや)、宝蔵(ほうぞう)、竈(かまど)神社、三尊(さんぞん)の化身にして万人の礼拝するところとなっている金剛蔵王(こんごうざおう)の社壇に至るまで、すべて一斉に灰燼(かいじん)となりはて、煙は蒼天(そうてん)に立ち登る。まことにもって、浅ましい限りの所業(しょぎょう)である。

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そもそも、吉野の地に、この北野天神の分社が建立されたのは、以下のようないわれがあっての事であった。

承平(しょうへい)4年8月1日、笙ノ窟(しょうのいわや:奈良県の大峰山系)にこもって修行していた日蔵上人(にちぞうしょうにん)が、修行中に急死してしまった。

蔵王権現(ざおうごんげん)は、ただちに日蔵の霊魂を左の手の上に乗せ、閻魔大王(えんまだいおう)の宮殿に送り届けた。

日蔵 ハッ・・・ここはいったい、どこなんやろう?

閻魔宮・第一冥官(みょうかん) 閻魔宮へようこそ!

日蔵 はぁ・・・閻魔宮ですかぁ。

閻魔宮・第一冥官 さよう。ではさっそく、これからあなたに、六道世界(ろくどうせかい)をお見せしましょう。案内は、これなる倶生神(くしょうじん)がいたしまする。

倶生神 (突然、姿を現し)よろしく、お願いいたします。

日蔵 は、はい。

倶生神 まずは、鉄窟苦所(てっくつくしょ)へごあんなぁい!

日蔵 はぁ。

案内されていった所には、鉄の風呂があった(注3)。

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(訳者注3)湯船が鉄できた風呂ではない、湯船の中に液体状の鉄が満たされているのである。高炉から出てくる液状の「熱鉄」を想像していただきたい。
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鉄の湯の中に、王冠をかぶった天皇のような身なりをした罪人が入っている。その人は、手を上げて日蔵を招いた。

日蔵 いったいあれは誰?・・・あっ、陛下やないか!

日蔵は、天皇の前にひざまづいていわく、

日蔵 陛下、なんという、おいたわしい事!

醍醐天皇(だいごてんのう) 日蔵・・・。

日蔵 いったいなんで、こないな事に・・・。陛下は御在位の間、常に五常(ごじょう:注4)を正して仁義を専らにされ、内には五戒(ごかい:注5)を守って慈悲を先にされました。そやから、ご崩御(ほうぎょ)あそばされた後は、菩薩(ぼさつ)界の最高位にも列せられるやろうと、思ぉておりました。そやのに、いったいなんでまた、こないな地獄に!

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(訳者注4)儒教で説く仁義礼智信の五道徳。

(訳者注5)仏教で説く五つの戒。「殺さない、盗まない、邪淫しない、妄語しない、飲酒しない」。
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醍醐天皇 (涙をぬぐいながら)わたしが天皇位におった間はな、万事怠りなく、撫民治世(ぶみんちせい)の政治に努めたわ。ほんま、わたしの政治は完璧やった・・・たった一件のミスを除いてな・・・。

日蔵 たった一件のミス? いったい何の事ですか?

醍醐天皇 藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(ざんげん)を信じてもてなぁ、なんの罪も無い菅原道真(すがわらのみちざね)を、太宰府(だざいふ)流刑に処してしもうた。そのカドで、わたしは、ここへ落ちてしもぉたんや。

日蔵 ・・・(涙)。

醍醐天皇 なぁ、日蔵、おまえに、たっての願い事があるんやが。

日蔵 おそれおおくも、陛下、私にできますことやったら、なんなりと。

醍醐天皇 おまえは今、ここに来てしもぉてるけどな、これは一時的現象なんや。おまえの急死、あれは、おまえが持ってる因縁(いんねん)からの帰結(きけつ)ではない・・・言うてみれば、これは一種のアクシデントやったんや。

日蔵 アクシデント?

醍醐天皇 そうや。因果律(いんがりつ)の法則の埒外(らちがい)、決定律(けっていりつ)を超えた不確定性的現象(ふかくせいてきげんしょう)や。そやからな、おまえは間もなく蘇生(そせい)して、この霊界からあちらの現生界(げんせいかい)に、戻される事になっとる。

日蔵 ・・・。

醍醐天皇 日蔵、かつて、おまえと私とは、仏教においての師と弟子の関係やった、そうやわなぁ?

日蔵 はい。

醍醐天皇 ならばな、娑婆世界(しゃばせかい)に戻った後に、私を助けてくれへんか。この地獄から私を救いだしてくれ、頼む・・・。

日蔵 はい、陛下の為やったら、何でもいたします! で、私は、いったい何をしたら?

醍醐天皇 菅原道真の廟(びょう)を建立してな、そこを衆生利益(しゅじょうりやく)の一大依所(いちだいえしょ)に、したってくれ。そないしてくれたら、私はこの苦しみから救われるんや。頼む、頼む(涙)。

涙ながらの勅命を受けて、日蔵は、

日蔵 陛下、どうぞ、ご安堵くださいませ。陛下のおん願い、この日蔵、きっと、きっと!(涙)

醍醐天皇 頼む・・・頼んだぞぉ・・・。(涙)

それから12日後、日蔵は蘇生した。

日蔵 よし、霊界での陛下よりの勅命のごとく、社殿を建立や!

日蔵はただちに、吉野山に菅原道真の廟を立てた。醍醐天皇の言葉の通りに、その廟は、そこに参拝する人々に様々な利益を与えるようになった。これすなわち、利生方便(りしょうほうべん:注6)を施す天神の社壇である。

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(訳者注6)仏が衆生を仏道に導入するために現す方便(てだて、手段)。
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蔵王権現については、次のようないわれがある。

その昔、役行者(えんのぎょうじゃ)は、衆生済度(しゅじょうさいど)の為に金峯山(きんぷせん)に1,000日こもり、祈願を込め続けた。

役行者 乞い願わくば、諸々の菩薩、化身したもうて生身(しょうじん)の姿を顕現(けんげん)されたまわんことを・・・。

彼の祈りに応えて、この金剛蔵王は、「柔和忍辱(にゅうわにんにく)の相」を顕わし、地蔵菩薩の姿を取って、大地から湧出されたもうた。これを見た役行者は、頭を横に振り、

役行者 未来悪世(みらいあくせい)の衆生(しゅじょう)を済度(さいど)するためには、そのような穏やかなお姿では・・・。

地蔵菩薩 なるほどな。では、次に来たる者に交代じゃ。

地蔵菩薩は、伯耆(ほうき:鳥取県西部)の大山(だいせん)へ飛び去っていかれた。

その後に、金剛蔵王が顕わした姿は、「憤怒(ふんど)の形」であった。右の手に三鈷(さんこ)を握って肱(ひじ)を張り、左の手は5本の指で腰を押さえている。眼を大いにいからせて魔性降伏(ましょうごうぶく)の相を示し、片足を高く上げ、もう片足で地を踏みしめ、天地を治め整える徳を現す。

