信州

2017年7月 1日 (土)

信州 おもいで 上高地 2013年 5月

2013年5月に、信州の安曇野を訪問、碌山美術館に行った事は、
前回発表の記事 
の通りですが、その後、JR穂高駅から大糸線に乗り、JR松本駅へ、その夜は、松本駅近くのホテルに宿泊しました。

翌朝、最小限の荷物だけ持ってホテルを出て(ホテルにはその日も宿泊予定)、上高地へ。

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[松本電鉄 上高地線]に、[松本駅]で乗車、[新島々](しんしましま)駅で下車。

かつて、[島々駅]があり、新しく駅を造ったので、[新島々]としたのだそうです。[新島々駅]の付近に、かつての[島々駅]の建物が移設されて保存されているのだそうです。

「しましま」、おもしろい名前です。

[地理院地図]で見てみると、[新島々]駅の西方に、[島々]という地名の所があるようです。

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[新島々]からバスに乗り、上高地へ。

だいぶ前に、社会科の授業の時に、[V字谷]というのを教わった記憶がありますが、バスの窓から見える景観を見て、「これが、そうなのかも!」と思いました。

浸食が進んでいくと、この地形もやがては、[準平原]へと変わるのか、というような事も思いました。

途中、特にスゴイと思ったのが、

 鵬雲崎(ほううんざき)

[水殿ダム]から[梓川]に沿って、上流に行った所にある、断崖絶壁の場所、壮絶な景観でした。(バスの窓ごしにでも、その景観を撮影しておくべきであったと、後悔)

そして、

 奈川渡ダム

なんと、アーチ型のダムの頂上部分が道路になっており、そこをバスが走っていくのです! こんな場所を行く体験は、初めてです。(バスの窓ごしにでも、その景観を撮影しておくべきであったと、後悔)

[釜トンネル]を通過して更に先に進むと、[大正池]が見えてきました。これまで、画像や映像でしか見れてなかった、この場所の景観を、今、自分の目で見ている!

そして、バスは、[上高地バスターミナル]へ到着。

事前に、上高地に関していろいろと調べている中に、一番気になったのが、現地の気温でした。

[地理院地図]で調べていただいたらわかると思いますが、松本駅付近と上高地との標高差は、とても大きいのです。

松本駅から上高地の河童橋へ行く途中のポイントの標高を[地理院地図]で調べてみたら、以下のようになりました。

 松本駅付近:約 580m
 新島々駅付近:約 690m
 奈川渡ダム付近:約 980m
 釜トンネル付近:約 1310m
 上高地・河童橋付近:約 1500m

なので、上高地と松本駅付近との標高差は、

 約 920m ( = 1500 - 580 )

標高の高い所へ行くにつれて、気温は下がっていくようでして、これを、[気温減率](temperature lapse rate)というのだそうです。

気象条件によって、[気温減率]は変化するのでしょうが、かりに、

 100m、標高が増えるごと、気温が、0.7℃、下降

 とすると、

松本駅と上高地との、同一日同一時刻の気温の差は、

 0.7 × ( 920 ÷ 100 ) = 6.44 ℃

松本の5月の平均・最高気温をネットで調べてみたら、

 22.9 ℃

 という値がありました。

 これに対して、上記の[気温減率]の値をあてはめてみると、

 上高地の5月の平均・最高気温 = ( 22.9 -  6.44 ) = 16.46 ℃

ところが、バスから降りてみたら、とても快適な気温なのです。

この日、上高地にいる間、快適な気温の中に、歩き回ることができました。

(ということは、松本は、季節外れの高温だったのかも?)

