静岡県

2018年5月27日 (日)

約1万年前、富士山から溶岩が噴出、三島まで流れ下り

2018年6月6日 以下の点について、追記・修正を行いました。
 [グラウンドワーク三島]
 [境川・清住緑地]

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以前から、三島市(静岡県)に、関心がありました。

 三島には、きれいな水が流れている場所があると、聞いている
 源頼朝に関係がある所らしい
 江戸時代、東海道の宿場になった所である(広重の東海道五十三次の絵の中にも、三島のある場所を描いたものがある)

2018年5月、東京方面での所用が発生したので、そのついでに、三島に行ってみようと、思い立ちました。

京都駅から、東海道新幹線に乗車し、三島駅で下車。

(1) 菰池公園

まず、行ったのが、[菰池公園]([菰]は、[こも]と読むようです)です。三島駅から歩いて行きました。

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[菰池]から、南南西方向に流れ出ている川があったので、その川べりの道を、歩いていきました。

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(2) 白滝公園

川にそって歩いていった先に、この公園がありました。

美しい水辺の風景が、そこにありました。公園の中を歩き回りながら、動画を撮影しましたので、よろしければ、下記をご覧ください。

この動画の格納先URLは、下記です。

https://youtu.be/s831yM6ywEc

なぜ、このような澄んだ水があるのか? その理由に密な関係を持つ事柄が示されている、ある表示が、この公園の中にありました。下記です。

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ここ、三島は、溶岩と密なる関係を持つ地であるようです。

[土隆一] 氏 の説によれば:

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今から約1万年前に、富士山から溶岩が噴出して南東方向に流れ下り、愛鷹山と箱根山の間を通って、三島まで到達した。これが、[三島溶岩]と呼ばれているものである。

[三島溶岩]は、数層から成っており、水を通しやすい層と、水を通しにくい層が重なったような構造になっている。

[三島溶岩]の末端部に、三島市の湧水や、柿田川の水源がある。

富士山に降った水の一部が、三島溶岩の中の、水を通しやすい層の中を通って、それらの湧水場所に到達し、地表に噴出していると、考えられる。
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ここの水は、溶岩パイプラインを通って、富士山からやってきた水なんですねぇ。

[富士山 湧水 三島溶岩 土隆一] でネット検索していただければ、関連する様々な情報を得られると思います。

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(3) 三嶋大社

次に行ったのが、この神社です。(白滝公園から歩いて行きました。)

この社に深い関係を持つ、とされてきた絵があります。広重が描いた絵です。

[広重 東海道五十三次 三島]でネット検索すれば、画像を含んだコンテンツをご覧になれると思いますが、例えば、下記をご覧いただいてもよろしいでしょう。

東海道五十三次之内 三島 朝霧(知足美術館)

この絵に描かれた現場の位置に関して、

 [浮世絵大系 14 東海道五拾三次 座右宝刊行会 編集制作 集英社発行 昭和50年 初版発行]

中の図版解説において、吉田漱氏は、「三島神社の鳥居の前」と記しておられます。

江戸時代、東海道は、この絵にあるように、[三嶋大社](上記の吉田漱氏の記述においては、「三島神社」となっている)の鳥居の前を通っていたのでしょうか?

ネット地図で、[三嶋大社]で検索してみると、この神社の南側に、広い道があることが分かります。下記の写真は、まさにその道の南側から、[三嶋大社]の現在の鳥居を撮影したものです。(江戸時代に鳥居があった位置と、現在のこの位置とが同じなのかどうかまでは、分かりません。)

PC01

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でも、ネット地図で調べてみると、この道は、[国道・1号](江戸時代の東海道にほぼ沿って作られた)ではないようです。

[旧東海道 地図 三島] でネット検索し、当時の街道のルートが分かるような情報を得て調べ、[三嶋大社]が、江戸時代の東海道の北側の場所にある事が分かりました。すなわち、上記の「この道」は、江戸時代の東海道であったようなのです。

このあたりでは、[江戸時代の東海道]と、[国道・1号]は、別ルートになっているようです。

神社の境内には、大きい樹齢値を持つ樹木がありました。

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PC04 天然記念物に指定されている、キンモクセイなのだそうです

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PC06 本殿

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PC07 腰掛石

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この石については、下記のような言い伝えがあるようです:

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1180年(治承4年)に、[源頼朝]は、[三嶋大社]に百日間の日参を行い、源氏の再興を祈願した。その際に、この石に座って休息した。左側の石に頼朝が、右側の石に北条政子(頼朝の妻)が座した。
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1180年という年は、日本の中世史において、大きな意味を持つ年です。