その示現(じげん)された形は、尋常の神の姿とは大いに異なっていたので、役行者はその湧出(ゆうしゅつ)の姿を秘することにした。ゆえに、その尊像を錦帳(きんちょう)の中に閉ざし、役行者と村上天皇とがそれぞれ脇仏を刻み、三尊を安置することとした。(注7)

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(訳者注7)役行者は奈良時代の人なので、「村上天皇」(原文では「天暦の帝」)とあるのは、太平記作者の誤りである。
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以来、この尊像は、「憎と愛」の姿を広く世間に示し、「善と悪」、「賞と罰」を、広く世の衆生に知らしめ、悪人には苦悩をもたらし、善人には利益を与え続けてきたのである。

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世間の声H ・・・というわけでやねぇ、吉野っちゅうとこは、もぉそらぁ、すごいとこなんですわ。

世間の声I ほんにまぁ、吉野のお山のどこを見ても、衆生利益(しゅじょうりやく)の為に、仏様が神様に化身して、鎮座してはるとこばっかしどすわなぁ。

世間の声J 神々のおわします7,000余座、そこから日々、衆生を利益する、どえりゃぁエネルギーが、発せられとるんだがや。

世間の声K ほんーと、こんな霊験あらたかなとこ、日本中探してみても、他にどこにもないんだよねぇ。

世間の声L こげな奇特な社壇仏閣ばぁ、イッキに焼き払うてしまうやなんて・・・ほんと、高師直はん、ムチャなことしよりましたばい。

世間の声M 「吉野全山、灰燼に帰す」なんてニュース聞いたらさぁ、そりゃぁ誰だって悲しくなってくるじゃん?

世間の声N あぁ 悲しむべきかな

 主無き宿の花は ただ露に泣ける粧(よそおい)を添え
 荒れはてた庭の松までもが 風に吟ずる声を呑む

世間の声O こんなアクラツな所業、天はさぞかし、お怒りだでぇ!

世間の声P この悪業がそのまま身に留まってたとしたら、高師直さん、いったいこれから先、どないなっていくんじゃろのぉ?

世間の声Q 決まってんじゃん! まぁ見ててごらんよ、あの人もそのうち、アットいう間にアレよ。

世間の声I 「アレ」っていったい、なんどすかぁ?

世間の声Q しぃず(沈)んでくのよ!

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2018年2月14日 (水)

太平記 現代語訳 26-3 楠正行の最期

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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やがて、楠(くすのき)軍と高師直(こうのもろなお)との間隔は、1町ほどになった。

楠軍メンバーA (内心)あこや、あこにおるんや、おれらの目指す敵はな!

楠軍メンバーB (内心)二度も自分の白骨を繋いで韓構(かんこう)と戦うたという魯陽(ろよう)も凄いけどな、今のおれら、完全にその上イッテルわい!

楠軍メンバーC (内心)グイグイ闘志、わきあがってくるやんけ!

楠軍メンバーD (内心)やるで、やるでぇ、やったるでぇ!

楠軍メンバーE (内心)たとえ千里の距離があろうとも、ただの一足で飛んだるわい、高師直に飛びかかってったるわい!

楠軍全員、心ははやりにはやる。しかし、彼らとても生身の人間、今朝の午前10時から戦い始めて、時は既に午後6時、30余度もの衝突に、息は絶えだえ気力も消耗、重軽傷を負わぬ者は一人も無し。しかも、騎馬の相手に徒歩で立ち向かって行くのである、どうにも、高師直を追いつめようがない。

楠軍メンバーA (内心)いや、まだチャンスは残っとる。見てみぃ、あれほどの大軍を四方八方へ追い散らしてもて、

楠軍メンバーB (内心)今や、敵将・高師直のまわりにいるんは、たったの7、80騎だけやんけ!

楠軍メンバーC (内心)あんなレンチュウ、なにほどのもんじゃぃ! 蹴散らしてもたれ!

楠軍メンバーD (内心)イケイケェ!

楠軍メンバーE (内心)イッタルレー!

和田(わだ)、楠、野田(のだ)、関地良円(せきぢりょうえん)、河邊石菊丸(かわべいしきくまる)らは、我先我先にと前進していく。高軍側はメチャクチャにやっつけられ、次第に敗色濃厚になってきた。

その時、高軍の最前線に一人の武士が現われた。九州の武士・須々木四郎(すずきしろう)である。

須々木四郎は、強弓の使い手で速射の名人。三人張りの弓に13束2伏の矢をつがえ、100歩先に立てた柳の葉めがけて射れば百発百中という人である。

四郎は、他人が解き捨てたエビラや、竹尻篭(たけしこ)、やなぐいを、抱きかかえて集めてきて自分の横に置いた、そして、次々と矢を抜いては楠軍に対し、狙いすまして連射した。

四郎の弓から放たれた矢は、まさに豪雨のごとく、楠軍を襲う。

矢 ビュン、ビュン、ビュン、ビュン、ビュン・・・。

楠軍メンバーたちは、朝から鎧を着けっぱなし、体温で暖められた鎧には、多くの隙間が生じてしまっていた。須々木四郎が放つ矢はことごとく、その間隙を貫通し、彼らの身体深く突き刺さっていく。

楠正時 ウゥッ・・・。

楠正時(くすのきまさとき)が、眉間(みけん)と喉(のど)を射られた。彼にはもはや、その矢を抜く気力さえも残っていなかった。

楠正行 アァッ・・・。

楠正行(まさつら)も、左右の膝の3か所、右の頬、左の目尻を、深く射られた。霜に伏した冬野の草木のように、矢は彼の身体に折れかかっている。ついに、正行も動けなくなってしまった。

他の30余人の身体にも、矢が3本4本と突き刺さっている。

楠正行 ・・・みんな・・・よぉやってくれた・・・もはやこれまでや・・・。

楠軍メンバー一同 タイショウ、タイショウ!

楠正行 ・・・みんなぁ・・・分かってるわなぁ・・・敵の手にかかるなよぉ・・・。

楠軍メンバー一同 タイショウ、タイショウ、タイショウ!(涙)

楠正行 正時・・・。

楠正時 お兄ちゃん・・・。

楠正行 行くぞ!

楠正時 うん!

楠兄弟は、刺し違えて北枕に伏した。他の者たち32人も、思い思いに腹をかき切り、重なり伏していった。

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いったいどうやって紛れこんだのであろうか、和田賢秀(わだけんしゅう)は、高軍の中深く入りこんだ。

和田賢秀 (内心)えぇい、なんとしてでも、高師直と刺し違えて死んだるわい。

賢秀は、じわじわと高師直に接近していった。しかし、運命はついに彼には微笑んではくれなかった。

高軍中に、湯浅本宮太郎左衛門(ゆあさほんぐうたろうざえもん)という人がいた。彼は、河内(かわち)に土着の武士であったが、最近になって高側に投降した。それゆえ、賢秀の顔をよく知っている。

湯浅本宮太郎左衛門 (内心)あっ、あれは、和田やないか! よぉし、イてもたれ!