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[上高地バスターミナル]から少し歩いて、梓川の川べりに着きました。

P1 画像の右の方に、[河童橋]が写っています。
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川べりを歩いて、[河童橋]へ。

下記P2~P4は、橋の上で、あるいは、橋の付近で撮影したものです。

眼前に、梓川の清流、その向こうに、残雪の穂高連峰が。

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あぁ、日本にも、こんな所があったのかぁ、日本に上高地があって、ほんとに良かった、と思いました。

[河童橋]を渡って、梓川の北側の岸へ。そこから、[ウェストン碑]を目指して、歩きました。

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P7 ウェストン碑
P07

[ウォルター・ウェストン]によって、[日本アルプス]の名が外国の人々の知るところとなったようです。

[上高地 歴史 上條嘉門次 ウォルター・ウェストン]
[槍ヶ岳 播隆]

でネット検索して、関連する情報を得ることができました。

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[ウェストン碑]のある場所から、[田代橋]を目指して、歩きました。

下記は、ウェストン碑 ~ 田代橋 間の場所で撮影した画像です。

P8
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下記は、田代橋の付近で撮影した画像です。

P9
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[田代橋]から、[田代池]を目指して、歩きました。

下記は、田代橋 ~ 田代池 間の場所、および、田代池 で撮影した画像です。

P10
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その後、[田代橋]へ戻り、更に、[河童橋]を目指して、歩きました。

下記は、田代橋 ~ 河童橋 間の場所で撮影した画像です。

P19
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P22
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P23
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梓川の奥には、あの、[奥穂高岳]が。

奥穂高岳、標高 3190m、日本第3位の高峰。

上高地・河童橋付近の標高は、約 1500m。
奥穂高岳の山頂と河童橋との標高差は、1690m ( = 3190 - 1500 )。

これだけの標高差をものともせずに、登山する人々は穂高や槍を目指して行くのです、スゴイですねぇ。

そしてそのあたりには、その名前を聞くだけでも、背筋がゾクゾクしてくるような場所が。(おそらく、この先、私が行くことは無い所でしょうが)。

[岳沢]
[涸沢]
[ザイテングラート]
[紀美子平]
[重太郎新道]
[ジャンダルム]
[馬の背]
[ロバの耳]
[天狗岩]
[吊尾根]
[前穂高岳]
[西穂高岳]
[西穂独標]
[ピラミッドピーク]
[大キレット]
[逆層スラブ]
・・・

動画サイトで、[奥穂高 馬の背]などで検索すると、様々な険しい所を行かれた記録映像を見ることができます。一歩踏み誤れば・・・というようなこのような場所で、映像を撮影されるなんて、ものすごい余裕というか、なんというか・・・スゴイですねぇ。

[河童橋から見える山 名前]でネット検索して、関連する情報を得ることができました。

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下記のキーワードでネット検索して、上高地に関連する情報を得ることができました。

[上高地 河童橋 芥川龍之介]
[上高地を美しくする会]
[上高地 ライブカメラ]
[上高地 穂高連峰]
[上高地 岳沢]
[上高地 涸沢カール]
[ジャンダルム 吊尾根 上高地]
[上高地 焼岳]

河童橋の近くのカフェで、アップルパイを食べた(とてもおいしかった)後、上高地バスターミナルからバスに乗り、松本へ。

2017年6月26日 (月)

信州 おもいで 安曇野 碌山美術館 2013年 5月

2013年5月に、信州の安曇野を訪問、大王わさび農場に行った事は、

前回発表の記事

の中に記しましたが、その後、大王わさび農場からタクシーに乗り、碌山美術館に行きました。

萩原碌山(守衛)氏のすばらしい作品を鑑賞することができました。

碌山美術館

荻原守衛(碌山)略年譜(碌山美術館)

上記中に、

「明治34年(1901) 22才 渡米を決意して洗礼を受け、3月横浜を出帆しニューヨークへ直行する。9月、フェアチャイルド家の学僕となる。」

とあります。すごいなぁと、思います。

碌山の彫刻作品(碌山美術館)

下記の画像は、この美術館の敷地内で撮影しました。

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美術館からJR大糸線・穂高駅までは徒歩で移動、とてもふんいきの良い道でした。

2017年6月25日 (日)