この年、以仁王(後白河法皇の皇子)が、平氏追討を命ずる令旨を、様々な源氏の家系に連なる人々に対して送ったのですが、頼朝のもとにも、それが届けられました。

頼朝の父・源義朝は、清和源氏の大リーダーであり、平清盛に対抗しうる人と目されていました。しかし、平治の乱において、義朝は敗戦し、尾張で死亡。

頼朝は、源義朝の三男でしたが、兄の義平、朝長は、平治の乱の後、共に死去。

頼朝は、平氏によって捕えられ、京都へ送られたが、池禅尼(平清盛の継母)の助命嘆願などによって、死刑を免れ、伊豆国への流刑となりました。

そのような、流刑人の境遇にある時に、平氏追討を命ずる令旨が、頼朝のもとにやってきたのです。そして、頼朝は決起して、挙兵。

頼朝の妻・政子の実家は、[北条氏]。[北条氏]の根拠地は、[北条](静岡県・伊豆の国市)でした。

[北条]とは、いったいどのあたりにあるのか、ネット地図で、[伊豆の国市 北条]で検索して分かりました。伊豆箱根鉄道の[韮山駅]の付近であるようです。

頼朝と政子の最初の出会いは、どこで、どのような感じだったのか、興味深いのですが、それを明らかにするような確かな史料があるのかどうかまでは、分かりませんでした。

挙兵後、頼朝は、石橋山の戦いで大敗し、山中に潜入せざるをえなくなりました。

この時、もしも、頼朝が平氏側勢力によって捕縛されていたならば、おそらく、頼朝の生涯はここまで、ということになっていたでしょうから、三嶋大社の腰掛石は、頼朝と政子の悲しい運命の跡、となっていたでしょう。

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(4) 三島梅花藻の里

三嶋大社の近くで昼食を食べた後、[三島梅花藻の里]まで、歩いて行きました。

ここは、

[グラウンドワーク三島](NPO法人)

が、整備。運営されているようです。

上記サイト中の[グラウンドワーク三島とは]の項には、以下のような記述があります

 「グラウンドワーク三島は、住民・企業・行政のパートナーシップを仲介することを通して、「水の都・三島」の原風景を再生し、子どもたちに受け継いでいくことを目指す特定非営利活動法人(NPO法人)です。「右手にスコップ、左手に缶ビール」を合言葉に、みんなで協力して身近な環境改善に取り組んでいます。」

上記サイト中の[プロフィール]の項の記述によれば、この組織の[専務理事・事務局長]は、[渡辺 豊博(わたなべ とよひろ)]氏(農学博士)であるようです。

上記サイト中の[三島梅花藻の里]の項に、この施設についての記述がありますが、その中には、

 「湧水の減少と水質悪化により市内の川から姿を消した水中花・ミシマバイカモを復元、育成するために」

とあります。

かつては、三島市内の様々な場所で、バイカモを見ることができたのでしょうね。

PD01 自動的に散水が行われているようです

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PD05

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(5) 水の苑緑地

[三島梅花藻の里]から、歩いて行きました。

ここには、美しい水辺の風景がありました。緑地の中を歩き回りながら、動画を撮影しましたので、よろしければ、下記をご覧ください。

この動画の格納先URLは、下記です。

https://youtu.be/Hc-LSFOjFB8

この緑地の中に、[源兵衛川]があります。これは、灌漑のための人口水路であり、[寺尾源兵衛]によって開削されたのだそうです。

巨大なレンズを持っている方が、緑地の中におられました。もしかしたら、ここで、鳥(カワセミとか)を撮影することができるのかも。

[水の苑緑地]の付近の川の中に、美しい藻があり、白い花が開いていました。

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PE07

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(6) 境川・清住緑地

[水の苑緑地]から、歩いて行きました。

[境川]という川ぞいに形成された緑地です。

[境川]は、三島市と清水町の境に位置するので、そのような名前で呼ばれるようになったのかと思ったのですが、調べてみたら、そうではない事が分かりました。

[しずおか河川ナビゲーション](静岡県交通基盤部河川砂防局河川企画課により作成)というサイトがあり、その中の

[狩野川水系][境川]の項の中に、以下のように記述されています。

 「また、境川の名は、かつてこの川と大場川の上流部が「伊豆」と「駿河」の境となっていたことに由来します。」

池や、野原、田など、多様性に富んだ場所でした。

[三島梅花藻の里]を運営しておられる、[グラウンドワーク三島](NPO法人)が、この場所の再生に、取り組まれたようです。

[グラウンドワーク三島](NPO法人)

のサイト中の[境川・清住緑地]の項には、以下のような記述があります

 「静岡県沼津土木事務所からの要請を受け、グラウンドワーク三島が自然観察会の開催や住民参加のワークショップを開催し、地域住民の意見やアイデアを収集した地域固有の生態空間を再生しました。」

 「今では地域住民が主体となった境川・清住緑地愛護会が、住民行政からの維持管理を委託されるまでになり、豊かな生態系が回復しています。」

緑地の中を歩き回りながら、動画を撮影しましたので、よろしければ、下記をご覧ください。



この動画の格納先URLは、下記です。

https://youtu.be/dMWDS-5TjX0

[ユーチューブ]のサイトで、[境川清住]で検索したら、関連する様々な動画へのエントリーが表示されました。

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(7) 柿田川公園

[境川・清住緑地]から、歩いて行きました。

ここは、[静岡県・駿東郡・清水町]の公園であるようです。[国道・1号]沿いにあります。

園内の第1展望台と第2展望台に行って、[柿田川]の水がダイナミックに湧き出てくる様を、動画に撮影しましたので、よろしければ、下記をご覧ください。

この動画の格納先URLは、下記です。

https://youtu.be/Hx8VtcL3plc

[柿田川]の水源はこの湧水であり、[狩野川]に流れ込むまでの間は、約1.2km。このような短い川ですが、一級河川なのだそうです。ネット地図で、[柿田川公園]で検索していただいたら、その流路を見ることができると思います。

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