太郎左衛門は、賢秀の背後に回り込み、その両膝に切り付けた。

湯浅本宮太郎左衛門 エェイッ

和田賢秀 ウゥッ!

倒れた賢秀の側に、太郎左衛門は接近し、その首を取ろうとした。賢秀は、朱を注いだような大きな目をかっと見開き、太郎左衛門をギリギリと睨(にら)んだ。

首を切られる最中も、切られた後も、その眼は、太郎左衛門を憎々しげに睨み続けていた。

剛勇の人に睨みつけられた事が、太郎左衛門の心中に一大衝撃を与えたのであろうか、彼はその日から、病に伏す身となり、心身悩乱状態に陥ってしまった。

湯浅本宮太郎左衛門 アアア・・・睨むな・・・そないに睨んでくれるな・・・アアア・・・。

上を仰げば、賢秀の怒る顔が、空の中から彼を睨みつけている。うつむけばうつむいたで、賢秀のあのかっと見開いて睨む眼が、地面の上から彼を見据える。賢秀の怨霊は、太郎左衛門の五体を責め続けた。戦い終わって7日後、湯浅本宮太郎左衛門は、悶えながら死んでいった。

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楠軍メンバー・大塚掃部助(おおつかかもんのすけ)は、負傷して一度は戦場を離れた。後方に、楠正行たちが残っている事を知らずに、主がいなくなってしまった馬に乗って、はるか彼方まで落ち延びた。しかし、「和田と楠が討たれた」と聞き、たった一人で戦場へとって返し、大軍の中へ駆け入って切り死にしていった。

和田新兵衛正朝(わだしんべえまさとも)は、吉野へ行って戦の顛末(てんまつ)を朝廷に報告しようと思ったのであろうか、戦線を離脱した。

たった一人で、鎧を着て徒歩のまま、太刀を右の脇に引き付け、高軍メンバーの首を一つ左手に下げ、東条(とうじょう:大阪府・富田林市)方面へ落ち延びた。そこへ、安保忠実(あふただざね)が追いすがってきた。

安保忠実 おいおい、そこのぉ! 和田や楠の人々はみんな自害したというのに、それを見捨てて逃げていくヒキョウモノ! 逃げるな、返せ! 一対一で勝負しようじゃねぇか!

正朝は、振り返ってニヤリと笑い、

和田正朝 なんやとぉ! おのれと勝負せぇてか、よぉし、したろやんけ!

正朝は、血のついた4尺6寸の螺鈿細工の太刀をうち振るい、忠実に走り懸かっていった。

忠実は、自分一人ではとてもかなわないと思ったのであろうか、馬を駆け開いて後退した。それを見て、再び正朝は、きびすを返して走りだした。

忠実が留まると正朝は走る、正朝が走り出すと忠実は再びそれを追う。追いかけるとまた止る・・・このようにして1里ほど行ったが、互いに討たず討たれずして、日はすでに暮れようとしていた。

そこへ、青木次郎(あおきじろう)、長崎彦九郎(ながさきひこくろう)が、馳せ来った。二人ともエビラに矢を残していたので、正朝を追いかけながら、次々と矢を射る。草ずりの余、引き合いの下に7本も矢を射立てられて、ついに正朝は倒れ、その首を忠実が取った。

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合戦は終わった。和田と楠の兄弟4人、一族23人、それに従う武士143人は、命を君臣2代の義に留め、その名を古今夢双の功(いさしお)に残した。

世間の声F もうこれは過去の事になってしもたけど、奥州国司(おうしゅうこくし)の北畠顕家(きたばたけあきいえ)はんが、阿倍野(あべの:大阪市阿倍野区)で討死にしてしまわはったやろ、それから、新田義貞(にったよしさだ)はんも、越前(えちぜん:福井県東部)で戦死してしまわはったわなぁ。それから後、吉野朝側、どうも、ぱっとせんかったですわなぁ。

世間の声G ほんに、そうどすなぁ。都から遠いとこらへんには、吉野朝方の城郭も、少しはありましたけど。

世間の声H あのっさぁ・・・いくら城郭があるったってっさぁ、局所的ピンポイント防衛してるだけじゃっさぁ、世間の注目もなぁんも、集まりゃしないんだよねぇ。

世間の声I いや、ほんま。そないな中で、吉野朝側が唯一、面目を保てれた事はというたら、この楠一族の奮戦、ただ、それだけやったような気がしますなぁ。

世間の声J 同感じゃ。楠正行は、京都に近い重要戦略地点で、ビンビン威を振るいよったけんねぇ。

世間の声K なんせ、足利幕府の大軍を二度も破ったんだもんなぁ、そりゃぁスゴイもんだよ。

世間の声L 吉野朝廷の天皇陛下、楠軍の活躍に、ごっつぅ喜んではったらしいですなぁ。まさに、水を得た魚のようやった、いいますやん?

世間の声M それにひきかえ、足利幕府の方は、山から出てきた虎に出会ったみたいに、ビビリにビビっちゃって。

世間の声G そやけどなぁ、和田と楠一族全員、あっという間に滅びておしまいやした。

世間の声H 吉野朝の天皇陛下の御聖運も、これでついに傾いてしまいましたなぁ。

世間の声J 同感じゃ。足利家の武徳、これでますます、揺るぎないものになってきよったのぉ。

世間の声K 足利幕府は永遠です・・・ってかい?

世間の声一同 そういうことなんでしょうなぁ、おそらく。

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(訳者注1)楠正行たちが足利幕府に対抗しえた期間は、下記に見るように、極めて短かかった。

1347年9月 藤井寺での、細川顕氏らとの戦。

1347年11月 瓜生野、阿部野、渡辺橋での、細川顕氏、山名時氏らとの戦。

1348年1月 四条畷での高師直らとの戦。

[観応の擾乱 亀田俊和 著 中公新書2443 中央公論新社] の 37Pには、以下のようにある。

 「当時の四条畷周辺は、古代の河内湖の名残で低湿地が多く、大軍では迅速な動きは不可能であったらしい。飯盛山方面から側面を突かれることを防ぎ、戦闘力が高い精鋭の軍勢で一気に襲えば、正行軍にも十分な勝機があった模様である。」

 「正行の作戦は的中し、師直本陣は大混乱に陥った。このとき、上山六郎左衛門が師直の身代わりとなって戦死し、師直の窮地を救った著名な挿話もある。しかし大局的には多勢に無勢、わずか一日の戦闘で正行は敗北し、弟正時と刺し違えて自決した。」

[河内湖]に関しては、[河内湖 縄文海進]、[大阪平野 河内湾]等でネット検索して、関連する情報を得ることができた。
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太平記 現代語訳 インデックス6 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

2018年2月13日 (火)

太平記 現代語訳 26-2 楠正行・対・高師直の決戦

太平記 現代語訳 インデックス6 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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高師直(こうのもろなお) 楠攻め、年明けてからにしない? このまま、淀(よど)と八幡(やわた)で越年してさぁ。

高師泰(こうのもろやす) そうさなぁ。兵力が多いにこしたこたぁねぇもんな。これからまだまだ、集まってくんだろ?