信州 おもいで 大王わさび農場 2013年 5月

2013年5月に、信州の大王わさび農場(安曇野市)に行きました。

JR京都駅から、東海道新幹線で、JR名古屋駅へ、
JR名古屋駅から、中央線で、JR松本駅へ、
JR松本駅から、大糸線で、JR穂高駅へ、
JR穂高駅から、タクシーで、大王わさび農場へ、行きました。

このページ中にある画像は、その際に撮影したものです。

この農場の敷地内に、水車小屋があります。「夢」(黒澤明監督)のロケ地になった場所なのだそうです。

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この水車小屋は、[万水川]と[蓼川]とが合流する場所にあります。

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P5 合流点
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上記の画像でも分かると思いますが、[万水川]と[蓼川]の透明度は、異なっているようです。もしかしたら、この場所と、それぞれの川の水源との距離が異なっているので、このような違いが生じるのかもしれません。

P7 栽培されているワサビ
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農場の中に遊歩道があり、散策できるようになっています。

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この農場で食べたいと思っていたものが二つありました。

[わさびソフトクリーム]と[わさび丼]。

[わさびソフトクリーム]を食べることはできましたが、[わさび丼]の方は食べれませんでした。(農場への訪問時刻の関係で)。

[ワサビ]と日本人との関りは、相当古くからのものであるようです。飛鳥時代の遺跡から出土した木簡に、ワサビに関する記述があるのだそうです。

ワサビに関して、

[飛鳥京跡苑池遺構 ワサビ]
[ワサビ 徳川家康]
[ワサビ 伊豆]

でネット検索して、関連する情報を得ることができました。

安曇野でのワサビ栽培は、明治時代に始まったようです。

[安曇野市 わさび畑]
[安曇野 複合扇状地]
[安曇野 湧水]

でネット検索して、関連する情報を得ることができました。

2017年5月30日 (火)

信州 おもいで 馬籠 2016年 6月

先日アップした下記コンテンツにおいて

信州 おもいで 妻籠  2016年 6月

信州の妻籠に行ったことを述べましたが、その日、妻籠からバスに乗り、峠を越えて、馬籠へ行きました。

2005年2月に、馬籠は、長野県内の地域ではなくなりました。県境を越えて、岐阜県・中津川市に編入されたのです。

私は、青年時代のある時期、信州の中の地に住んでいました。その頃は、島崎藤村が生まれた馬籠は、信州の中の地域であり、藤村は信州の人でした。なので、このコンテンツの題名に、[信州 おもいで」の文字を入れました。

妻籠からバスに乗り、馬籠へ。

馬籠宿付近においては、旧・中山道は山の尾根を行く坂道となっていて、その道の両側に宿場町ができたのだそうです。

馬籠宿下入り口から「車屋坂」を上っていくと、[桝型]と呼ばれる場所があり、そこに、水力発電を行っている施設がありました。

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P2 水力発電を行っている施設から、坂を少し上がった場所で、坂下の方を撮影。
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P3 藤村記念館の前で撮影。藤村記念館は、島崎藤村の生家の跡で、馬籠宿本陣の跡でもあります。
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P4 藤村記念館付近で撮影。
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P6 坂の上の方にある高札場の付近で撮影。
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P7 更に坂を登ると、この場所に至ります。
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P8 この場所と、妻籠、馬籠の位置関係が表示されています。
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P9 旧・中山道はこの場所から更に先へ続いています。徒歩で妻籠へ行く人は、この道を更に先へ進んでいくのでしょうか。
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P10 P7にある場所の近くに、展望広場がありました。
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P11 展望広場で撮影
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下記の動画には、展望広場で撮影した山の景観シーンや、宿場内の坂道の途中で撮影したシーン、回っている水車のシーン、ツバメの子育てシーン等も、含まれています。よろしければ、ご覧ください。

上記の動画のバックグラウンド・ミュージックに使用した曲(自作)は、

 [過去にあったことを想い出している 作品10] ( "I remember that it happened for a past, Op.10")(エレクトリック・ピアノ・バージョン)