高師直 はいなぁ。これからまだまだ、もっともっとギョォサンの方々がここに集まってきはるんでおますから、ここでじっと待ってた方がいいんどす。メイッパイ集まってきて、それから河内(大阪府東部)へ向かったって、じぇぇんじぇぇん、おそかぁねぇどす。

高師泰 グフ・・・そのセンでいいんじゃぁ?

伝令 一大事、一大事!

高師直 なんじゃい、なんじゃい、いってぇ何が起こりやがったんじゃい?!

伝令 楠正行(くすのきまさつら)、我らに対して逆寄(さかよ)せをかけんがため、吉野(よしの)御所へ参上していとまを申した後、本日、河内の往生院(おうじょういん:大阪府・枚岡市)に到着!

高師直 ガビーン!

高師泰 うーん・・・こっちもあんまり、ゆっくりしてらんねぇなぁ。

高師直 ほなしゃぁない、やるべいか。みなさん、おキバリやして戦うておくれやして、おくれやっしゃあ!

高陣営メンバー一同 ・・・。

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1月2日、まず高師泰が淀を発った。彼は2万余を率いて、和泉(いずみ:大阪府南部)の堺の浦(さかいのうら:大阪府・堺市)に陣を取った。

翌3日朝、高師直も八幡を発ち、6万余を率いて、四條縄手(しじょうなわて:大阪府・四條畷市)に到着。

高師直 このまますぐに、楠を攻めるのは愚策でおます。あちゃらはきっと、難攻不落の場所で待ち構えておるにちげぇねぇどすからな。寄せたらあかん、寄せるのはヨセヨセ、寄せられればヨ(良)イヨイ、サのヨイヨイ。

高軍リーダーA はぁ?

高軍リーダー一同 ・・・。

師直は、大軍を5か所に分かち、鳥雲の陣をなして、ありとあらゆるケースに備えた。

第1軍は、白旗一揆(しらはたいっき)武士団。リーダーは県下野守(あがたしもつけのかみ)で兵力5,000余騎。飯盛山(いいもりやま:北河内郡)にうち上り、南方の尾根先に布陣。

第2軍は、大旗一揆(おおはたいっき)武士団。リーダーは河津(かわづ)と高橋(たかはし)の2人で兵力3,000余騎。飯盛山の外の峯にうち上り、東の尾根先に布陣。

第3軍は、武田信武(たけだのぶたけ)率いる1,000余騎。四條縄手の田園中に、馬が走りまわれる空間を前方に残して布陣。

第4軍を率いるは、佐々木道誉(ささきどうよ)、その兵力2000余騎。飯盛山の南方、伊駒山(いこまやま)にうち上って布陣。陣の前面には折り畳み式の盾500枚をつき並べ、その後方に足軽の射手800人を馬から下ろして配置、さらにその背後に騎馬兵を配備。楠軍が山に攻め登ってくるならば、まずその馬の太腹を射て、ひるんだ所をまっ逆さまに駆け落してしまおう、との作戦である。

第5軍を率いる全軍の大将・高師直は、他の軍から20余町ほど後方に布陣。足利将軍家の旗の下に輪違紋(わちがいもん)の高家の旗を立てている。

その陣の外側には、騎馬の武者2万余騎、内側には、徒歩の射手500人。四方十余町を覆いつくすその陣は、びっしり密集して師直を囲んでいる。

各軍、互いに勇を競い、陣の張り様は密にして、これを相手に戦う者は、たとえ項羽のごとき山を抜く力、魯陽のごとき太陽を返す勢いがあろうとも、この堅陣の中に駆け入って戦うことは到底不可能としか思えない。

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1月5日早暁、吉野朝側、まず四条隆資(しじょうたかすけ)率いる和泉・紀伊(きい:和歌山県)の野伏(のぶせり)より構成の2万余人の軍が進軍を開始。様々の旗を手に手に差し上げ、飯盛山に向かっていく。これは、大旗一揆と小旗一揆(注1)の両軍を峯の上から下山させずに、楠軍を四條縄手に進めるための陽動作戦であった。

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(訳者注1)先の記述には「大旗一揆」とだけあり、「小旗一揆」の名は現れてないので、軍の構成がよく分からない。
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この作戦に、大旗一揆・小旗一揆・両軍は、ひっかかってしまった。

河津 敵の主力軍団がやってきたぞ!

高橋 射撃隊、分散陣形のまま前進、山の中ほどまで下りろ! 険阻な地点に拠点を確保、敵の襲撃を待て!

その間隙をついて、楠正行(くすのきまさつら)、その弟・楠正時(まさとき)、和田高家(わだたかいえ)、その弟・和田賢秀(けんしゅう)は、屈強の楠軍3,000余騎を率い、霞の中をまっしぐらに、四條縄手へつき進む。

楠正行 (内心)まず、敵の斥候(せっこう:注2)を蹴散らして、

楠正時 (内心)全軍の大将・高師直に肉薄し、

和田高家 (内心)イッキに勝負、

和田賢秀 (内心)決めたるろやんけぇ!

覚悟決した彼らは、いささかのためらいもなく、ひたすら前進していく。

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(訳者注2)敵側の動きを早期に把握するために、最前線よりもさらに前方に配置される人々。その任務は戦闘ではなく、情報収集および情報伝達である。
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第1軍の白旗一揆武士団のリーダー・県下野守は、そこからはるか彼方の峯の上に布陣していたが、

県下野守 あっ・・・あそこを行く軍・・・師直殿の本陣に迫っていくぞ! あれはいったい?・・・あっ、菊水(きくすい)の旗1本! いかん、楠だ、楠軍だ! おい、みんな、行くぞ!

白旗一揆武士団は、北方の峯を馳せ下り、今まさに楠軍が駆け入らんとしている空間の前方に立ち塞がった。彼らは馬からヒタヒタと飛び降りて、楠軍の進路に直交する形で東西横一文字に展開、徒歩のまま、楠軍を待ち構えた。

勇気盛んなる楠軍、わずかの人数の徒歩軍相手にひるむはずがあろうか、三手に分かれた前陣500余はしずしずと、白旗一揆武士団に襲い掛かっっていく。

最前線に位置していた秋山弥次郎(あきやまやじろう)と大草三郎左衛門(おおくささぶろうざえもん)が、楠軍の矢を受けて倒れた。これを見た居野七郎(いのしちろう)は、楠側を調子づかせまいと、倒れ伏した秋山の体の上をツッと飛び越え、前線へ進みでていく。

居野七郎 やーいやーい、テメェらなぁ、当てれるもんなら、ここに当ててみろってぇ!

七郎は、鎧の左袖を叩きながら小躍りして進んでいく。楠軍は東西から七郎に矢の雨を浴びせる。

矢 ブス、ブス!

居野七郎 ううっ・・・。

七郎は、兜の内側と草摺(くさずり)の外れの2箇所に矢を受けた。太刀を逆さに地面に突き立て、矢を抜こうとして立ちすくんだ所に、和田賢秀はツッと駆け寄り、

和田賢秀 エヤッ!

刀 ヴァシッ!

居野七郎 あぁ・・・。

兜の鉢を激打され、居野七郎は四つんばいに倒れてしまった。そこをすかさず、走り寄ってきた和田賢秀の中間が彼の首を取り、高々と差し上げる。

これが戦の始まりであった。

楠サイドの騎馬軍500余と県下野守率いる徒歩の兵300余人が、おめき叫んであい戦う。

戦場は田野が開けた平地ゆえ、馬の駆け引きは自由自在、徒歩で戦う白旗一揆側は、騎馬の楠側に駆け悩まされる。かくして、白旗一揆武士団300余のほとんどが討死にしてしまい、県下野守も5箇所もの重傷を負ってしまった。

県下野守 とてもかなわん、退(ひ)け、退けー!

県下野守は、生き残りの者たちと共に、高師直率いる第5軍に合流せんと、退却していった。

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武田信武 楠軍はもう相当、戦い疲れているだろう。そこにつけこんで、イッキに討ちとってしまうんだ! いぃくぞー!

武田軍メンバー一同 ウォーッ!

武田信武率いる幕府側第3軍700余騎が、戦場に殺到してきた。これに対抗するは、楠軍第2陣1,000余騎。左右二手にサッと分かれ、包囲陣形を取る。

楠軍第2陣メンバー一同 一人残らず、殲滅(せんめつ)してもたるわい!

汗馬(かんば)東西に馳せ違い、追いつ返しつの戦が展開。旗とノボリが南北に開き分かれ、巻きつ巻かれつ、互いに命を惜しまず、7度、8度と両軍激突を繰り返す。

戦い終わってみれば、当初700余の武田軍、残存者は限りなくゼロに近い。楠軍第2陣の側も、その大半が負傷、全身朱色に染まりながら踏みとどまっている。

小旗一揆武士団メンバーらは、戦の当初から、四条隆資(しじょうたかすけ)率いる陽動部隊に対抗して飯盛山から動かず、主戦場で展開されている合戦をただ横目に眺めるだけ、あたかも対岸の火事を見るような雰囲気であった。しかし、眼下の山麓にいる戦い疲れた楠軍第2陣を見て、それに襲いかからんと、一部のメンバーが動きはじめた。

長崎資宗(ながさきすけむね)、松田重明(まつだしげあきら)、その弟・松田七郎五郎(しちろうごろう)、その子・松田太郎三郎(たろうさぶろう)、須々木高行(すずきたかゆき)、松田小次郎(まつだこじろう)、河勾左京進(こうわさきょうのしん)、高橋新左衛門尉(たかはししんざえもんのじょう)、青砥左衛門尉(あおとさえもんのじょう)、有元新左衛門(ありもとしんざえもん)、廣戸弾正左衛門(ひろとだんじょうざえもん)、その弟・廣戸八郎次郎(はちろうじろう)、その弟・廣戸太郎次郎(たろうじろう)以下、屈強の武士48人が小松原から駆け下り、山を背後に楠軍に襲いかかった。

両軍互いに、騎馬駆けあいの混戦に突入、楠軍第2陣1,000余騎は、このわずかな相手に意外にてこずり、その地点から先へ前進できなくなってしまった。

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小旗一揆武士団と楠軍第2陣との戦闘を、じっと観察していた佐々木道誉(ささきどうよ)は、

佐々木道誉 あのカンジだと楠軍なぁ、もう相当疲れてきてるにちがいないぞ・・・って事はだなぁ、やつらはもう、他の陣には目もくれねえよ、ただひたすら、大将の高師直(こうのもろなお)だけを狙ってく。

佐々木軍リーダーB おれたちの事なんか、もう眼中にないでしょうね。

佐々木軍リーダーC 我々の目の前を通り過ぎていきたいってんならね、いいじゃないですか、黙ってそのまま行かせてやりゃぁ・・・でもって・・・。

佐々木軍リーダーD その背後を襲う!

佐々木道誉 ・・・(ニヤリ)。

というわけで、佐々木軍3,000余騎は、飯盛山の南方の峯に上がり、そこに旗をうち立ててじっと布陣していた。

数時間にわたる何度もの戦闘の結果、楠軍第2陣は、馬も人も、もはや疲労の極限に達してしまった。わずかばかりの気のゆるみが出てしまったその瞬間を、道誉は見逃さなかった。

佐々木道誉 よぉし、行けぇ!

佐々木軍3,000余騎は三手に分かれ、一斉にドッとトキの声を上げ、山を懸け下り、楠軍第2陣に激突。これを迎え撃つ楠側は、必死の防戦を展開。しかしながら、大軍を相手にしての疲労の極中での戦、元気いっぱいの馬を駆る佐々木軍にかけ立てられては、とてもかなうはずがなく、楠側は次々と倒れていく。

大半のメンバーが討たれた末に、ついに、楠軍第2陣の残存勢力は、南を向いて退却しはじめた。

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もともと兵力において劣っていた楠側であったのに、第2陣はすでに退き、今や戦場に踏みとどまっているのは第1陣のみ、その兵力はわずか300余にも満たない。これではとても、戦を続行することは不可能と思われたのだが、

楠軍メンバーE (内心)タイショウも、

楠軍メンバーF (内心)和田賢秀も、

楠軍メンバーG (内心)まだ生きてるで、わしらといっしょに。

楠軍メンバーH (内心)今日の戦、もとから生きて帰ろうなどとは、

楠軍メンバーI (内心)毛の先ほども思ぉとらんわい。

楠軍メンバーE (内心)去年の暮に、吉野(よしの)へみんなで行って、

楠軍メンバーF (内心)過去帳にいっしょに名前書いた、

楠軍メンバーG (内心)わしら楠軍のメンバー143人、

楠軍メンバー一同 (内心)タイショウといっしょに、ここで死ぬんじゃい!

全員一所にひしひしと集合し、自軍の第2陣が敗退した事など、いささかも意に介しない。

楠軍メンバーE コルラァ、敵の大将、高師直(こうのもろなお)! ワレいったい、どこにおるんじゃい!

楠軍メンバーF どうせ、そこらの陣の後ろの方に、ビビリたおして、こもっとるんやろう。

楠軍メンバーG とっとと、前に出てこんかい!

楠軍メンバーH さっさとその首、こっちに渡さんかいやぁ、ワルレェ!

楠軍は、高師直の本陣にキッと目を見据えながら、ひたすら前進していく。

高軍リーダーJ てへっ、ちょこざいな。

高軍リーダーK 友軍が敵を蹴散らしちまった。残ってるのは、たったあれぽっちかい。

高軍リーダーL えぇい、この機を逃さず、やっつけてしまえい!