です。

私が制作した他の動画を、私のユーチューブチャンネルからご覧いただけます。私のユーチューブチャンネルにアクセスしたい時は、

ここをクリックしてください。

私が作曲した他の音楽作品を、クレオフーガ・サイト上の私のコーナーでお聴きいただけます。それにアクセスしたい時は、

ここをクリックしてください。

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上記の[展望広場」とは別に、[新茶屋展望台]という場所もあるようです。正岡子規の句碑がある所だとのことです。「信州サンセットポイント100選」に選ばれている場所なのだそうです。

残念ながら、帰路の列車の関係で、サンセットを見れる時刻まで馬籠にいることができませんでした。

馬籠からはバスで、JR中津川駅へ。

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現在の馬籠の景観がかたちづくられてきた経緯については、[馬籠観光協会]のホームページ中の、[馬籠の歴史と観光開発の概要]に、詳細に述べられています。

そこに書かれている事をもとに、以下のように考えました。

馬籠の3時代:[先・藤村期]、[藤村・前期]、[藤村・後期]

(1)先・藤村期

江戸時代の中山道の宿場町・馬籠は、明治時代以降の国道と鉄道の敷設により、宿場町として機能しえなくなってしまい、経済的苦境に陥りました。

馬籠と、峠の向こうにある妻籠、共に、このような状態の中からの再生を遂げたのでしたが、両者の間には決定的な違いがありました。建物です。

1895年と1915年の火災により、馬籠の古い町並みの建物のすべてが、焼失してしまっていたのです。

だから、馬籠は、妻籠と同じような再生の方向(宿場町としての町並みを観光に活用)へ進むことができませんでした。

(2)藤村・前期

しかし、馬籠には、人々を引きつける強力な要素がありました。[島崎藤村が生まれた地]、という要素が。

[藤村記念館]のホームページ中の、[藤村記念館の概要]の記述によれば、

 島崎藤村の生家(馬籠宿の本陣であった)は1895年の火災で、そのほとんどが焼失。(藤村の祖父母の隠居所だけが焼失をまぬがれ、藤村記念館の敷地内に現存)。
 1947年に、地元住民の意志により、谷口吉郎氏の設計になる、藤村記念堂が建てられ、その後、様々な拡充を経て、現在に至る。

[馬籠観光協会]のホームページ中の、[馬籠の歴史と観光開発の概要]に、この[藤村記念館]の入館者数の推移データがあるのですが、1965年から1975年の間の、入館者数の増加が、すごいのです。上記ページから下記に引用させていただきます。

 1965年(昭和40年) 49825人
 1970年(昭和45年)145072人
 1975年(昭和50年)401081人

まさに、[驚異的増の10年]。

この入館者数の急増に関係するものとして、2つの要素が考えられます。

(2-1)文学全集

[文学全集の黄金時代]ともいうべき時期があったのだそうです。様々な出版社から、[XX日本文学全集]、[YY世界文学全集]が出版された時代、それが、1960年代です。上記の[驚異的増の10年]の前半部に重なっています。

これは、日本の高度経済成長が始ってから10年くらい経過し、経済的余裕を得た人の数が増えてきた時期に当たります。「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるようですが、「衣食足りて芸術を知る」とも言っていいでしょう。

様々な文芸方面の知見を短期間で獲得したい(文学青年というようなレベルまでは行かなくとも)、と思う人の数が増えていた、そのような時代であったのでしょう。そのようなニーズに応えたのが、文学全集だったのでしょう。

文学全集や文庫本で島崎藤村の作品を読み、感動した人々が、彼の生誕の地を訪問したい、と思うようになるのは、自然な流れであったろうと思います。

(2-2)アンノン族

[アンノン族]の語源は、[an・an(アンアン)] と [non-no(ノンノ)]。いずれも、若い(当時の)女性を主ターゲットとした雑誌です。

これらの雑誌の旅行特集を見た多くの読者が、国内の様々な場所へ旅するようになり、馬籠と妻籠もその訪問先になりました。

[an・an(アンアン)]の創刊が、1970年、[non-no(ノンノ)]の創刊が1971年、[驚異的増の10年]の中間時期に位置しています。

(3)[藤村・後期]