高軍メンバーらは、勇み立って楠軍に立ち向かっていく。

まず一番に、細川清氏(ほそかわきようじ)が500余騎を率いて、楠軍を攻撃。楠軍300騎は、いささかもひるまずに真っ向からそれに相対し、面をも振らずに戦う。50余騎を討たれて、細川軍は北へ退いた。

細川軍に入れ替わって攻撃を始めた二番手は、仁木頼章(にっきよりあきら)率いる700余騎。楠軍300余騎は、馬のくつばみを並べてそのど真ん中に割って入り、火花を散らして戦う。仁木軍は四方八方へ蹴散らされ、再び集合することもままならない状態になってしまった。

三番手は、千葉貞胤(ちばさだたね)、宇都宮貞泰(うつのみやさだやす)、宇都宮三河入道(うつのみやみかわにゅうどう)率いる500余騎。東西から接近して楠軍の先端に襲いかかり、中央突破を図る。しかし、楠正行(くすのきまさつら)の指揮の下、楠軍は一寸の綻(ほころ)びも見せない。相手が虎韜(ことう)陣形に連なって囲んでくれば虎韜に分かれて対抗し、龍鱗(りゅうりん)陣形に結んでかかってくれば、龍鱗に進んで戦う。両軍、3度衝突し3度左右に分かれた末に、千葉軍、宇都宮軍とも戦死者多数、ついに退却を余儀無くされた。

楠軍側も100余騎が討たれてしまった。生き残ったメンバーの乗馬には例外なく、矢が3本、4本と突き刺さっている。やむをえず、全員、馬を下りて徒歩になった。

楠正行 ハラへったな、メシにしよか!

楠軍メンバー一同 おう!

彼らは、田のあぜに背中を押し当て、エビラの中から竹筒を取り出した(注3)。そして、心しずかに飯を食い、しばしの休息を取った(注4)。

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(訳者注3)竹筒の中には、酒が入っているのだ。

(訳者注4)太平記中、戦場のまっただ中での食事のシーンは、ここが初出。これはノンフィクションか、あるいは、太平記作者の「覚悟定めきった楠軍」を演出するためのフィクションか?
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高軍リーダーM ねぇねぇ、あれ見てよ、あれ。悠々とメシ食ってやがる。

高軍リーダーN ほんとにもう、なんてぇ連中なんでぇ。

高軍リーダーO あのねぇ、あそこまで覚悟かためちゃってるヤツラをですよ、ムリヤリ囲んで打ち取るってぇの、ちょっと、やばかぁありません? こっち側にも相当の犠牲が出るの、覚悟しなきゃね。

高軍リーダーP まわりを完全に囲むんじゃなくってさ、後ろの方だけ開けといて攻めるのがいいと思いますよ。でもって、敵が逃げてぇってんなら、そのまま逃がしとくに限りますって。

高師直 よし、それで行け!

というわけで、数万の高師直軍は、あえて一所に集中して楠軍を包囲する態勢には出なかった。こうなると、小勢の楠軍といえども、その戦場から脱出できる可能性も見えてきた。

しかし、楠正行(くすのきまさつら)は、「今回の戦、高師直の首を取って帰るか、この正行の首が京都の六条河原(ろくじょうがわら)にさらされるか、二つに一つあるのみ!」と、後村上天皇(ごむらかみてんのう)に奏上した上で吉野(よしの)を後にしてきたゆえに、その言葉を違える事を恥じたのであろうか、あるいは、正行の命運もついにここに尽きてしまったのであろうか、和田(わだ)も楠も共に、後に退く気など微塵も無い。

楠正行 さぁ、行くでぇ!

楠軍メンバー一同 おぉう!

楠正時 目指すは、高師直ただ一人やぞ!

和田高家 師直に肉薄して、

和田賢秀 イッキに勝負決めたるわい!

楠軍メンバー一同 おぉう!

楠軍は静かに前進していく。

これを見て、細川頼春(ほそかわよりはる)、今川範国(いまがわのりくに)、高師兼(こうのもろかね)、高師冬(こうのもろふゆ)、南部遠江守(なんぶととうみのかみ)、南部次郎左衛門尉(なんぶじろうさえもんのじょう)、佐々木氏頼(ささきうじより)、佐々木宗満(ささきむねみつ)、土岐周斉房(ときしゅさいぼう)、土岐明智三郎(ときあけちのさぶろう)、荻野朝忠(おぎのともただ)、長九郎左衛門(ちょうくろうざえもん)、松田備前次郎(まつだびぜんのじろう)、宇津木平三(うつきへいぞう)、曽我左衛門(そがさえもん)、多田院御家人(ただいんのごけにん)をはじめ、高師直の前後左右に控える屈強の武士ら7,000余騎は、我先に楠軍を打ち取ろうと、おめき叫んで駆け出した。

楠正行は、これにいささかも臆(おく)せず、全軍を自らの手足のごとく統率(とうそつ)する。しばし息を継がんと思えば、楠軍は一斉にさっと列を作って鎧の袖を揺り動かし(注5)、相手の思うように矢を射させておく。

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(訳者注5)鎧の袖を揺り動かして小札に隙間が生じないようにする、そうすると矢が通らない、ということらしい。
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高軍が接近してきて間合いが十分に狭まったとみるや、一斉にハッと立ち上がり、太刀の切っ先を並べて襲いかかる。

高軍の先頭きってイの一番に楠軍に襲いかかったのは、南部次郎左衛門尉であった。

南部次郎左衛門尉 エェイ、カクゴー!

楠軍メンバーの刀 シャシャーッ!

南部の乗馬 ギャヒーーン!

乗馬の両の前足を刀で横に払い切られ、南部次郎左衛門尉はドウと落馬、起き上がる間もなく討たれてしまった。

南部に劣らじと、松田次郎左衛門(まつだじろうざえもん)が二番手で突っ込んでいった。彼は、和田賢秀に接近し、相手を切り伏せようと身を屈めた。その瞬間、和田賢秀は長刀(なぎなた)の柄を伸ばし、松田の兜の鉢を打つ。

長刀 ヴァシック!

松田次郎左衛門 ウゥッ・・・。

強烈な打撃を受けて、兜のシコロが傾いた次の瞬間、和田の長刀に内兜を突かれて、松田は馬から逆さ落ち。和田の長刀はまたたく間もなく、松田にとどめをさした。

勢いこんで楠軍に攻めかかってはみたものの、高軍側はさんざんである。たちどころに切って落される者50余人、腕を打ち落されて朱に染まる者200余騎。楠軍に追い立て追い立て、攻められて、「これはとてもかなわん」と、7,000余騎の高軍の武士たちは、左右に開き靡き、一斉に退きはじめた。

退(ひ)き足は留まる所を知らず、淀(よど)や八幡(やわた)をも走り過ぎ、そのまま京都まで逃げ帰ってしまった者も大勢いた。

この時、総大将・高師直までもが、一歩でも退く気配を見せたならば、たちどころに高軍は総くずれ、全軍ひたすら退却するばかり、それを追撃する楠軍は、京都のドまん中まで進撃できたに違いない。

しかし、高師直はいささかもひるむ様子を見せず、大音声をもって、全軍を叱咤(しった)する

高師直 こらこらこらこら! テメェらキタネェゾ! 逃げるんじゃねぇ! 返せ、返せ、戦え、戦え、戦えってんだよぉー!

高軍メンバー一同 ・・・。

高師直 テメェラ、いってぇナニ考えてやがんでぃ! 敵はたったあれっぽっちの人数じゃぁねぇか! おれは逃げねぇぞ、ここを動かねぇからな!

高師直 この戦場を捨てて京都へ逃げて帰って、それでいってぇ、どうするってんだよぉ! テメェラ、いってぇどのツラ下げて、将軍様の前に出るってんだ、あぁ?!

高師直 人間の運命なんか、天が決めてんだ、生きるも死ぬるも、天のご意向次第ってもんでぇ! いまさらジタバタしたって、はじまらねぇんだよぉ!

高師直 見ろい、敵はたった、あれぽっちじゃねえか! あんな小勢相手に逃げ出すなんて、テメェら、それでも武士のハシクレか! 恥ずかしくねぇのかよぉ! 家の名前が泣くぞ! テメェらのご先祖さま、草葉の陰で泣いてござるぞ!

目を怒らせ歯噛みして、四方に下知を下す師直の勢いに励まされ、恥を知る武士たちは、そこに踏み留まって師直の前後をかためた。

その目の前を、土岐周斉房の軍が通り過ぎていく。大半は打ち散らされてしまい、周斉房も、膝を切られ血に染まっている。すげなく退いて行く周斉房を、師直はキッと見つめ、

高師直 ヤイヤイ、そこの敵前逃亡ヤロウ!

土岐周斉房 ・・・。

高師直 いつも大口ばっかタタいてやがる土岐周斉房、いざとなったらブザマなもんだなぁ、えぇ!

土岐周斉房 ナァニィ! そこまであんたに言われちゃ、わしも黙っとれんが! じゃぁ、これから討死にするだで、よぉ見といてちょう! みんな、行くでぇ!

周斉房は、馬を返して楠軍のど真ん中へ駆け入り、ついに討死にしてしまった。これを見て、雑賀次郎(さいがじろう)も、楠軍の中に駆け入って討死にした。

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楠軍は高師直にじわじわと肉薄し、両者の間の距離はついに、半町ほどに縮まった。楠正行の長年の宿望も、ついにここに成就するかと思われた。ところがそこに、上山六郎左衛門(うえやまろくろうざえもん)が駆けつけてきて、高師直の前を塞ぎ、大音声をあげていわく、

上山六郎左衛門 八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)殿よりこのかた、源氏累代(げんじるいだい)の執権(しっけん)役をおおせつかり、その武功(ぶこう)天下に顕(あらわ)れたる高武蔵守師直とは、このおれ様のことよ! 首が欲しけりゃ、かかってこーい!

このように、師直になりすまして名乗りをあげ、殺到してくる楠軍を相手に戦い、上山六郎左衛門は死んでいった。その間に、師直は楠軍の遥か彼方に遠のいてしまい、正行はついに、その本意を遂げることができなかった。

師直の配下の大勢の武士の中、いったいなぜ、上山六郎左衛門ただ一人だけが、師直の身代わりとなって自らの命を捨てたのか? それは、「ただ一言(いちごん)の中に武士の情けを感じ、それに応(こた)えんがため一命を捨て」という事のようである。

楠軍が高師直の本陣に肉薄していることに、上山六郎左衛門は全く気づいていなかった。

上山六郎左衛門 さぁてと・・・ちょっくら師直殿のとこへでも行ってこようかな。ゆっくり世間話でもしてこようっと。

師直の本陣に足を踏み入れるやいなや、陣中にわかに騒がしくなってきた。

高軍メンバーQ 敵襲! 敵襲!

高軍メンバーR なに! 楠軍がこんな近くまで?!

高軍メンバー一同 タイヘンだー! 敵襲だ、敵襲だ!

上山六郎左衛門 (内心)おぉ、こりゃいかん! ウーン、おれもウカツだなぁ、鎧も兜も置いて出てきちゃったじゃないか、ウーン・・・。取りに帰っているヒマなんかないぞ!

陣中を見回す六郎左衛門の視野に、同色の二個の鎧が飛び込んできた。

上山六郎左衛門 (内心)しめた! あそこに鎧が! あれはいったい誰のだ? おそらく師直殿のものだ・・・えぇい、かまうもんか、緊急事態だもんな、ちょっと拝借!(鎧のもとに走り寄る)

鎧唐櫃(よろいからひつ)の緒を引き切り、中の鎧を取り出して肩にかけた。見とがめた高師直の若党が、鎧の袖をひかえていわく、

高師直の若党S なにをする! これは執事(しつじ)殿の鎧ですぞ! 一言の断りも無しに、無礼な!

鎧を奪い返そうとする若党と六郎左衛門とで引っ張り合いになった。これを見た師直は、馬から飛び降りて若党をハタと睨みつけ、

高師直 おい、やめろぉ!

高師直の若党S ・・・。

高師直 テメェ、いってぇナニ考えてやがんでい! その人はなぁ、おれの身代わりになって戦かうって、言ってくれてんじゃんかよぉ! そういうキトクな人にゃあ、千個だろうと万個だろうと、鎧なんかヒトッツモ惜しかねぇ、どんどん進呈するぜぃ!

高師直の若党S ・・・。

高師直 (六郎左衛門の方を見て)イヨッ! そこのイイ男、水もしたたるアデ姿! 「こんな男に着てもらって、嬉しいね」って、鎧も喜んでるよ!

自分の行為を一切責めたりせずに、かえって褒めたたえてくれる師直の態度に、六郎左衛門は感じいってしまった。

上山六郎左衛門 (嬉しそうな顔持ちで)・・・。

事と次第とをわきまえず、その鎧を取り上げようとした高師直のその若党は、その後、自軍が危機的状況に陥った時、イの一番に逃げ出した。しかし、師直の情けに感じ入った上山六郎左衛門は、彼の身代わりになり、討死にしていったのである。まことに哀れな事である。

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これによく似た逸話が、古代中国にもある。

戦国時代、秦の穆公はライバルの六国と戦いを交えたがあえなく敗退し、他国へ落ちた。

急追する敵軍から逃れる途上に乗馬を乗りつぶしてしまい、やむなく後からやってくる乗り換え用の馬を待っていた。

ところが、馬の口取りは馬を引いては来なかった。そのかわりに、後ろ手に縛られた疲れた兵士20余人を連行してきたのである。

軍門の前に引き据えられた兵士たちを見て、穆公は、

穆公 いったいこれはなんじゃ? 何事が起ったのじゃ? 馬はどうした?

馬の口取り 申しあげます! お召し替え用の馬を引いてまいりましたところ、これなる戦いに疲れ飢えた兵ども20余人、事もあろうに、殿のお馬を殺し、残らず食べてしまいよりましてござりまする。よって、死罪に処せんがため、こやつらを生け捕り、連行してまいりました!