[馬籠観光協会]のホームページ中の、[馬籠の歴史と観光開発の概要]に、下記のように書かれています。

 「馬籠という「良好な自然環境」を観光資源としている観光地にとって、環境破壊や俗化は命取りだった。しかし受け入れ態勢を急いだ結果、1970年(昭和45年)頃から馬籠は俗化が急速に進行しはじめた。」

 「環境破壊の元凶が破壊を最も恐れているはずの業者であったことは皮肉であった。この頃さらに悪いことが重なった。「馬籠」という著名な観光地の人気に魅せられて、郡内や県内から進出を窺う業者が次々に現れたことである。土地ブローカーが土地の買収に乗り込んできた。農地が売り渡され、外部からの企業の進出が表面化してきた。」

 人が集まる所には、お金が落ちる、お金が落ちる所には、人が集まる(落ちるお金を獲得しようとする人々が)。

経済の基本的原理、ともいうべきでしょうか。

その地に、それまで集まってきていた人々とは異質の人々が、異質の感覚・論理・倫理・コンセプトを持って、新たに集まってくるようになる、そこから様々な問題が生じてしまうのでありましょう。

この問題に対処する手段としては、(妻籠と同様に)、[住民の結束]しかなかったようです。

その詳細について関心をお持ちの方は、[馬籠観光協会]のホームページ中の、[馬籠の歴史と観光開発の概要]をご参照ください。

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 「木曾路(きそじ)はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖(がけ)の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道(かいどう)はこの深い森林地帯を貫いていた。」

島崎藤村の『夜明け前』の冒頭部分です。

このイメージを持って、初めて馬籠を訪れた私は、それと現実の馬籠の景観との間に、違和感を覚えました。

馬籠は山の中である、というような感じがしないのです。むしろ、何か開けている、開放感があるような景観、というように感じました。

この日、妻籠と馬籠を訪れたのでしたが、妻籠の方では、[山の中である]感を持ちました。

妻籠と馬籠の景観イメージのこの違いは、[地形]で説明がつくと思います。

[地理院地図]を使って、妻籠と馬籠の地形を調べてみれば、妻籠を通る旧中山道は谷間を行く道であり、馬籠を通る旧中山道は尾根の上を行く道であることが分かります。尾根の上から眺める景観は、[開けている感]があります。

馬籠の景観の魅力の源泉は、坂道(この尾根を行く旧中山道の)であろうと思います。

坂道というものは、多くの人を魅了するものを持っているようでして、様々な坂道がその地の有名な観光スポットになっています。例えば、

 オランダ坂(長崎市)
 トアロード、北野坂、ハンター坂(神戸市)
 二年坂、三年坂(京都市)

[坂]に加えて更に、[峠]という魅力的な要素が、馬籠にはあります。

馬籠---馬籠峠---妻籠(旧中山道経由)のルートは、外国人の方々にも人気があるハイキングコースなのだそうです。

[峠越え]は、一つの世界から異世界へ至る行為です。このような行為に、多くの人の心がひかれるのであろうと思います。江戸時代の中山道の旅を追体験できる、という魅力もあるでしょう。

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 まだあげ初(そ)めし前髪(まへがみ)の
 林檎(りんご)のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛(はなぐし)の
 花ある君と思ひけり

島崎藤村の『初恋』という詩の冒頭部分です。

 小諸なる古城のほとり 
 雲白く遊子(いうし)悲しむ

これも藤村の詩の冒頭部分です。(千曲川旅情の歌)

 名も知らぬ遠き島より
 流れ寄る椰子の實一つ
 故郷(ふるさと)の岸を離れて
 汝(なれ)はそも波に幾月

これも藤村の詩の冒頭部分です。(椰子の實)

その後、彼の創作対象は詩から小説へ転じ、『破戒』、『春』、『夜明け前』等の小説が産み出されました。

2005年2月に、[信州の人・藤村]は[岐阜県の人・藤村]に、チェンジしました。

それまでは、馬籠は、長野県・山口村の中の地域であったのですが、2005年2月に、山口村が県境を越えて、岐阜県・中津川市に編入されたのです。

(旧)山口村の地域は、過去には美濃国に所属していた時期もあったようです。

[馬籠観光協会]
[馬籠観光協会 馬籠の歴史と観光開発の概要]
[藤村記念館 馬籠]
[馬籠 皇女和宮降嫁行列]
[地理院地図]
[アンノン族 馬籠]
[妻籠 脇本陣 島崎藤村 初恋]
[青空文庫 島崎藤村]

でネット検索して、関連する情報を得ることができました。

2017年5月28日 (日)

信州 おもいで 妻籠 2016年 6月

5月の末から6月に移り変わる季節になると、昨年の信州での事が思いおこされます。

2016年6月に、妻籠(つまご:長野県・木曽郡・南木曽町)に行きました。

妻籠には、かつての中山道の宿場町の景観が奇跡的に保存されています。私が撮影した画像を交えながら、その時のことを書かせていただきます。

当日は、京都から新幹線で名古屋へ、そこから、JR中央線で、南木曽駅へ。そこから、タクシーで、妻籠へ。

P1 タクシーから下車し、そこから徒歩で、この道を中山道のある方向へ。
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P2 宿場町の景観が、前方に見えてきました。
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P3 宿場町の街道を歩くと、[高札場]がありました。
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P4 水車が回っていました。
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水車の種類を表す用語としては、[上掛水車]、[胸掛水車]、[中掛水車]、[腰掛水車]、[下掛水車]等があるようです。この水車は、車に水が注がれる位置から見て、おそらく、[中掛水車]に分類されるものと思われます。

[水車 上掛け]等でネット検索すれば、関連する情報を得られるかもしれません。

P5 鯉岩
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P06

P7 かつて[脇本陣]であった所。
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P8 [脇本陣奥谷]の庭です。
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[脇本陣奥谷]の中で、ガイドの方から興味深い様々なお話を聞くことができました。

ここの建物は明治10年(1877)に建てられたものなのだそうです。島崎藤村の初恋の人・ゆふさんは、ここへ嫁がれたのだそうです。

P9 昼食を、この店(吉村屋)で食べました。画像P9, P10, P11, P12, P13 は、吉村屋さんよりの承諾を得て、撮影・掲載しています。
P09

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P10

P11 店内から外を撮影
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P12 左上にあるのが、[朴葉寿司]というものであったかと記憶しています。私の記憶が間違っていたらすみません。
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P13 開田高原(長野県・木曽郡・木曽町)で栽培されているソバが使用されているのだそうです。
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昼食の後、再び、中山道へ

P14
P14

P15 ギンモクセイの木がありました。
P15

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P16

P17
P17

P18
P18

P19 この店(澤田屋 妻籠店)で菓子を買い、店の前のベンチに座って食べました
P19

妻籠宿の中を通る中山道の路面はほぼ、舗装されているようでしたが、[桝形の跡]の所は、土のままだったので、そこでしばし、江戸時代の街道と宿場町の風景を想像してみました。

下記の動画には、その舗装されていない場所、すなわち、[桝形の跡]で撮影したシーンも含まれています。[脇本陣奥谷]の屋内の[囲炉]を撮影したシーンもあります。よろしければ、ご覧ください。

上記の動画のバックグラウンド・ミュージックに使用した曲(自作)は、

[過去にあったことを想い出している 作品10] ( "I remember that it happened for a past, Op.10")

です。

私が制作した他の動画を、私のユーチューブチャンネルからご覧いただけます。私のユーチューブチャンネルにアクセスしたい時は、

ここをクリックしてください。

私が作曲した他の音楽作品を、クレオフーガ・サイト上の私のコーナーでお聴きいただけます。それにアクセスしたい時は、

ここをクリックしてください。

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江戸時代の宿場町の景観が今もそこにあるとは、驚くべき事ではないでしょうか。