穆公は、さして怒る気色もなく、

穆公 死せる馬を再び生き返らせる事は不可能じゃ。たとえそれが可能であったとしても、卑しき獣を食べたというだけの罪でもって、尊い人命を失うは非道の振舞い、そのような事は絶対にあってはならぬ。

馬の口取り ・・・。

穆公 飢えて馬を食らいし人間は、その後必ず病気になるという・・・。早く手当てをせねばの。この者らの縛めを解け。酒を飲ませ、薬を与えて、適切な医療を施すがよいぞ。

馬を食った兵士たち ・・・殿ぉ・・・殿ぉ・・・うううう・・・(涙)

穆公は、彼らに何の処罰も加えようとはしなかった。

その後、穆公が再び戦に負け、まさに大敵の手中に落ちて討たれようかという時に、馬を殺して食べたこの20余人の兵士らは、自らの命を穆公の命に代えて奮戦した。その結果、大敵はすべて退散し、穆公は死を遁れることができた。

このように、古(いにしえ)においても現代においても、人の上に将たらんとする者は全て、罰を軽く行い宥(なだ)め、賞を厚く与えしむるのである。もしも、古の穆公が馬を惜しんだならば、大敵の囲みを脱出できたであろうか? 現代の高師直が鎧を与えなかったならば、上山六郎左衛門は彼の身代わりになっていたであろうか? 「情けは人の為ならず(注6)」とは、まさにこの事を言っているのである。

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(訳者注6)「人に情けを施しておくと、そのうちそれが自分の益となって返ってくる」の意。
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上山六郎左衛門の首を、楠正行はじっと見つめた。

楠正行 (内心)肉のついた顔や・・・なかなかの美男子、いかにも、大将っちゅうカンジの顔や。

楠正行 (内心)鎧はどうや? おお、輪違いの透(す)かし彫(ぼり)の金物つきやんけ。これは高家の紋やぞ! 間違いない、間違いないぞ!

楠正行 やったで、ついにやったでぇ! みんな、これ見てみい! 高師直をついに討ち取ったでぇ! おれの長年の望み、ついに達成や! やった、やったぁ! ウーイー!

正行は、六郎左衛門の首を空中高く投げ上げては受け取り、受け取っては投げ上げし、ボールのようにもてあそびながら喜んでいる。

楠正時は、兄の側に走り寄り、

楠正時 おにぃちゃん、あかんて、あかんて・・・そんな事してたら、首が痛んでしまうやんか。旗のてっぺんに付けて、敵と味方に見せつけたろうな。はよ、その首、貸し。

楠正行 (首を正時に渡しながら)やった、やった、ついにやったぁ!

正時は、太刀の先に首を指し貫いて、高々と掲げた。

楠軍メンバーE それ、師直とちゃ(違)うで!

楠正時 えっ!

楠軍メンバーE そいつはな、上山六郎左衛門っちゅうヤツや。師直に、なりすましやがったんや。

正時は激怒して、首を地面に投げ捨てた。

楠正時 おのれぇ、上山六郎左衛門とやら! おのれは・・・おのれは・・・おのれは、日本一のツワモノじゃぁ! わしらの陛下にとっては、二人とない朝敵じゃぁ! あぁ、あぁ!

楠正時 ・・・そやけどな、高師直の身代わりになって死ぬとは、ワレもほんまに殊勝な男やのぉ。よし、ワレの武士だましいに免じてな、他の首とは別の所(とこ)に、置いといたるわい。

彼は、自らの小袖の片袖を引き切り、六郎左衛門の首を押し包んで岸の上に置いた。

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楠軍メンバーE 師直はまだ討たれてへんぞ!

楠軍メンバーF あぁ、オモロナイなぁ!

楠軍メンバーG 師直、ワレいったい、どこにおるんじゃぁ!

楠軍メンバーH とっとと、出て来いやぁ!

鼻田弥次郎(はなたやじろう)は、膝を射られて歩けなくなり、立っているのがやっとであったが、楠軍メンバーが口々に叫ぶ声に励まされ、気力を振り絞った。額にからみついた髪をかきのけ、血眼になって、こなたかなたと見回す。

北の方に、輪違い紋の旗が1本見えた。その下には、大将らしき立派な老武者がいて、その周囲を7、80騎ほどが守っている。

鼻田弥次郎 おいみんな、あこにおるあいつが、高師直や! さぁ、行こや!

飛び出そうとする弥次郎の鎧の袖を、和田新兵衛(わだしんべえ)が引いていわく、

和田新兵衛 ちょっと待て! おれにえぇ考えがある。おまえな、勇みすぎて、大事な敵を討ちもらしてもたらあかんど。

鼻田弥次郎 いったい、どないせぇっちゅうねん。

和田新兵衛 相手は馬に乗っとる、おれらは徒歩や。追うていっても、相手はスッと退(ひ)きよる。退かれたら、いったいどないして、師直を討ち取るんや?

鼻田弥次郎 ・・・。

和田新兵衛 さぁ、そこで作戦や。おれらは、「もうあかん、もちこたえられへんわ」いうて退却するフリをする。敵は図に乗って追いかけてきよる。敵を十分に引きつけといてな、それからイッキに反撃や。「こいつこそ師直や」と思うたヤツに、狙いつけてな。

楠軍メンバー一同 ・・・。

和田新兵衛 まず、そいつの乗ってる馬の足を狙う・・・ズバッ、ブシュ! 馬から落ちよったとこをすかさず、その細首をシャッー! ほいでもって、おれらも討死にする! どや?!

生き残った50余人は全員、

楠軍メンバー一同 よし、それで行こ!

彼らは、一斉に盾を背後にかざし、その陰に隠れながら、引き退くふりをした。

しかし、師直は思慮深い大将であった。

高師直 フフン・・・見えすいた事を・・・そのテには乗らねぇぜ。

師直は、少しも馬を動かさない。

その西方の田園中に、高師冬(こうのもろふゆ)が300余騎を率いて布陣していた。

高師冬 オッ、敵が引きはじめたぞ! 一人残らず、討ち取ってしまえ、行け! 行け!

高師冬軍は、楠軍の後を追った。

剛勇なる楠軍、相手の太刀の切っ先が、鎧の総角(あげまき)や兜のシコロの二つ三つ打ち当たるくらいの距離にまで、高師冬軍をひきつけた後、

楠軍メンバー一同 ウォーーー!

磯を打つ波が岩に当たって返るがごとく、イッキに逆襲にうって出て、火花を散らして戦う。

とっさの事に、高師冬軍は馬を返す事もできずに、たちどころに、50余人が討死。散々に切り立てられ、ようやくの思いで、馬を駆け開いて退却した。彼らは、師直の本陣をも通り過ぎ、そこから20余町ほども隔たった地点までたどりついて、ようやく一息ついた。

太平記 現代語訳 インデックス6 (その中に [主要人物・登場箇所リスト]へのリンクもあり)

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