このような事がいかにして可能となったのか? ネット上の様々な情報を調べてみました。

その時々の流れの行くがままにまかせていたら、このような景観になった、というような事ではないようです。様々な内的要因、外的要因が組み合わさった結果、現在の妻籠の景観が存在しているようです。

(1)内的要因:念

妻籠の現状からは想像もできないことなのですが、高度経済成長の時代、妻籠は、今でいう[限界集落]になりかかっていたのだそうです。

明治時代に、木曽地方に国道と鉄道が敷設された結果、妻籠は宿場町として機能しえなくなってしまいました。

[公益財団法人妻籠を愛する会]のホームページ中の、[発起人インタビュー「限界集落からの再生。 妻籠宿、半世紀の歴史」]には、以下のような記述があります。

 「未来の希望が見えない集落に見切りをつけ、東京や名古屋へと旅立つ若者たち。ふるさとに未練を残しながらも妻籠をあとにする家族たち。砂山が崩れていくように、急激に進む高齢化と過疎。」

そのような中、この地の人々の心中には「なんとかして、妻籠を再生させたい」との強い念(おも)いがありました。

その[念]が、妻籠の外に存在する様々なパワーを呼び寄せたのでした。

(2)外的要因:バワー

(2-1)長野県庁・パワー

長野県の[明治百年記念事業]により、1968年に妻籠宿保存事業が実施され、宿場町の街並みが整備されました。

(2-2)アンノン族・パワー

[アンノン族](最近、あまり耳にしなくなった言葉ですが。)、その語源は、[an・an(アンアン)] と [non-no(ノンノ)]。いずれも、若い(当時の)女性を主ターゲットとした雑誌です。

これらの雑誌の旅行特集を見た多くの読者が、国内の様々な場所へ旅するようになり、妻籠もその訪問先になりました。

[an・an(アンアン)]と[non-no(ノンノ)]が世に出されたタイミングが、上記の妻籠宿保存事業が実施された時期と、うまいぐあいに重なったのでした。

(2-3)地球規模・パワー

いまや、妻籠は、国際的観光地になっているようです。

[公益財団法人妻籠を愛する会]のホームページ中の、[妻籠を愛する会について]に、以下のような記述があります。

 「また昨今は、海外からの旅行客が非常に多くなり、妻籠宿は国際観光地となりました。」

 「馬籠峠を越える外国人は6千人超。妻籠宿を訪れる外国人の国籍は北米、オセアニア、ヨーロッパを中心に約52ヶ国から訪れます。」

 「彼らからの評価は、Wonderful・Beautiful・Good です。」

 「そして、馬籠峠手前にある一石栃立場茶屋の無料休憩所は、おもてなしで出されたお茶を飲みながらの国際交流の場となっています。」

 「この雰囲気が、地球上の何処でも行われ、平和な地球であり続けばと思います。」

(3)内部の結束

[妻籠宿を守る住民憲章]というものが制定されています。

 「売らない」「貸さない」「こわさない」の三原則

上記の他にも、広告、看板、ポスターに関する事、建物の色彩に関する事、旅館、民宿、土産店等の閉店時刻など、様々な事柄がきめ細かく決められています。

すごいなぁ、と思います。ここまで徹底していかないと、妻籠の美しい景観と雰囲気を守っていくことはできないのでしょうね。

江戸時代、中山道を旅する人々は、ここ、妻籠宿で、身体を休めました。

そして現代、妻籠は、そこを訪れる人々の、心を休める場所になっていると、私には思われます。

[公益財団法人妻籠を愛する会]
[明治百年記念事業 妻籠]
[妻籠宿を守る住民憲章]
[妻籠 文化文政風俗絵巻之行列]
[アンノン族 妻籠]
[妻籠 脇本陣 島崎藤村 初恋]
[妻籠 歴史資料館]

でネット検索して、関連する情報を得ることができました。

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